滴る骸
『民自連第三浮遊艦隊旗艦“ウルル”へようこそ。 ゲスト搭乗者にはゲストパスの装着が義務づけられております。 万一非着用が認められた場合、その場で制圧の対象となります。 皆様のご協力をお願いします』
「制圧ね、それをやれる兵隊が今どこにいるのやら」
アンプを通して聞こえてくる警告メッセージを聞き流しつつ、ミサゴは艦の狭い通路を、焔の軌跡を描きながら疾走する。
艦内見取り図は既にアンプを介してインストールされているため、地形への激突や迷子の心配は無い。 それより気を配るべきなのは、既に艦へ侵入を果たしているイミュニティによる奇襲。
“カメレオン”とハイヴによって新たに呼称されたそれは、未だミサゴ有する左眼に感知されておらず、いつどこから襲ってきてもおかしくなかった。
「勿体振りやがって……」
幸い、左眼に備わった視線オーバーライド機能のおかげで、部屋ごとの索敵自体は順調に進んでいる。 厳重に管理されているシステムでもない限り、あらゆる監視カメラやセンサーは、ミサゴに見られた時点で情報を一方的に献上する玩具へと成り果てる運命からは逃れられない。
「あるのは同士討ちで果てたと思われる遺体ばかり。 他には捕食痕が残された遺体がごく稀に混じってるだけか」
『ハイヴとしては、無駄な寄り道などせず速やかな艦の制圧を要望する。 パンドラシティの安全さえ確保されれば、後はどこに墜落していただいても結構だ』
「……了解、善処する」
良いビジネスパートナーの危機にしては、随分冷たい態度だと内心思いながらも、話を拗らせないため色よい返事をして通信を切るミサゴ。 さっさと増援を送ってこいというのが本音だが、変に上から目を付けられてフラクタスに潜れなくなるのは御免だった。
「いつまで足止めを喰らえば良いのやら」
乗員が一斉に失せながらも、未だ生きている警備システムの目から逃れつつミサゴは一人呟く。
確実にフラクタスの奧へ歩を進める。
ただそのためだけに、信用スコアがマイナス超過するのを承知でアンプの移植を受け入れたはずだと。 パンドラシティに移送される前のことを思い起こしながら。
しかしその余裕も、目的地の一つだった機関室へ足を踏み入れた瞬間に霧散してしまう。
「……っ!?」
人の死の匂いに慣れきったミサゴですら動揺させたのは、機関室一面に飛び散ったグロテスクなジェル状の物体。 一見、ただの血潮や肉片のようにしか窺えないそれは、プランクトンのように蠕動を繰り返して僅かながらに動いている。
「なんだこれは? ここに詰めていた連中は何処に行ったんだ?」
思わず呟くミサゴだが、精神的動揺を長々と引き摺るほど迂闊ではない。 長く伸ばしたブレードを床に垂らし、左手を握り込みながら、壁を背にして慎重に歩を進めていく。
当然、左眼から放たれる電子光も自然と強まり、収集されるデータもより詳しく多岐に及んでいくが、調査の矛先がジェル状の物体に移った瞬間、ミサゴのただでさえ固い表情がさらに険しく歪んだ。
「惨い」
赤いジェル状の物体から回収された生体情報を解析したところ、判明したのはそれらのDNAがウルルに乗船していた兵士達のデータと完全一致すること。
即ち、生きたままスライム状に加工された人体が、見せしめで部屋中にばらまかれていたのだと、ミサゴは理解してしまった。
「痛い……痛いよぉ……」
「あああああ頭が割れるうううううううううう!!!」
「頼む……誰でもいいから殺してくれ……身体中が引き裂かれたように痛むんだ……」
ジェル状の物体の中を今も駆け巡る生体電流から、加工されてしまった人々が何を語り合い、望んでいるのかが瞬く間に解析され、問答無用にミサゴの脳内へと注ぎ込まれてくる。
五感を奪われ意識だけにされた彼らが、速やかな解放を望んでいることを。
「……最期に何か望みは?」
絶えず注ぎ込まれてくる哀願の声に溺れ、暫し考え込んでいたミサゴは、床に垂らしていたブレードでジェル状の物体に触れると、自分からジェル状の物体に変わり果てた人々へコンタクトを試みる。
すると程なくして、怨嗟と誤認するほどに重い願いが、紅い闇の向こうから殺到してきた。
「殺せ……」
「殺してくれ!」
「艦を掌握される前にヤツを殺してくれ……!」
自分達を破滅へと追いやった化け物への峻烈な憎悪が、感情フィルターに引っ掛かることなく直にミサゴの意志へと届く。
「あぁ、後は任せろ」
ジェル状の物体の中にブレードを沈み込ませたままミサゴが呟くと、刃から自然と生成された劇毒が、彼ら彼女らを安らかな永久の眠りへと誘っていく。
何もしてやれなかったにも関わらず脳裏に響いてくる感謝の輪唱は、ミサゴに深い無力感と敵への憎悪を同時に植え付け、瞬く間に育んでいった。
「ここだけではないはずだ」
殺意と共に溢れ出る激しい暴力衝動を堪えて必死に艦内を駆けるも、往く先々で遭遇するのは、不可逆の変異に晒された兵士達ばかり。 通路、格納庫、そして武器庫とどれだけ場所を変えても、広がる地獄絵図に代わりは無い。
「誰にも背を向けるな」
「根拠なく自分以外を信じるな」
「違和感を感じたら迷わず引き金を引け」
「……言われずとも」
死の嘆願の合間に聞こえてくる忠告を胸に、ミサゴは誰一人取りこぼさず介錯の刃を振るっていく。 そうやって艦内を巡っていくうち、艦の外を見せるモニターにふとアイオーンの姿が映り込んだのを確かに見た。
「すまない、もう少しの辛抱だ」
肩で息をしながら結界を維持し続ける彼女の身を案じつつ、最後の潜伏候補へ向かう。
情報共有申し出に対し、ガウスからの応答は未だ無い。
「……っ」
既に最悪の事態を想定しているのかミサゴの表情は険しく、ブレードとシールドはアイドリング状態になっている。
それでも、これ以上被害が広まらないことを信じて、今はただ飛んだ。
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