ACT・7

 カコウが帰ってしまい、何となく気が抜けたメイは、久しぶりにサエコに連絡を入れる気になった。


 呼び出すと、ディスプレイの中のサエコが、怒ったような、困ったような表情をしていた。


 メイは言葉に詰まってしまった。そんな彼女より先に、サエコが声を発した。


「おっそ―――い、メイ!」


「な……何よ?」


 メイは何を怒られてるのか分からず、びっくりした声を出した。


「あなたったら、通信回路を閉じてるんですもん。連絡したいことがあってもできないじゃない!」


「非常用コールを使ってもよかったのよ? だって、休暇中のあたしに用事なんか、かなりの緊急性がない限り、有り得ないわ」


 メイは困ったように言った。サエコが目を逸らせて呟いた。


「私的なことだったから……」


「私的?」


 メイはちょっと首を傾げた。


「お願いがあるのよ。聞いてくれる?」


「内容によるけれど、たいていのことは大丈夫よ?」


「直接話したいの。ねぇ、今から家へ来てくれない?」


「今から? えらく急ね」


 メイは、ちょっと驚いた声を発した。


「急用なの。今日連絡がつかなかったら、緊急用コールを使おうと思ってたの」


「ふ――――ん」


 メイはしばらく考えた。


 休暇はあと1週間ある。今、ドゥーシー・コロニーに戻るのは気が進まなかったが、サエコの様子から察するところ、彼女はかなり困った状況にあるようだった。


ちょっと早いが、ここを引き払って戻るしかないと決めた。


「分かった。今からここを引き払って、帰るわ。到着はそうね。夕方かしら」


「すぐ来てくれるの?」


 サエコが嬉しそうな、ほっとしたような表情で笑った。


「急ぐわ。その代わり、おいしい夕食をおごってね」


「もちろんよ!」


 夕方遅く、もう黄昏の時間が終わって暗くなり始めたころ、メイはサエコの家のドアを叩いた。


 白いドアを見るよりも、宵の口の火星を見ていたいもんだと思いつつ、ドアを見つめていると、それが勢いよく開け放たれ、サエコの顔が迫ってきた。


「いらっしゃい、メイ!」


 サエコが首に抱きついてきた。


(なんか、心細いことでもあった?)


 メイは何となくそう思った。


「う――――ん。いい匂い! ビーフストロガノフね。とにかく座らせてちょうだい。ちょっと疲れたわ」


「ごめんなさい。無理を言って……」


 サエコはメイをリビングへと案内しながら謝った。


「それはいいのよ。気にしないで。それよりまずは、あなたが淹れる美味しいコーヒーが飲みたいわ」


 メイはソファに座りながら、サエコを見上げた。


「すぐ淹れるわ」


 サエコがキッチンに立った。


「ねぇ、ダンナさまは? 残業?」


 メイはサエコに声をかけた。


 彼女はコーヒーをカップに注ぎながら、意味ありげに寂しく微笑んで答えなかった。


 カップを一つずつ両手に持ってきて、メイの前に置き、自分も座りながらカップをテーブルに置いた。


「今、いないのよ」


「そりゃ、見ればわかるわよ。元気?」


「らしいわ」


 メイはちょっと首を傾げた。その様子を見て、サエコは言葉を続けた。


「土星のね。テミスにいるの」


「へぇ、いつから?」


 メイは数度立ち寄ったことがある、テミスのコロニーを思い出しながら尋ねた。


「3週間前。あなたが返ってきた翌日、発ったの」


「えらく急だったのね。ああ、それであたしとの朝食が放棄された訳だ。まだ開発途中だけれど、居住コロニーは完成してるから、ある程度住みやすいわよ」


「あんな岩だらけのところが?」


 サエコは憮然として言った。


「まぁ、風景はね。でもコロニー内は、地球に似せて造ってあるから、緑もあるし、それほど荒涼としたところではないわよ?」


「でも、ドームがないと生活できないところだわ。太陽光も届かない酷寒の地。青空だって人工のものでしょう? 天気予報表まであるそうじゃない。管理された模造の自然なんか……。ドームの外が暗黒の風景だと考えただけでもいやだわ」


