第一章 旅の目的
一日目
第一話 授命族の少女
夕飯時になり、食卓には暖かそうな料理が既に並んでいた。妻のシャムが腕によりをかけたご馳走だ。
「ゲルグ! ごはんできた!」
娘のアイリスがおれを呼ぶ。アイリスは九歳の娘にしては珍しく、父であるおれの事をパパでは無くゲルグと呼ぶ。
「ゲルグ、食べるわよ」
妻もまたおれの事を名前で呼ぶ。恐らくアイリスは妻の真似をしたのだろう。
「いつもありがとな」
「なによ、急に」
シャムはくすりと笑う。
「それじゃあ召し上がれ」
その言葉を待ってましたとばかりにアイリスは料理に手を伸ばす。恐らく、一日中友人と走り回ってきてお腹が空いているのだろう。おれも一足遅れて料理を口に含む。
「美味しいな」
「なによ、さっきから」
自然と感謝が口からでる。結婚してから感謝を言う機会は減っていたが、今日はしきりに感謝の言葉が出る。なんだか久しぶりな感じがしたからだ。
「ねえゲルグ、あの子だぁれ?」
ふとアイリスが指さす。指さす先を見ると、灰色の髪を持つ、痩せた少女がリビングで眠っていた。
「レーテー」
つい先ほど俺が名づけた名を口にする。
その瞬間、暖かい我が家は暗く冷たいあの日の我が家に変わっていた。金目のものは盗まれ、家のものはあらかた壊されたあの日に。そして、シャムとアイリスは物言わぬ死体に変わっていた。
「ゲルグ」
死体の目が開く。
「私は死んだのにあなたは生きるの? 生きてまた新しい子を連れて行くの?」
「あの子は私の変わりなの?」
目が覚めると既に洞窟の外は明るく、眩しかった。日はそれなりに高い位置にあり、長い時間眠っていたようだ。
どうやら夢を見ていたようだ。失った妻子の夢。もう十年も昔の事だ。どうして今になって……。
思い出したかのようにレーテーを見る。レーテーはまだ眠っていた。なれているかのように硬い岩肌の上で気持ちよさそうな寝息を立てている。ここが快適なベッドの上だというように。
あの夢のいうとおり、この子はアイリスの変わりなのか。いや、それは違う。この子は国を救うための家畜だ。死ぬために俺と行く、ただそれだけの家畜だ。
荷支度をすませ、未だ眠るレーテーを起こす。
「おい……起きろ」
何度揺すっても起きないので、仕方なくレーテーを背負って出発することにした。未だ疲れが残る身体には、得物の大剣とレーテーはかなり応えた。
目的地はここから西にしばらく進んだ場所にあるガーランド市場だ。ガーランドでは失った食糧と、レーテーの服を買わなければならない。
レーテーは貫頭衣のようなものを着せられていて、みすぼらしい。その上、汚く臭いもする。
さらに今の季節は寒い。薄い貫頭衣で、凍え死なれてはたまったものではない。
そして
買うものは多いが、ガーランドなら安価で手に入るだろう。
「おいレーテー、出発するぞ」
背負ってもなお目を覚まさないレーテーに語り掛ける。何も知らないヒトには俺達は孫と祖父にでも見えるだろうか。
道中、レーテーは寝言で「やめて……ちゃんとゆうことはきくから……それだけはやめて……なんでもするから……」と度々呟いていた。
森から出て、民家がちらほらと見えだした頃、ようやくレーテーは目を覚ました。
「ゲルグ、おはよう」
「ようやく起きたか」
頭のすぐ後ろから話しかけられる感覚が懐かしい。
「どこにいくの?」
背中からでもきょろきょろと辺りを見渡しているのがわかるくらいだった。
「あんたの服を買いにガーランド市場に向かうところだ。その服じゃあ寒いだろう?」
寒いと言う言葉がいまいちわかっていないのか、答えずにひょいと背から降りる。ようやく気が付いたが、レーテーは裸足だった。
