生の渇望

 誰のものとも知れない悲鳴が、無数のイミュニティと味方を巻き込む爆撃により命ごと掻き消されていく。


 誰もが予期しなかった大量の乱入者により、拮抗していた外道同士の戦いは最早カオスの一途を辿りつつあった。


 誰を狙ったかも分からない銃弾が動く影を追って飛翔し、後頭部を吹き飛ばされた兵士の死体が肉の壁に押し潰されてミンチ肉と化する。


 誰が誰と戦っているのかすら分からない状況下、唯一相手を認識して火花を散らしていたのは、皮肉にも人間からかけ離れた姿をした化け物同士。


『さっさと死ねウジ野郎!』

『失せろくたばり損ないが!』


 互いにみっともなく罵り合いながらも、吹き荒れる暴力の嵐はまさしく本物。 周囲の物体や時折飛来する榴弾等を尽く破壊しながら暴れ狂い、余波で屑肉化した死体をうずたかく積み上げていく。


「ごめんね皆、今の私にはこれくらいしかしてやれない」


 再び死していく捻くれたイミュニティ達の断末魔を、超自然的繋がりを通して受け止めながらアイオーンは詫びる。 だが、戦いから目を背けたワケでは無い。 相手は無法者と未だ全容が不明な怪物。 綺麗事を抜かして立ち上がることを拒否すれば、待ち受けるのは確実な破滅の他なし。


「もっと私に力があれば……」

『詫びる必要など無いぞ新たな主。 ヤツをくびき殺すには十分すぎる電源だ。 我が戦しかとご照覧あれ!』


 アイオーンの自責の念を吹き飛ばさんとするランパートの鬨の声が、闇を震わせ遠く木魂する。 当然、その言葉は相手取っているミューテイトにも伝わり、戸惑いと苛立ちの念波がアイオーンの意識に直接滑り込んできた。


 この状況を招いたのは全て己の失態によるものであるにも関わらず、ミューテイトの尊大な態度に変わりはない。


『小娘! この騒動はお前の仕業か!』

「仕業も何も、私は知らない誰かの勝手な都合で連れて行かれたくないの!」

『私を困らせるな! 無知なるものは賢き者の導きに従っていれば良い!』

「……それがあなたの本音なのね。 私は論ずるに値しないただの飾り物だと」


 アイオーンの激しい拒絶の意志に呼応して、ランパートの強靱な肉体が再度躍動する。 血に濡れた拳がキチン質の殻を砕く都度に、汚い色彩の殺人光線が隆々とした肉体を焼くが、変異を起こした後のピースキーパーが全く堪えなかったのと同じく、ランパートの五体は何故か小揺るぎもしない。


『グオッ!? おのれえええ!!!』

『どんな戦いも最後に信を置けるのは自分の身体だけ。 お前のようなくだらん飛び道具頼りの棒切れに負けはしない』

『ほざくな生きたラジコンがぁ!』


 今まで取り繕ってきた理性の仮面に隠されていたのは、ただひたすら野蛮で凶暴なゴロツキの顔。 あらゆる生命を文字通り粘土細工の如く玩んできた外道のツラに、雄のヒグマの全長より巨大な拳が何度も容赦なく叩き込まれた。


『グウバァアアアア!?』

『やかましい死ぬときは黙って死ね』


 激しい憎悪を語気に混ぜながら、ランパートはミューテイトの身体に貼り付いた殻を乱雑に剥ぎ取っていく。


 決着は付いた。 ランパートがトドメを刺しに行く背中をジッと眺めながら、アイオーンはホッとため息をつき、気を緩めた。


 ――刹那、彼女の首筋に死神がそっと息を吹きかける。


『本当にそうかしら?』

「ッ!」


 クスクスと嘲るように笑う、自分はお前だと嘯く声。 自由意志の根底に潜む影の警告は、アイオーンの第六感を擽り咄嗟の振り向きを強要させた。


 その先で転がっていたのは、下半身を食いちぎられて虫の息となりながらも生き延びていたコロッサスの身体。 せめて化け物に一矢報いんと這い上がってきた巨漢は、半壊状態だった火砲をランパートとミューテイトの間に向けると、躊躇無く引き金を引いた。


「へ……へへ……」

「ランパート君逃げて!」

『ヌゥッ!?』


 発射の瞬間、衝撃に耐えられなかったコロッサスの肉体は跡形残らず消し飛び、自慢だった火砲も木っ端微塵になる。 しかし命を賭して撃ち出された砲弾は照準通りの場所へと落ち、炸裂した。


 弾頭から溢れ出た焔は床や天井を舐めるように広がっていき、迸った衝撃波は怪物達が殺し合ったフロアを球形にくり貫くように吹き飛ばす。


 まともに食らえばひとたまりも無い攻撃だが、ランパートは避けるどころか敢えて爆風を受けて主人への被害を留める。 しかしそれでも、全ての衝撃を緩和することは出来ない。


 爆風の余波で吹き飛ばされたアイオーンは、石畳の床へしたたかに叩き付けられた。


「んあああ!!!」


 何度も跳ねては転がり全身を強く打とうと涙は出ない。 代わりに美しく艶めかしい肌の上を鮮血の雫が流れ伝う。


「うぐっ……ランパート君……」


 血の混じった咳をしつつ、ゆっくりと身を起こしたアイオーンの眼前に転がっていたのは、全身余さず焼き尽くされ、まだ死んでないだけの物体に成り下がったランパートの無惨な姿。