「あのね。サエコ。地球ってあたしたちが生まれ育ったところよね」


「そうよ。当たり前のこと聞かないでよ」


「この地球の環境が、動植物すべてと、この自然を創ったのよね?」


「地球史のお勉強? メイ」


 サエコはくすくす笑った。


「そうよ。この地球だからこそ、あたしたちは生身の身体で、無防備に生きていられるのよ」


「そうね」


 サエコは当然だと頷いた。


「だからね、サエコ。他の惑星や衛星に、地球と全く同じ環境を望んでも、叶いっこないの」


「分かってるわよ。だから地球から出たくないのよ!」


「順応性がないのねぇ、あなたは……」


 メイが呆れた口調で言うと、一口コーヒーを飲んだ。


「生まれ育ったところが一番いいだけよ。メイ? それって当たり前のことだと思わない?」


「う―――――ん」


 メイは答えに窮した。地球を離れることに、それほどの未練も執着もなかったからだ。


「でもね。サエコ。あなただって旅行くらいするでしょう?」


「もちろんよ」


「旅先の風景がすてきだとか思わない?」


「そりゃ、思うわよ。ドゥーシー・コロニーにはない風景を見たら、そりゃすてきだと思うわ」


「それよ! 地球以外の星だって、そういう眼で見れば、けっこういいところよ?」


 メイは、じっくりとサエコの疑問に答えていった。


「旅は旅だからそれで済むのよ。そこで生活するとなったら、そんなこと思わないわ」


 サエコが大声を出した。


「生活? まさかテミスに移住する訳じゃないでしょうね?」


「その、まさかなのよ」


「へぇ……」


 メイもちょっとびっくりして聞いていた。


「地球時間で10年はいる予定らしいわ」


「離れて暮らすには長すぎるわね」


 メイの言葉に、サエコも本当に困った顔をしていた。


「子どもも生まれるし、やはり一緒にいるべきだと思うのよ」


「当然の発想ね」


 メイは頷いて続けた。


「それで、サエコは行こうか行くまいか迷っているから、あたしに相談って訳?」


「違うわよ。行きたくないけれど、行かざるを得ないってところよ」


「そうね。行くしかないとあたしも思うわ」


 メイは、なんだ答えが出てるんじゃないと安心した。


「メイったら、簡単に言ってくれるじゃない! 私には一大決心なのよ!」


 サエコが膨れた。


「ごめんなさい。地球を離れることが、そんなに重要だと考えたことなかったから。それに太陽系内じゃない。いつでも地球に里帰りできる距離よ?」


「あなたって、本当に地球に執着がないのね。その感覚のほうが私には理解できないわ」


 サエコが不思議そうにメイを見た。


「そうね。あたしはあんまり明るすぎるところは、苦手なのかもしれないわ」


 メイはくすくす笑って続けた。


「漆黒の闇の中で、仄かに輝いている星の明るさのほうが、あたしは落ち着くの」


「寂しい風景だわ」


 サエコが少し眉根を寄せた。


「価値観の違いね。穏やかな風景よ。安息の音。あたしにはそう感じられるわ」


 メイは肩を少し上げた。


「私にも少しでもそう見えればいいのにと思うわ。そうしたら、こんな不安も少しは和らぐかもしれない」


「人は適応力ってものがあるの。きっと、慣れるわ。10年後には帰りたくなくなっているかもしれないわよ?」


「そんなの絶対に無理! そもそも私は行きたくないんだもの!」


 サエコは声を荒げた。


「子どもみたいな駄々をこねないの。だって、行くしかないって自分でも分かっているんでしょう? 心が拒否したって、あなたは行くしかないの。受け入れようとする気持ちを持ちなさい。地球に固執し過ぎよ? あなた」


 メイはたしなめるように言った。


「ごめんなさい。そうよね。分かってはいるのよ。でも、どうしても怖いの。行きたくないのよ。地球がいいの。この重力が安心なの」


 メイは、この堂々巡りを切りたかった。


「あなたの気持ちは分かったわ。それで? あたしに何か用事があったから呼び出したんでしょう? この愚痴を聞かせるためだけに、呼び出したわけじゃないんでしょう?」


 メイは話題を変えた。


「そうなの。実はね。あなたの貴重な休暇を私のために、諦めて欲しいの、テミスへ行くために……」


「諦める? よくわからないけど、いいわよ? あたしにできることなら協力するわ。テミスへ向かう荷造り? 諸々の手続き?」


「それはもう済んでるわ」


「それじゃ、何かしら?」


「私と一緒にテミスへ行って欲しいの」


 サエコの言葉にメイはちょっと驚いた。


 子どもじゃあるまいし、宇宙船に乗るだけの話だ。いや、船にはアテンダントもいる。子どもだけでも、星へ行くだけなら、不自由なく連れて行ってくれる。


「よく分からないけれど、かまわないわよ。あなたの付き添いってことね。でも、どうして?」


 メイは不思議そうに小首を傾げた。


「心細いのよ。地球を離れることが。それに……」


 サエコは言葉を濁した。


「宇宙へは一度も行ったことがないの……」


「まぁ! 今時珍しい人ね。修学旅行とか研修とかで行かなかったの? それにあなた、ポート勤務じゃない。それでも一度も行ったことがなかったの?」


「ええ。幼いころから、当日になると『自家中毒』になって、吐いたりして寝込んじゃってたの」


「自家中毒症(ケトン血性嘔吐症)」。明らかな原因もなく食欲不振、悪心・嘔吐、腹痛を起こす、過度の緊張等の外的ストレスが起因だと言われる病気だ。


 つまりサエコは、宇宙へ行くことが恐怖のあまり、自分の内臓を自由に操って、病気になって逃れていたって訳だ。


「そう。今はどうなの?」


 メイは、サエコの顔を覗き込んだ。


「たぶん……。子どもの病気だからね。大丈夫だと思うわ。でも、ものすごい恐怖心があって、一人ではとてもポートまで行かれそうにないの」


 サエコの言葉はメイには全く理解できなかったが、自分は彼女ではない。


「分かった、付き添うわ。あたしがいるから安心して。それに、地球を足元に見るのも、けっこうすてきよ? 怖いことなんか何もないわ。地球の重力を離脱して、星々の中を旅するって、あたしは大好きよ」


 メイは、たまには他人が操縦する船に乗ってみるのもいいと思った。


 ヘルメスにアクセスし、テミスに寄港する船を検索した。


「出発は明日の昼ね。テミスまで3日か」


「ええ」


「じゃぁ、丸一日向こうにいられるわよ。小旅行ね。あたし、明朝アパートメントに戻って支度するわ」


「今夜は泊ってくれるの?」


 サエコがあからさまにほっとした表情をした。


「あなたさえよければ。それに、せっかくのビーフストロガノフだわ。赤ワインを傾けながら、地球最後の夜を、楽しみましょう」


 メイはサエコを安心させるように微笑んだ。

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