第15話 高橋由里11

     十五

 

 高橋由里は、突然現れた騎士のような男の腕の中で、どうしていいか分からず緊張していた。

 拒絶する間もなく一瞬にしてその逞しい腕で抱き上げられたのだが、如何せん由里には男性に対する免疫がなさ過ぎた。幼い頃からの初恋を拗らせ過ぎたため、社会人になっても恋人の一人はおろか、異性とデートをした経験も無いのだ。かなりの人数での飲み会や親睦会で取り留めのない会話をしたくらいしか異性と触れ合った記憶はない。

 だが、そんな由里の気も知らず、この騎士のような男は軽々と由里を抱き上げ、しっかりとホールドしたまま馬に乗り移動を始めた。

(……ど、ど、どう、どうしたら?)

 動揺しているせいで何も名案が浮かばない。

 先程まで剣を向けられて命の危機を感じたばかりだというのに、その動揺も収まらぬうちに別の角度からの動揺が由里の柔な心を揺さぶる。視線を上げれば、すぐ近くに騎士のような男の精悍な顔が目に入り更に動揺と緊張が増すことは由里にも確信できたので、視線をうろうろと森の中へ無理矢理向ける。

《……ミハイル。よりにもよって、何でこの男なんですの!》

 動揺したままの由里の脳内に、リリィの怒声が響く。

 由里は少しでも男性との距離が近すぎるという対処不能の現状から気を逸らすべく、リリィの声に意識を集中させた。

《由里!お気をつけなさい。このミハイルという男は、本当に嫌な奴なんですのよ!》

 どうやら、この由里(正確にはリリィの身体だが)を抱き上げている騎士のような男はミハイルというらしい。由里は一つ学習した。

 そのミハイルが由里を抱き上げたまま森を進んでいく間もリリィの説明は続く。

《この男が私の妹のセレナと早く婚約して捕まえておかなかったせいで、ルイ殿下が妹の毒牙にかかるような事態になってしまったんですのよ。近衛騎士団長でありながら、何とも間抜けで意気地のないことですわ。この男はセレナに懸想していながら、セレナを逃がす愚か者です。》

 リリィが怒りのままに捲し立てるのだが、内容があまりにセンシティブなので由里は冷や冷やした。

 しかし、こんなパーソナルでセンシティブな内容を扱っているのに、ミハイルという騎士に何ら動揺は見られない。それどころか感情の揺らぎ一つない。ただ、淡々と由里を抱き上げたまま森を進んでいるだけだ。

(……やっぱり、リリィの声って私にしか聞こえてないみたい……。)

 リリィの声が他人には聞こえていない事実を、由里は妙なところで実感していた。

《セレナに懸想して、あの子を聖女と崇めるような哀れな男ですの。だからといって、私に対しての態度があまりにも酷すぎるのよ!人のことを罪人か何かだと思っていて、私の足に枷をつけたのもこの男ですのよ!それどころか、こんなところまで追ってくるなんて、どれだけ暇なのかしら?》

 リリィは唾棄するような口調でミハイルを罵る。

 由里は近衛騎士団の団長という役職がどれだけの地位なのかは分からなかったが、若くして出世しているエリートであることは理解出来た。その上、リリィの話の断片から王子の信頼も厚い側近的な部下なのだということも何となく分かった。だからこそ、きっと重要任務であるリリィ捜索に駆り出されているのかもしれない。まあ、それだけリリィが問題視されていることに他ならないのだが……。彼は絶対、暇なのではない。

(……それに、何となくだけど、悪い人じゃなさそう……。)

 怪我をしている女性に対して、それが悪役令嬢っぽいリリィに対してでも紳士的に振舞ってくれるところからみても、誠実で公平な騎士なのだと推測できる。

(……リリィは、このミハイルって人に無茶苦茶言い過ぎだよ。婚約のことだって、逆恨みっぽいし……。)

 罵詈雑言をまき散らすリリィに、由里はどちらかというとというか圧倒的にミハイルの方の肩を持ちたくなった。

《当て馬でしかない己を悔いることも無く、幸せを祈ってるとかぬかしやがりますのよ、この男は。救いようがない愚か者でしょう?》

 由里だって、愛する人は他の人の夫になってしまった。それも、よりにもよって妹の咲良のである。よく考えたら、リリィだってそうだ。妹のセレナという人に、婚約者の王子を奪われたとさっき言っていた。

(……少なくとも、私たちがそれを言ったらダメだよ、リリィ。)

 どうせリリィには諭すような言葉は届かなさそうだし、何より今口を開いたら意味不明の独り言を話す変人になってしまう。なので、心の中だけでリリィを諭す由里。どうやら、リリィの言葉は由里にしか聞こえないのと同時に、口に出さなければ由里の言葉もリリィには届かないらしい。

 まだリリィは恨み節を続けていたが、由里は意識の外に追いやった。

 それぞれの事情で愛する人を手に入れられなかった三人が、それぞれの思いを抱えながら森を進む。

 ミハイルの腕の中で馬に乗った状態で進む由里。一行は、由里が闇雲に森を進んでいた時とは速度が段違いである。

 馬が進むにつれて、少しずつ森の様子が変わっていく。

 それほどの時間も要すことなく、一行は森を抜け街道へと到着した。

 街道へ到着した一行を、ミハイルの部下らしき同じ装束を着た騎士たちが出迎える。

「団長。」

「ミハイル団長。」

 団長であるミハイルがその腕にしっかりとリリィ(由里)を確保しているのを確認して、部下たちが頷き合う。

 そのまま言葉少なに街道を進みそうな雰囲気を察して、由里は勇気を出して口を開いた。

「あ、あの。」

 今まで大人しくしていた由里が、急に口を開いたことにミハイルは警戒を見せるが、無視することはなかった。

「何だ?」

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