 何らかの処置を行わなければ今すぐにでも息絶えてしまうと、焦燥感がアイオーンを急かしていくが、同じく辛うじて生き残っていたミューテイトの異様がそれを妨げる。


 炸裂の瞬間に特殊な力場を展開していたおかげか、ランパートよりずっとマシな状態で生き延びていた性根の腐った怪物。 だが、大きなダメージを負ったことに変わりないようで、激しい怒りを醸しながら咆哮を上げた。


『おのれ毛無し猿共! おのれ欠陥品共! この私の顔を潰したのは許さん! 貴様も同罪だ小娘!引き剥いてやる!辱めてやる!二度と刃向かう気が起きないよう、徹底して躾け倒してくれるわ!!!』


 全身に酷い火傷を負い、グズグズにされたミューテイトには最早外聞を取り繕う余裕すら無い。 昏い獣欲に突き動かされるまま、確実にアイオーンの下へにじり寄っていく。


「ッ……」


 ミューテイトの妄執に気圧され、声を詰まらせながら後ずさっていくアイオーン。 その脳裏に再び、己を名乗る何者かの囁きが響く。


『いいのよ私を頼っても。 貴女は人事をやり尽くして抗った。 だから私に身体を譲っても仕方がないことなの』

「譲る?」

『何も怖がることはないわ。 だってそれが私達の在るべき形なのだから』


 必死に考えを巡らすアイオーンを嘲るように、姿無き声は今まで以上に意識への干渉を強め、自ら退くよう迫った。


「私は……」


 恐怖と甘言に揺さぶられ、精神的にも崖っぷちに追い込まれるアイオーン。


 このまま何もかも投げ出したらどれだけ楽だろうと思った矢先、脳裏にふと、いつも傷だらけで無愛想な男の背中がよぎる。


 彼ならばどうするだろうか? 本当にあるかも分からない希望に縋って外道の足を舐めるのか? 誰とも知れない者に言われるがまま、命の行く先を委ねるのか?


 加速する意識の中でミサゴの影を追い求めながら思考し、やがてそれは決意となってアイオーンの足を走らせた。 目標はただ一つ、本性を露わとしたミューテイトの懐。


 アイオーンの身体の底から湧き上がる膨大なエネルギーが、手にしたレリックを介して刃を形成すると、ミューテイトの副腕を斬り落とし、がら空きになった腹部を深々と貫いた。


『グアアア!? 馬鹿な有り得ん! 何も知らないはずの小娘が何故!?』

「知らないわよ、そんなの!」


 困惑するミューテイトの問いなど切り捨てるようにアイオーンは叫び、緑色の返り血で身体を汚しながらレリックを押し込んでいく。 確実に相手を殺す為に。


 無論、ミューテイトも全力で抵抗する。 殺らねば殺られる事態にもつれ込んだ以上手加減は無用だと、アイオーンを撲殺するつもりで残された腕を大きく振り上げた。


『死んでたまるか! 死んで……えっ……?』


 あとはこのまま振り下ろすだけで死から免れられる。 にも関わらず、ミューテイトの動きが唐突に停止する。 嗜虐の欲に満ちていた顔面は恐怖に引き攣り、振り上げられた腕がみっともなく震える。


 何故? どうして? 敵であるアイオーンすら戸惑いを露わにし、時が止まったかのような奇妙な沈黙が場を支配する。


 しかし、場違いな破砕音が頭上から響くと共に、一人と一匹の時は再び動き出す。


 要塞の分厚い天井を貫き落ちてきた何か。 それはミューテイトの頭をぶち抜くと、勢いそのままに石畳の床へ縫い留め、磔にした。


『アガッ……?』


 何が起こったのかも分からぬまま、ミューテイトは恐怖と困惑の渦に呑み込まれ息絶える。 知性生物らしい断末魔を遺すことすら許されずに。


「っ……!!!」

「オーバークロック活動限界到達、及び目標地点までのナビゲーション終了。 こんな無茶な真似ができるなら機械を身体に埋めるのも案外悪くない」


 ミューテイトが確実に絶命したことを確認しゆっくりと立ち上がったのは、本来なら絶対にここまで来られないはずのミサゴ。 彼は地面にへたり込んだアイオーンの姿を認めると、怪物の死骸から飛び降り、彼女に目線を合わせるように膝を付いた。


「汚れたなアイオーン」

「ミサゴくん……どうやってここへ……」

「アンプを異常発熱させて無理矢理岩盤を溶かしながら潜行した。 君の場所は分かっていた以上、俺に諦める選択肢なんて無かった」


 イミュニティ特有の緑色の血で顔を汚したアイオーンの頬をミサゴが不器用に拭うと、彼女の目から自然と涙が溢れてくる。


 アイオーンが泣くのは恐怖からの解放だけが理由ではない。 彼女が目にしたミサゴの姿があまりに無惨で、痛ましかったからだった。


 せっかく甦ったアンプ製の左眼は再び潰れ、全身をキチン質の口吻や棘に貫かれ、無理矢理地殻を気化させたせいかオーバーヒートを起こした胸部装甲下のジェネレータが体外に飛び出し、おびただしい流血と酷いやけどを起こしている。


 生きていること自体が奇跡であるほどに。


「じきに俺の後を追ってハイヴの救援も来る。 帰ろう」

「……うん」


 自らの身体を襲う痛みを堪えながらミサゴが手を差し出すと、アイオーンは涙を拭いながら手を取って立ち上がる。


 ひとまずの危機を乗り越えホッと一息をつく二人。 しかしその様を心底不愉快に眺める者がいた。


『もう少しだったのに……、つまらない展開ね』


 アイオーンの意志に溶け込んだ姿無き声。 それはミサゴを唾棄するように呟くと再び無意識の領域へ帰っていった。


 肉体の主人たるアイオーンの次なる危機を、強く待ち望みながら。

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