第47話 退職金、1円(一縷の父親編)

 大量のアルコールを飲んでも、記憶を飛ばすことはできなかった。一時的でいいので、記憶を飛ばしたかった。


 アルコールの大部分は抜けたのか、思考回路は正常に戻りつつあった。


 私服でいいといわれるも、スーツ姿で会社にやってきた。プライベートな服で、他の社員の笑いものにされるのは耐えがたい苦痛だ。

 

 会社に入った直後、社員から白い目を向けられる。職場で働いている人間は、家であったことを既に知っている。


 下を向いていると、部長に声をかけられた。


「キミ、部長室に来なさい。いろいろと話をしなくてはならない」


 部長の目を見ると、穏便な処分は期待できそうになかった。数分後には職を失い、新しい仕事探しに追われる。年齢も年齢なので、良い条件で就職するのは難しいと思われる。


「かしこまりました・・・・・・」


 会社のために、ここまで力を尽くしてきたのに。過去の労力はすべて、水の泡となろうとしていた。


*部長室


「キミ、自分のしでかしたことの重大さはわかっているよね」


「は、はい。存じております」


 実行に移したのは妻、娘の二人だ。こちらは何も悪いことはしていない。


「娘から渡されたテープレコーダーだ。もう一度聞きなさい」


 母、娘は「死ね」、「出ていけ」などの暴言を連発。


「娘から聞いたのだが、ご飯を食べさせないだけでなく、水分もとらせていなかったみたいだね。君たちのやっていることは殺人未遂だ」


「そ、それは・・・・・・」


 部長は腕を組んだ。


「息子を殺そうとする男を、雇用継続するのは厳しい。申し訳ないが、すぐにやめてくれないか」


 30年も会社に力を尽くしてきた男が、退職推奨を受けるなんて。あまりの屈辱に、歯ぎしりをしてしまった。


「退職推奨に応じない場合は、警察にすぐに通報する。わが社では犯罪を犯した者は、懲戒解雇で1円も出せない。解雇された経歴がつくことで、今後の転職にも響くだろうな」


「ちょうかいかいこ・・・・・・」


 部長は小さく頷いた。


「そうだ。退職推奨に応じないなら、逮捕、懲戒解雇処分が待っている」


 懲戒解雇になるくらいなら、退職推奨に応じたほうが今後のためになる。


「わかりました。本日をもちまして、退職させていただきます」


 部長はあらかじめ準備していたと思われる、退職届を目の前に置いた。


「退職届にすぐに記入してくれたまえ。名前のところには、印鑑を押すように」


「かしこまりました・・・・・・」


 退職届を記入したあと、部長はコホンと咳をする。


「キミの犯した罪のせいで、取引先からキャンセルの電話が入っている。損失の大部分を、退職金から補填させる」


 退職届を提出したあとに、補填の話を持ち出すなんて。後出しじゃんけんは、あまりにも卑怯すぎる。


「損失分を差し引いた退職金はどれくらいですか?」


 会社のために30年以上働いてきた。50パーセント増なので、1500万円くらいはもらえるはず。


「損失を差し引いたら、1円だな。これまでおつかれさん」


「い、いちえん・・・・・・」


 部長は腕組みをする。


「本来は-5000万くらいになるけど、温情措置で支給するんだ。感謝されることはあっても、羨まれるようなことはないはずだ。退職につながったのは、君たちの行いによるものだから、完全に自業自得だ」


 30年間働いてきたのに、退職金は1円だけ。人をなめくさるにも、ほどがあるだろ。


 部長は財布から1円玉を取り出し、机の上に置いた。


「キミはこれから部外者だ。会社には近づかないでくれたまえ。近辺をうろちょろしたら、警察に通報する」


 部長を強烈に睨みつけるも、顔色一つ変えなかった。

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