喋ることを止めないパロットの物語
綾村 実草@カナリア一巻発売中
第1話 パロットはお腹が空いています (1/3)
「ごはん! ごはん! ごはん! ごはん!」
かわいらしくもけたたましい女性の声が辺りに響く。
そこは辺境の田舎町であった。
「ごはん、食べたい! 食べたい! たっべたーい!」
カカポという名の田舎町に、飯が食える場所は一ヶ所しかなかった。その町に似つかわしい、酒場を兼ねた古びた宿である。
辺境故にその町を訪れる旅人は少なく、酒場を利用するのは地元の民がほとんどであった。
「ここ、ごはんくれるんでしょ? ごはん! ごはん!」
地元の民がほとんどで、それも大体が飯ではなく酒を飲みに来たむさくるしい男ばかりで、とどのつまり、こんなにごはんごはんと喚き散らす女の声はあきらかに場違いであった。
「ピーピーうるせぇよ!! ヒヨコか!! おまえは!!」
酒を飲んでいた誰かが大声でそう叫んだ。
そして、ようやく女の声は止まる。
しかし、それも一瞬のこと。
「ヒヨコじゃないよ! パロットだよ! 私パロット! お腹空いたの! ごはん! ここで食べられるんでしょ!」
再び上げられた大声の元に、そこにいる全員の視線が集まった。
入り口にいたのは、パロットと名乗った一人の少女であった。
長いぼさぼさの灰色髪。一筋の赤い髪束があるのは、元の色がそうだったのだろうか。
中背よりはやや小柄で、服というよりはぼろ布を一枚巻いただけの、みすぼらしい姿をした少女である。
そんな彼女を一瞥した皆は同じことを思った。
こいつはどこから来たんだ? と。
誰もがすぐには動かなかった。皆が皆、酒を飲む手を止めて不審な少女を見定めたのだ。
ある者はすぐに面倒事の臭いを嗅ぎつけた。ある者は助けることを考えた。ある者は自らの私欲を考えた。
しかし、あまりにも不審過ぎて、場違いで、誰もがすぐには動けなかった。そんな中、酒場の主人がここは自分の場所だと言わんばかりに口火を切る。
「おい小娘! 金はあるのか!」
それは、商売をする側からすれば真っ当な質問。しかし、返答はそうではない。
「金? なんだそれ? うまいのか? うまいのなら食べるぞ。 金くれ、金!」
その回答は、彼女の中身を全員にぶちまけたものであった。
この世の中に金を知らない人間はいないのだ。
嘘をついた様子などみじんも見せないその少女を、やはり全員がこう思ったのだ。
頭がおかしいやつだと。
この時点で、その場にいた大半の人間が少女から興味を失った。
未だに興味を持っていたのはごくわずか。
親切心を持った男と悪意を持った男たちのみである。
「かーね! かーね!」
自分が何を言っているのか、パロットは理解していないのだろう。いや、理解していたとしても、はた目には理解していないかのように彼女は振舞う。
耳に障るが大半が無視を決め込む中、ここでは珍しい一人の旅人が、飲み終わった空のマグを持って酒場のカウンターに足を向けていた。
彼の名はシロッコ。年の程は壮年を過ぎ、体こそまだ締まってはいるが、肌には傷と共に年が刻まれ、白髪も隠し切れない量になりつつある、引退していてもおかしくはない頃合いの冒険者であった。
「あれは、この町の人間か?」
シロッコが聞いた先は、先程パロットに金の有無を確認した主人であった。
「いや、見たこともねぇ奴だ。こんな町に一晩に二人も来客とは珍しいとは思ったが、お前さんの連れ……なわけはないか」
主人の言葉にシロッコも頷く。互いに無関係だと確認したあとで、未だにカネカネとわめく声を後ろに、シロッコはカウンターに小銭を並べた。
「追加の酒と、何か温かい食べ物をくれないか」
酒場の主人は一旦は頷いたものの、並べられた金の枚数を見るなり、シロッコに視線を向ける。
「多いぞ」
その通り、シロッコの出した金額は、ここらの食事の相場よりも明らかに多いものであった。
