台風の日

 後藤さんが夏の始めに体験した出来事だそうだ。


「僕はね、もう一度あの体験をしたいと思っているのかもしれないよ」


 そう言う彼に起きた出来事は夏の始め、気温が上がってきてそろそろ夏だなと思ってきた頃のことだ。


 あの日は台風が来ていたんですよ。天気予報だと夜から雨になっていたんですが、少し残業して帰っていたらまだ夕暮れだというのに雨雲が急に湧いてきて雨を降らせてきたんです。


 すぐに土砂降りになって風と雷も近寄ってきたので急いで家路をたどりました。まだ就職して地元を離れてすぐだったので内陸と比べて台風がどれくらいか感覚が掴めていなかったんです。


 スーツはクリーニングに出すかと思いながら鞄を抱えて走ったんです。やっとの思いでアパートに着いたらさっさと鍵を開けて部屋に入りました。びしょ濡れだったので防水でしたが不安になってスマホを取り出してタオルで拭ってからスリープを解除しました。ディスプレイはきちんと映っており、電源にも問題なさそうなので安心してテーブルに置こうとしたんですが、手を離しそうになったときに電話がかかってきたんです。母からと表示されていたので電話に出ました。


 電話では『雨がすごいでしょう、大丈夫?』とか『風邪をひかないようにしなさいよ』とかの心配とお説教をいくつか聞いて、『ちゃんと健康に気をつかってお務めするのよ』と言い、そこで電話が切れました。


 風邪を心配するなら着替えてからかけて欲しかったななんて愚痴を言いたくなりながらも服を脱いでシャワーで体を温め部屋着に着替えてベッドに飛び込んだんです……ただ何か違和感があったんですよ。


 何がおかしいのかすぐに分からなくて考えていたんですが、よく分からなくて気を紛らわせるためにスマホを手に取ったところで思い出しました。母は去年亡くなっていたんです。卒中を起こして倒れているのが見つかって救急車を呼んだそうですが手遅れだったそうです。葬儀には僕も出ましたし、きちんと斎場まで行き、納骨にも立ち会ったんです。だから……母からかかってくるなんてあり得ないはずなんですよね……


 慌てて着信履歴を確認しましたが母からの電話は履歴から消えていました。画面の上に目をやると電波は圏外表示になっていました。


 これは二重の意味でおかしいんですよ。母から着信があったことはもちろん、後日知ったのですが、携帯電話の基地局への送電線が切れて電波が届かなくなっていたんです。だから母から以前に電話がかかってきたこと自体がおかしいんです。説明のつけようがないんですよね。


 ただね……また台風が来たら今度はきちんと話を聞こうと思っています。あの時はお説教を鬱陶しいと思っていましたが、またかかってくることをどこかで期待しているんですよね。もっとも、台風が直撃するようなことがあるのかどうかや、台風と母からの電話に何の関係があるかも不明なんですけどね。


 言い終えて彼は喫茶店の窓から外を見た。つられて見ると真っ青な空が一面に広がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る