終幕 これは始まりの物語

第42話 悲劇では終わらない

(あーあ、私も焼きが回っちゃったなあ……)


 魔族の襲撃事件から数日の時が流れた。


 シャロンは杖を突きながら、一人でサラマンドラ国とは違う国への旅路を進んでいた。


(どうしてセンちゃんだけでなく、あんなゴミみたいな男庇うような事言っちゃったかなあ)


 旅路の中、振り返るは足を怪我した日の行動。


 逃げようと思えば無視して逃げる事なんて簡単に出来た筈だし。


 もっと殴られないようにする方法だってあっただろう。


(でも、あの時は何でか、どうしても嫌だったんだよねえ……)


 そもそもシャロンがそこまで執拗に殴られたのは、女の嫉妬だけが原因ではない。


 むしろ最大の理由は、センを守ろうとした事にこそあった。


(私が邪魔しなかったら、あいつ等絶対に無理やり扉を抉じ開けてセンちゃんを無茶苦茶にしていた……)


 自分が取り入るのに邪魔なセンを殺したかったのか。


 それとも研一への恨みから腹いせにセンを弄びたかったのかは、当人ではないシャロンには解らない。


 ただ狂気に歪んだ血走った眼と、そこに込められた想いがセンに向いてしまうのが、どうしても嫌で嫌で――


 殴られても蹴られても、必死で扉を抑え続けていただけ。


 ――そして途中で意識を失い、気付いたら治療を受けていたのだ。


(ま、そんな下らない思い付きで、こんな事になってちゃ世話ないけどね……)


 そうして動かなくなってしまった自分の右足に、シャロンは目を向ける。


 膝から下に全く感覚がなかった。


 目で確認すれば繋がっているのは解るが、目を瞑れば切れて無くなっていると言われた方が納得出来るくらいに何も感じない。


(やばっ、泣きそう……)


 もう散々に泣いて踏ん切りは付けたつもりだった筈なのに。


 それでも治療は絶望的で二度と動かない可能性の方が遥かに高いのだと思うと、どうしても涙が出てくるのを抑え切れそうになくて――


「お、てめぇだな? 姫さんから大金貰った女ってのは……」


 その時、男の声がした。


 全身から俺は野盗だとでも主張するような粗暴な雰囲気の男で、下卑た笑みを浮かべながら武器を構えていた。


「人違いじゃないです? 私は怪我して役立たずになったから旅団を追い出されてしまっただけの、哀れな哀れな元踊り子ですよ」


(あーあ。こんな事なら意地なんて張らずに姫様の誘い受けとけばよかったな……)


 怪我の理由を知ったサーラは、これからずっと面倒を見てくれると言ったが、シャロンはその申し出を断っていた。


 城に居れば、どうしても殴られた時の事を思い出して辛くなるのもある。


 けれど、それ以上にここでサーラの世話になって与えられるままに生き続けていくのは、今までの自分の努力や苦労を全て否定するみたいで、受け入れ難かったのだ。


(せめて護衛を付けるって話くらいは受けとくんだった……)


 いくら断っても、それでは気が済まないというサーラにシャロンは暫く生きていくに困らないだけの大金と、別の国への紹介状だけ受け取る事にし――


 サラマンドラ国とは違う回復魔法が発展している国に、一縷の望みを賭けて旅立った矢先に、この始末である。


「はっ、しらばっくれても無駄だぜ。そのピンクの髪の毛、あの時殴られてた奴と同じ色だ」


 男の正体はフェット一味に居た戦士の一人であり、シャロンが暴行を受けている現場を偶々目撃していた者だった。


(あれから突然フェットの旦那は行方不明になるし、姫さんも急に仲間達を牢にぶち込み始めてるからなあ。慌てて国を出てきてどうしようかと途方にくれてたが、ツいてたな)