裸足のままレーテーはぺたぺたとついてくる。この道は靴を履いていてもごつごつしているのが分かるぐらい荒れていると言うのに。
「痛く無いのか」
俺の問いにきょとんとした顔をする。
「ほれ」
俺はレーテーを抱き上げる。今までは剣と一緒に背負っていたが、レーテー単体だとそれほど重くは無かった。昨日は暗いとこからしかレーテーを見ていなかったが、いざ見てみるとレーテーは骨が浮き出るほど痩せていた。
その時、二人の腹からくぅーという情けない音が漏れる。
「……お腹、空いたな。何か食べたいものはあるか?」
そう言えば朝は何も食べていなかった。木の実でも摘んでいけばよかった。
いつものように大した返事をしないと思っていたが、今回ばかりは食べると言うことが分かっていたらしく、すぐに返答が来た。
「おにく……食べてみたい。ヌスミ……ドリのやつ」
ヌスミドリか。この少女は酒飲みが食べるようなものがお好みのようだ。名前も付けて貰っていないくせに変な事を知っている。
ヌスミドリは酒のつまみに食べると美味いという食べ物だ。酔った若者が店から盗み取るほど美味しい事からその名が付けられたそうだ。そこそこ高価だが、ちょうどこれから行くガーランドにはヌスミドリの串焼きが有名な店がある。串焼きならばそれほど高くも無い。
「良いだろう。服を買った後なら食わせてやる」
「やったぁ! わたしヌスミトリ食べるのはじめて!」
ニコニコと喜ぶレーテーに思わず笑みが零れる。昨日からレーテーは少し俺を警戒している様だった。これをきっかけに信頼を得られればいいのだが。
昼前にはガーランドに着いた。今日は休みの日なのか、地面が見えないくらいヒトがごった返している。いつもならイライラするが、今日はレーテーを隠すのにちょうどいい。
市場でレーテーほどの子どもをおんぶしていると目立つので、降ろすことにした。はぐれると困るので手を繋いでいく。
買い物客は一様に楽しそうに家族、または友人と会話している。昨日の収容所の事は特に伝わっていないようだ。追手が来るまでは、まだ時間はあるはずだ。
時折、警備の兵士の姿を見てぎょっとするが、上手い事ヒト混みに紛れてやり過ごした。
「ゲルグー、おなかすいたー、はやく食べたいー」
さっきからレーテーは、ずっと早く串焼きを食べたいとぐずっている。俺も腹が減っているが、先にレーテーの正体を隠す服を買わねば。心なしか、道行く人の視線がレーテーに集まっている気がする。
「いつ食べれるのぉ?」
「まだだ」
レーテーは聞き訳の無い幼子のようだ。そんな事を思っていると、服屋が幾つか見えてきた。
その中から防寒着を売っている店を見つけ、商品を選び始める。
「ゲルグここで買うの?」
「ああ、どれがいい?」
そう言われるとしばらく服を物色し始めた。
「ゲルグ、レーテーってお花の絵がついてる服ってどれ?」
「なんだ、お前、レーテーの服が欲しかったのか。すみません、レーテーって花の服ってありますか?」
笑顔で俺達を見ていた店員に問う。
「レーテー? そんな花知りませんね」
「そうですか」
レーテーの花は〈薬の国〉にしか生えていない。〈命の国〉の店に無いのは当然か。
「無いらしいな。他の物を選べ」
「そうなの……」
それきり、レーテーは服を選ぶことは無かった。
仕方ないので俺が代わりに選ぶことにした。とりあえず暖かそうな栗色の服を手に取る。
「これ、幾らですか?」
「それは……銀貨七枚ですね」
「七枚か……」
払えない事も無いがこれから続く長い旅には痛い出費だ。
店員は俺が払えないのを見透かしたのか、俺に耳打ちした。
