第24話 高橋由里16

      二十四


 高橋由里は周囲の期待を裏切り、順調にメイド仕事をこなし続けていた。

 そもそもリリィは懲罰のようなものとしてメイドにされているので、頼まれる仕事に重要度もなく、求められる水準も決して高いものではない。貴族令嬢としてお高く留まって好き勝手に生きてきたリリィにとっては、メイドに堕とされる扱いなど屈辱的でしかないのだろうが、由里は違う。下っ端メイドとして働くのは、学生時代のバイトとさほど変わらず、何の問題もなかった。

 むしろ、こちらの世界に来て早々、貴族令嬢として振舞えと言われた方が問題だらけだったろう。しきたりも知らず、貴族が何たるかも分からず、オドオドとすることしか出来そうもない。

 だが、リリィ・マクラクランである以上、周りがそれを許さなそうだ。

 リリィ・マクラクランというのは、きっと貴族令嬢たちの作るカーストの最上位に君臨し、権力をほしいままに振舞っていたのだから。他の貴族令嬢と目を合わせれば、おしゃべりと称した苛烈なマウント合戦が繰り広げられ、その身に纏うもの一つとっても、全ての貴族令嬢が羨望の眼差しを向けるモノでなくてはならず、憧憬と嫉妬の中心に常に身を置かなくてはならないのだ。そして、勝ち続けなくてはならない。

 そんなこと、由里には絶対無理だった。

 城内で仕事中に時折見かける貴族の令嬢同士がバチバチと火花を散らして微笑みあっているのを見て、うすら寒い恐怖だけを感じてしまう。だが、メイドである今の由里は、貴族令嬢が通るたびに廊下の隅に控えて頭を下げるだけでいい。あんな無謀で無意味な気がする戦いに身を削られるよりは、よほど精神の健康によさそうだと由里は頭を下げながら安堵していたほどだ。

 メイドの下っ端である今の由里は、命令通りに仕事をこなしていればいいだけなので、肉体的な疲労を除けば、メイドの仕事はそこまで大変ではなかった。

 まあ、リリィは脳内で喚き散らしっぱなしではあったが……。

 初めはうるさくて仕方なかったリリィの金切り声も、慣れとは恐ろしいもので少しずつ気にならなくなり、今では意識してリリィの声を雑音として切り離すことも難しくなくなった。

 唯一メイドの由里にとって、大変なことといえば、やはり周りの目と態度である。

 さすがに由里がどれだけ真面目に仕事をこなしたとしても、元々のリリィの悪行があんまりにあんまりらしく、いつまで経っても信頼度はゼロだ。なので、常に仕事中は誰かしらに監視されている。元々引き立て女として脇役で生きてきた由里は注目されることに慣れていないため、監視の視線が常にあるのはやはり気になって仕方がなかった。

 ただ、その監視というのも一概に悪いことばかりではないのだ。

 悪役令嬢リリィ・マクラクランは、どうやらメイドさんたちにも良く思われていないらしい。少しずつ任される仕事の種類が増え始めると、メイド長以外のメイドさんと関わる機会も増えたのだが、一様に皆のこちらを見る視線が冷たかった。

 そんなメイドさんたちは、もちろん今回の機会を逃すはずもなく、今までの雪辱を果たすかのように態度や言葉で圧力をかけてきた。

 リリィの態度を思えばしょうがないことなのだろうが、由里にとってはあまりうれしいことではないし、何より無関係の貧乏くじでしかない。しかし、監視の目があるおかげで、そのメイドさんたちの圧力も苛烈にはなりえなかった。なので、圧倒的ないじめや復讐というよりは、ちょっとした嫌がらせ程度に抑えられていた。

 今も由里は、他のメイドさんたちに重い方の荷物を多めに任せられて、それを倉庫まで運んでいる。

 全ての荷物を運べとかは言われないし、無理難題を吹っかけられることもない。由里が一人でいる部屋に外からカギを掛けられることも、モノを隠されることもない。されるのは、無理すればギリギリ出来そうなくらいの仕事を押し付けられることくらいだ。

 リリィの中に入っていながら、この程度の報復で済んでいるのは、ラッキーなのかもしれないなと、由里は割り切って仕事をしていた。

(……何せ、リリィって誰かに殺されるくらいには恨まれてるんだものね……。)

 荷物を運びながら、そう心の中で独りごちる由里。

 思えば、監視の目もリリィの身に危険が及ばないようにする意味も少しくらいはあるかもしれない。

 あの高潔そうで誠実そうな団長さん辺りは、そのくらいのことも考えてくれたりして……と、由里は希望的観測をすることにしていた。

 倉庫までの道のりは重い荷物を持ちながらではかなりのモノだ。

 半分くらいの所で、由里は腹部に違和感を覚えて思わず立ち止まった。

「……っ。」

(……ちょっと、痛いかも……。)

 どうやら無理をしたせいで、まだ治りきっていない腹部の傷に差し障りがあったようだ。

 由里は、その場で荷物を下ろし、どうしたものかと途方に暮れた。

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