酒場の主人もそれはわかっていた。多ければありがたく受け取っておけば良いものを、彼は多いと言って返す。
この一言で、シロッコは、主人がぶっきらぼうではあるが善い人だと理解する。その後ろにある言葉もなんとなく推し量るが、あえて彼は自らの意図を口にした。
「一食分、彼女にもだ」
金は再度差し出されるが、主人はそれを受け取りはしなかった。
どうしてだとシロッコが口を開く前に、主人は目だけで小さく合図する。
シロッコはその先を追うことはしなかった。ただ、経験に基づいた感覚で言わんとすることを理解する。
「おう、そんなに金が欲しいなら、くれてやるよ」
カウンターに立つシロッコの耳に届いたのは荒々しい声。恐らくは、最初にパロットに対して文句を言った男だろう。
シロッコがカウンターに向かって動いた時点で、その男はパロットに向かっていたのだ。
シロッコは振り返らぬまま内心で舌打ちした。
一人だけならまだしも、他に二人の男たちがパロットを取り囲んでいることを気配で察する。
「ほんとか!」
「ああ、そうだ。でもただじゃないぞ。なに、飯の前にちょっと外でいいことするだけだ」
「いいこと? なんだ?」
「それは……」
少女と交わされる品のない会話の行先は、自ずと知れたもの。
シロッコのやろうとしていたことは、善意の施しであった。しかし、今この場で進んでいるのは私欲と消費である。
割って入るべきか。そうシロッコが逡巡しかけたところで、カウンターが軽く叩かれた。
「一人分だけ用意してやる。ちょっと待っていろ」
シロッコの意識を前に戻したのは酒場の主人であった。立ち位置的に何が起きているのか見えているだろうに、彼はそこで起きていることを無視してシロッコと応対を続ける。
けれども、それは口と対応のみ。彼の目つきは違う。
シロッコはその主人が悪人だとは思っていなかった。だから、あえて素直にそれに従う。
酒とパン、粗末なスープの入った器。すぐに出されたそれらの横には、小片の紙が添えられていた。
『ここでは手を出すな。そいつらはこの近くに根城をおいた賊どもだ』
読んだシロッコは、その紙をそっと戻しつつ、食べ物を持っていくためにトレーを要求する。
シロッコは、年相応といえばそうだが、冒険者として長く経験を積んできていた。
だから、彼は理解していた。
こんな田舎町では、飯を席まで運んでくれるサービスなど無いことも、ガラの悪い連中が我が物顔でのさばっていることも、そして、自分と相手の力量もである。
正義感に溢れた若者ならば、すぐに少女を救うことを考えたかもしれない。しかし、それを選ばないぐらいにシロッコは老いており、思慮深かった。
空いている席に戻ったシロッコは、何食わぬ顔で酒とスープを飲んだ。
その間に、少女はガラの悪い男たちに連れられて酒場から出ていった。
そして、水ものだけをゆっくりと、十分に時間をかけて腹におさめたシロッコはおもむろに立ち上がる。
普段であれば、こんなところでわざわざ食器を下げるなど、行儀よくする必要はない。
しかし、シロッコはトレーを持ち、またカウンターに向かう。
カウンターでシロッコを待ち受けたのは、険しい表情のままの酒場の主人。
主人はシロッコの戻したトレーの上に、パンが手を付けられずに残っていることを見て、深いため息をついた。
それは、年経た者同士の意思疎通。
シロッコの意を理解した主人は小声で話しかける。
「店の裏に回って少し行ったところに空き地がある。多分そこだ」
「ありがとう」
「何もなければ戻って来い。部屋ぐらいは用意しておいてやる」
会話を終えるなり、主人はパンをもう一つ出してトレーに置いた。
部屋だけではない。連れて帰ってきたら二人分の飯も用意するということなのだろう。
明示された親切心に感謝したシロッコは、頷きを交わして店を後にしたのだった。
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