深い
これはナオキさんが昔に体験したことだそうだ。彼は今でこそ水場に近寄らないし、この町中で泳ごうと思えばプールに行くくらいしかないが、昔住んでいたところでは川がすぐ近くにあり、当時は夏に川遊びをするのが普通だった。
彼も当然のように川で遊んだ経験がある。エアコンなんて物は高級品で、少し暑いからと安易に使っていいものではなかった。そのおかげで涼むために川に入るというのは当たり前だった。
「昔は普通に子どもだけで川で泳いでましたよ。それは珍しい事じゃないんですけどね……」
彼が少々暗い顔になった。
それは彼が小学生だったとき、ある八月の夏休みに友人たちと川で遊んでいた。夏の暑さと水の冷たさが心地よい。衛生的にどうなのだなどという大人もいなかった時代だ。ヒルに吸い付かれるようなこともあったが、引っぺがしてそのままという医師が見たら卒倒しそうな雑なこともしていた。大人に相談したところでヒルなどタバコを押しつけて剥がされるだけなので皆それほど気にしていなかった。
そんな時、ナオキさんは川の中に立っている少年を見つけた。知り合いしかいなかったはずだけど……とは思ったが、その少年が手招きをするので何かあるのだろうと思いそちらに向かった。
転校でもしてきたのかな? と思いながら少年の方へ近寄ったとき、突然足が水を掻いた。足下が深くなっていて突然のことだったので泳ぐのに必死だった。あの少年は立っているぞ? とは思いながら必死に泳ぎ、岸の方へと近づいていく。何故か身体が妙に重く、なかなか進まない。足には何か藻のようなものが絡んだ。それを引きちぎるように力を入れて泳ぐと、気が付いたときには足が川底に着くところまで来ていた。
友人たちが『お前どうしたんだ? あっちは深いのに泳ごうとでも思ったのか?』そう言われて、あそこに立っていた少年のことを聞いたが、誰一人その少年の存在を知らなかった。少し怖くなり水から上がると皆で悲鳴を上げた。
足に絡んでいたのは藻ではなかった。髪の毛が足にベタベタと張り付いている。大人にいうかどうかの会議が始まったのだが、これを話すと遊泳禁止になりかねないということで、ナオキさんの足を水に付け、髪の毛を気持ち悪い間食を我慢して足から剥がして流していった。
足には少し赤い跡がついたが、水から上がって靴下をはけば見えなくなったのでこの子とは子どもたちだけでの秘密となった。
それから彼は図書館であの川での事故について調べたそうだが、昔の話なので川で溺れるという事件は珍しくなく、ざっと見ただけでもすぐにいくつも見つかったので、どれか一つに特定するのは諦めるしかなかった。ただ、彼は学校を卒業するまで川に入ることはなかった。
「これが私の体験した一連の流れです。あの少年が今もいるのかは分かりません。ただ、税金がその川に使われ、護岸工事などがされて、遊泳禁止の立て札が立っているのでもう誰かを引き込むことはないと思います」
彼の体験談は以上だ。今ではもうあの少年を見ることはないだろうが、彼は『遊び相手が欲しいならもう少しマシな方法があったでしょうに』と少しだけあの少年に同情している様子だった。
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