 何もなければフェットが居なくなっても、変わらず男は悪事を働いてサラマンドラ国で過ごしていただろう。


 だが、サーラがフェット一味を精力的に捕まえている事に加えて、まことしやかに囁かれている噂に、女を逃げられた腹いせに救世主がフェットをブチ殺したという話がある。


(確かに城から女達を連れだしたのは俺達だけど、その後逃がしたのは姫さん達だぜ。とばっちりもいいトコだぜ……)


 実際フェットは行方不明になっているし、甘ちゃんで知られているサーラが秘密裏にフェットを始末したとは考え難い。


 そうなるとフェットを殺せる程の力を持っている人間なんて、あの国には救世主である研一以外に居る訳がなく――


 救世主が国民を虐殺しているなんて体裁が悪いから、殺される前に慌ててサーラがフェット一味を保護しているというのが、男どころか国民達の総認識になっていた。


 ――無論、これはサーラが研一に少しでも憎悪を集める為に流した偽装工作だ。


(そういや、牢暮らしが長いせいで随分と御無沙汰だったな……)


 フェットの下に居た頃は、いつでも好きな時に売れ残りの魔人の落とし子を抱けた。


 女と言うには幼く肉付きの悪い奴等ばかりで愛想も無くて不満だったが、それでも今思い出せば楽しい生活だったと思いつつ――


(あの救世主が数々の美姫の中から選んだ唯一の女、か……)


 丁度、目の前には欲求を満たせる相手が居る。


 それも極上の獲物だ。


「くっ――」


 急に変化した男の雰囲気から、何を考えているか理解したシャロンは咄嗟に逃げ出そうとするが、まだ杖生活になってから日が浅いのが災いした。


 方向転換しようとした瞬間に足がもつれ、逃げるどころか転んで地面にうつ伏せに寝転がるように倒れてしまう。


「お、何だ。自分からヤられ易い格好になってくれるとはサービスがいいじゃねえか」


 男は素早くシャロンに近付くと杖を蹴飛ばして、遠くに転がしてしまうと――


 そのまま覆い被さって、シャロンの服に手を掛けた。


(くそっ! こんなところで――)


 きっと犯されるだけでは済まないだろう。


 金を奪われた挙句に、殺されて埋められる。


 そんな絶望の未来を想像し、それでも諦める事無く逃げ出そうと必死でシャロンが身を捩ろうとしたところで――


(え?)


 急に覆い被さっていた男の重さが消えた。


 代わりに狐のお面を付けた男が自分を見下ろしている事に、シャロンは気付いた。


(今度は何!?)


 状況的には、この狐面の男が助けてくれたのだと思いたいが、人助けをするのに正体を隠す意味なんてないだろう。


 おそらく自分という獲物を男から横取りしようとした新しい敵だと身構えるシャロンに、その考えを裏付けるように面を被った男が屈んで身体を近付けてくる。


(え、何コイツ!? 脚フェチの変態!?)


 かと思うと服を脱がすでもなく、ズボンの上からシャロンの足を撫で始めた。


 丁寧に何かを確かめるように這い回る手の動きに怖気のようなモノを感じて、悲鳴が出そうになる。


「動かないのは右足の方か……」


 シャロンが悲鳴を上げてしまうより一瞬だけ早く狐面男の口から短い言葉が漏れ――


 その瞬間、右足に触れていた狐面男の手が輝いて、熱い何かが流れ込んできた。


「なに、これ……」


 撫でても叩いても感触一つ感じなくなっていた筈の右足が燃えるように熱くなり、シャロンは思わず呻き声を零す。


「多分これでもう動くようになった、筈。動かなかったら女神に文句でも言ってほしい」


 突然ヘンテコな面被って現れて、突然何を訳の解からない事を言ってるんだと思うシャロンであったが――


「え、嘘! 何で!?」


 狐面男の言葉が真実であるとでも告げるように、動かなくなっていた右足が動いた。


 感覚も怪我をする前と同じように戻っており、嘘じゃないかという思いに何度も自分で足を撫でたり抓ってみたりするが――


 感触や痛みが消えてしまう事はなく、確かに足は治ったようだった。

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