ドアの向こう側

「いい話なのか怖い話なのかは分からないんですが……」


 あらかじめそう言ってから、絵美さんは自信の体験を語ってくれた。


 まだ大学生の頃です。夏休みということで帰省をしたんですよ、サークルにも特に入っていませんでしたし、そもそもサークルをやる気のある人がほぼいない……まあそういう大学でした。


 ただ、帰省は少し憂鬱だったんです、なにしろどことは言いませんが結構な田舎でしたからね。せっかく某県庁所在地にいるというのに、娯楽のほとんどが無いつまらない場所なんですよ。


 彼女に教えてもらった場所を後で調べると、限界集落とまでは言わないが、そのうち消えそうな集落が出てきた。それはともかく、彼女の経験した話だ。


「免許を取ってからの帰省ということなんですが、親に教習所の代金を払ってもらいましたから、その負い目もあって帰ったんです。今にして思えば、車が必須の地域の実家なのでいずれ帰ってきてくれと暗にメッセージを送っていたのかもしれません」


 彼女は車を買ってくれるかも、と言う下心もありつつ実家に帰省した。特に娯楽のない田舎だが、ありがたいことにネット通販という物があるのでどうしようもないなんてことはない。時代の進歩に感謝しつつ、彼女は家で自堕落な生活をしばし続けた。


「当然ですけど、来年からはこんなにダラダラも出来ませんからね。モラトリアムの中なのでせっかくだからたっぷり休もうと思っていました」


 彼女の両親が出かけた時のことだ、実家には車が両親の分しか無い。そこで遊びに行こうと思えばパチンコくらいしか娯楽が無い。この際どうしてこんな田舎町にパチンコの商売が成立しているのか不思議なくらいだが、娯楽が無いよりはマシだろう。そう考えて彼女が立った時だった。


「なんて言うか……腐った卵……学校の実験で作った硫化水素の匂いが一番近いでしょうか、吐き気を催すまでは言いませんが、なかなかに刺激の強い匂いでした」


 どこからその匂いがやって来ているのか分からない。そんな時に玄関チャイムが鳴った。


 玄関に向かうと『絵美ちゃん、開けてくれるかしら』とよく知った○○伯母さんの声がした。付き合いの長い相手なので玄関を開けようとして気がついた。鍵は閉まっていないのだ。田舎特有の、家の中に誰かいるのに鍵を閉めていない状態だった。その事は伯母さんだって知っているはず、そう考えると気持ちの悪い匂いが濃くなってきた。


 どうやらあの匂いの元は玄関かららしい。


「絵美ちゃん、開けてちょうだい」


 なんとなく不吉な感じがした彼女は、玄関から離れて自分の部屋に入り、イヤホンのをつけ、大音量で流して声が聞こえないようにした。する時が遠くなって寝てしまったのだが、目が覚めた時には母親の心配そうな顔があった。てっきり自分のことを心配しているのかと思えば、どうやら違うらしい。


「母は伯母が急病で集中治療室に入っていると言いました。伯母さんには申し訳ないんですが、助からないだろうなと直感しました。家族の車で病院に行ったのですが、やはりというべきか、伯母は亡くなった後でした」


 それからため息をついて彼女は言った。


「伯母さんなんですけど、結婚をしているんですよね。伯父のところには現れなかったようですが、どうしてもっと近しい人ではなく姪の私のところに現れたかがさっぱり分からないんですよ」


 そう言って彼女は席を立った。私は絆というものは本人にさえ分からないのではないだろうかと思った。彼女は今、県庁所在地で一人暮らしをしているそうだ。目下の悩みは『実家に帰ってこい』という両親の圧力らしい。

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