「おじさん、払えないんでしょ? だったらその子の髪、たった一房くれればその服タダであげますよ」
「断る」
「そうかい」
結局、安かった若草色の防寒着を買ってその店を後にした。店員がレーテーの髪を要求したのは、恐らく髪を売る為だろう。
その後、髪を隠せそうな厚手なニット帽と、ふかふかな手袋、履きやすい靴を買って昼飯を食べる事にした。店を周っている間、ずっとレーテーはお腹が空いたと言っていた。
「もうおなかぺこぺこ! はやくヌスミドリ食べよ」
レーテーは俺の服の裾をしきりにゆする。
「そうだな、そろそろ食べるとするか」
俺は服を買う途中で見つけておいた、ヌスミドリの串焼きで有名な店に向かう。
「ダイゼン亭」
思わずその店の名を呟く。
「はやく入ろう!」
「そうだな」
店の中に入ると、若者が多く、賑わっていた。子どももいたが、まばらだ。
「いらっしゃい」
店主のフランメが挨拶する。俺は軽く会釈し、空いた席にレーテーを連れる。
「注文してくるが、ヌスミドリでいいよな?」
「うん!」
そう言うとレーテーは店をきょろきょろと見渡し始めた。
俺はフランメに注文する。フランメはこの国でも使える者が僅かしかいない、魔法を使って料理をするという。魔法の炎を使った料理は普通の火で作った料理とは段違いだそうだ。
「ヌスミドリの串焼きを四本貰えるか」
フランメは、魔紙から出る炎を使って別の料理を使っていた。立ち上る炎は大きく、フランメの長い山羊髭に燃え移りそうだ。
俺は魔法が使えないので詳しくは無いが、自分の魔力を特別な紙に込めて魔法を使うそうだ。
「あいよ。串焼きは、一つ銅貨三枚だ」
俺は銀貨一枚と銅貨二枚を渡す。(銅貨十枚で銀貨一枚の価値だ)出来上がるまで少しかかると言うので、席に戻ることにした。
だが、席には誰もいなかった。
「レーテー?」
あのレーテーの事だ。近くをうろついているのかと思ったが、店内に姿は無い。その時、ぽんと肩を叩かれる。
「あんた、あの子の父親か何かか?」
振り返ると先ほどまで馬鹿騒ぎをしていた若者だった。
「そうだが」
「実はついさっきここに座っていた女の子が、ガラの悪そうな連中に外に連れていかれたんだ——」
最後まで聞かずに俺は店先に飛び出していた。
「ゲルグ! 助けて!」
声がするほうを向くと、ガラの悪い二人組が、人混みをかき分けながらレーテーを担いで逃げようとしていた。
「レーテー!」
俺は二人組に、向けて走り出す。こんな所でレーテーを失う訳には行かない。
「人攫いだ!」
道行くヒトの誰かがそう叫び、自然と道が開く。
「おい! あいつ追いかけて来やがったぞ!」
「しかたねぇ、俺が足止めするから、先行ってこい!」
「おう!」
足止めすると叫んだ男は、俺に向き直ると、懐からナイフを取り出した。街中でナイフを抜くとは、そうとうレーテーが欲しいようだ。
「あんたには恨みはねぇが、大将のために死んでもらう」
俺は、走っているそのままの速度で、男に飛び蹴りをする。
「かかってこ……がぁは⁉」
飛び蹴りは男の顔面にまともにあたり、バキリと嫌な音がする。そのまま男は突き当りの建物に叩きつけられた。
すかさずもう一人を追いかけようとしたが、既に街中に消えていた。
このまま追跡するのは不可能と判断し、倒れた男の胸倉を掴み、問う。
「おい、レーテーをどこに攫った」
だが、男は何か言おうとしたが、すぐに気を失ってしまった。俺の全体重と、荷物、それと大剣の重さで蹴ったのだ。当然か。
しかし困ったことになった。早く見つけなければ〈薬の国〉に危険が及ぶ。
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