第9話 ミハイル・アイゼンバッハ1

    九


 近衛騎士団長ミハイル・アイゼンバッハは焦っていた。

 本来ならば今頃は、幼い頃から仕える王子ルードヴィッヒの婚約式の警護に着いているはずの時間だった。

 だが、突然のトラブルにより近衛騎士団長である自らが出向かなければならない不測の事態が起きていた。このままではこの国の将来を担っていく王子とその夫人になる方の婚約式に何らかの問題が起きることさえ考えられる。そうなれば輝かしいはずのこの国の未来に影を落とすことになりかねない。婚約式の中止すら進言することも考えたが、既に式は始まっており、だったらむしろ自分が場を収めるために出向くことで何事も無く式を遂行させられたらと、そう決意しての行動である。

 街道を全速力で馬を走らせながら進む。

(くそっ。なぜこのようなことにっ!)

 舌打ちしながらも馬の速度を更に上げるために鞭を入れる。

「はっ!」

 乗り慣れた愛馬は、主人の気持ちを察するかのごとく、更なる気合いで速度を上げていく。

 猛スピードで街道を進む騎士の姿は緊迫した状況の象徴である。

 街道を通り過ぎる者たちも何事かと思い、通り過ぎていく騎馬の姿を目で追っていく。

 通り過ぎたのが近衛騎士団長本人であることを知ったら、通行人たちはどれほどの驚愕と不安を感じるのであろうか?むしろ恐怖すら感じてもおかしくはない。

 民心を悪戯に不安がらせることは得策とは言えないが、そんなことを差し置いても団長自らが疾駆せねばならぬほど事態は緊迫していた。

『悪名高き侯爵令嬢リリィ・マクラクランの失踪。』

 婚約式の警備責任者として指揮をしていたミハイルの元に、その知らせが届けられたのは先ほどの事である。

 今朝、今までの悪逆非道の行いの数々の責を負わされ、かの令嬢が修道院へと永久追放されることになった。だがよりにもよって、その修道院への護送中に何らかの問題が発生したらしい。いつまで経っても軟禁予定の修道院に護送の馬車が到着したという報告が届けられることはなかった。出立時刻から考えても、昼過ぎには到着するはずの馬車がである。

 現在は午後の日が傾き始める時刻。

 午前から始まった婚約式は式典などを終え、夕刻からは婚約披露の宴へと移り変わり佳境へと進んでいく予定だ。

 各地の斥候を使い、すぐさま情報を収集したが、どうやらかの令嬢を乗せた馬車は街道の途中で忽然と姿を消したらしい。予定ルートの半分を過ぎた辺りで、目撃情報がぱたりと消えたのだ。

 酷く嫌な予感がして、いても立ってもいられず、ミハイルは自ら捜索の任に当たることにしていた。

 この国で王子の婚約者としての身分を笠に着て、己の欲望のままにふるまい続けたリリィ・マクラクラン。あまりの暴虐さに王子自らが断罪することになるまで、かの令嬢の愚行は止まることはなかった。

 王子ルードヴィッヒと新しい婚約者となったリリィの妹で聖女として名高いセレナ・マクラクランの二人によって成敗されることになり、ようやく王国に平穏が齎されようという矢先、またもあの令嬢によって王国に悪夢が齎されることは何としても避けねばならない。

(……あの女ならば、護送の最中に逃げ出し、婚約式をぶち壊しに来るくらいのことはやりかねない。)

 どれだけ厳重に護送しても、どんな手を使っても逃げ出しそうなしぶとさを持つからこそ、あの令嬢は今まで好き勝手に振舞っていてもなお中々断罪まで漕ぎ着けられなかったのだ。その上、ずる賢い策略家で、人の弱みを握るのが天才的なのがかの令嬢の強みである。騎士たちも知らぬ間に、自分の手駒をどこかに潜ませていても何らおかしくはない。

 周到に護送計画を立てたつもりでいたが、それでもかの令嬢相手では全く足りなかったと見える。

 ミハイルは自らの愚かさに唇を噛んでいた。

(……あの方の幸せのためにも、何としてもあの女を捕らえる!)

 自らの失態は自らの手でけりをつける。そう決意して、ミハイルは馬を走らせる。

 その脳裏には美しい聖女の面影が浮かんでいた。

 

 

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