第二章 黄泉帰り

後日談的なプロローグ

 後日、二日ほど消息を絶っていたことでエトは軽くお叱りを受けた。

 軽くで済んだのは男に戻ったエトが見るからに生気を失っていたからである。誰もが過ぎた力を使用したことによる反動と勘違いしていたのだ。結界の中でずっと寝てましたと言われてしまえば、緊急避難のようなものかと強く言うことも出来なかった。

 エトにはその誤解に気づく元気もなく、そのおかげで怪しまれることもない。

 こうしてエトの秘密だけは守られたのであった。


「それにしても本当に男だったのだな」

「シイ姉と全然似てないのじゃ」


 アマツとテンコの二人が女でないエトと会うのはこれが初であった。普段であればその感想に物申す所であるが、生憎と今のエトにはその気力がない。


「たしかに姉と弟ってほどの面影はないよね」

「姉弟とは血の繋がりだけを指すものではあるまい。もっともエトの場合は一心同体のようだが」

「まぁ、ほとんど別人らしいんで。あの兄を名乗る不審者の言う事を信じればの話ですけど」

「信じるかはともかく、丸っきり嘘というわけではなさそうよな。シイのみを姉妹としたのは正しかったかもしれん」

「でも、肌の色はともかく、顔の形はエトの方が二人と似てるような」

「そうじゃろうか?」


 テンコはエトの隣に立ってみた。

 そして、アマツが二人の顔を見比べてみると、たしかに骨格などは似ているような気もする。つまり、己とも似ているのだろう。


「やはり、お主も姉妹となるか? 女になる分には記憶を失うこともないのであろう?」

「勘弁してください」


 エトは力なく言った。もうこれ以上知らない家族が増えるのはご免だった。


「軽い冗談のつもりだったのだが」

「何がそんなに嫌なのじゃ?」

「エトは女性となることを忌避しているそうだ。人命に関わる事柄でも起きない限り変わることはないだろう」

「とはいえ本当に元気ないね。もうしばらく休んだら? というか僕たちもそろそろ学園に戻った方が良いんじゃない?」

「さっき連れてこられたばっかなんですが」


 寮を出たエトはふらふらと食堂に向かい、もそもそと食事をしていた所を確保され今に至るのだ。とんぼ返りするのであれば、食事が終わるまで待ってくれても良かったのではと思った。


「しかし、これ以上授業を遅らせるわけにはいかないだろう」

「はぁ、また補修地獄か」


 エトはがっくりと項垂れた。建国祭の三日間は元々祝日なので前回よりはマシとはいえ、気が滅入ることには変わりない。


「今日でもう七日目だもんね。事件があったとはいえ、ほとんど休暇みたいなものだったし。エトがいなくなったりしなければ二日前には戻ってたんじゃない?」

「それはすまんかった」

「余としてはサイバネとの約束も果たせたことだし、むしろ時間を作ってくれて感謝しておるぞ。勿論、高天原を救ってくれたことも心から感謝しておる。個人としても国の代表としても改めて礼を言わせてもらおう」


 項垂れたまま頭を下げるエトを見て、可哀想に思ったアマツは励ますように言った。


「兄上もいなくなってしまうのじゃ?」

「済まない。だが、次の休暇にはまた戻って来ることを約束しよう」

「うむ、では人を呼んで送らせる故、少し待つがよい」

「その前にフジ先生の許可をとらないと。一応まだ特別課外活動中ではあるし」

「俺みたいに勝手にいなくなったらまた問題になりそうだしな」


 そうして未だに仕事を続けていたフジの許可をとった三人はその場で特別課外活動の終了を言い渡され、なんとも締まらない形ではあるが初の実習を無事に終える事となる。

 そして、アマツとテンコに見送られながら学園へと戻っていった。



 はずだったのだが、エトは何故かムラクモに連れられて彼の自宅へ向かっていた。


「なんか接触禁止とか聞いてたんですけど」

「はて? 拙者が接触禁止を言い渡されたのはシイ殿のみ。アマツ様直々に貴殿とシイ殿を別人扱いとすることになった以上、拙者が貴殿と接触することになんの問題が?」


 いつかのサイバネみたいなことを言う人だなとエトは思った。


「じゃあ、自宅謹慎というのは?」

「緊急招集を受けた拙者は今、まさしく自宅謹慎に向かっている所。たまたま同行者がいるというだけのことです」

「そっすか」


 アマツ様、怒ってないといいなとエトは祈る。

しかし、ムラクモがエトを連れ去っていくのを千里眼で確認していたアマツは少し青筋を浮かべていた。


「お疲れの所、ご足労頂き真に申し訳ない」

「いえ、これは自業自得のようなものなので」

「恥を承知で申しますと、エト殿には娘に会って頂きたいのです」

「娘さんに? ひょっとして何かの病気か呪いにかかってるとかですか?」


 エトは恐る恐る訊ねる。もしも今の自分では手に余る厄介な代物であればまた融合召喚をしなければならない。男に戻ったばかりでまた女になるのは彼としても勘弁願いたい所であった。


「先祖代々続く呪いと思っていたのですが、シイ殿の話では召喚獣の扱いが未熟であるが故とのことで」


 ムラクモは浮遊する銀色の球体をエトの前に移動させる。シイによりムラクモから分離され、刀身を基に融合した魔眼の機能を持つ魔装である。


「これはシイ殿が拙者から召喚獣の能力を分離させて創った魔装というものらしいのですが」

『確かに魔装ですね』とユウが答える。

『お前ら分かるのか? つーか、魔装って何だ?』

『ほとんど不可逆の獣装です。召喚士が魔獣化するようなものですね』

『じゃあ、これを戻せってことか?』

『私達では無理です。それを戻せるのはシイさんぐらいでしょうね』

『駄目じゃん』

「すいません。俺には戻せそうにないです」

「いえ、戻してもらいたいわけではないのです」

「えっ、そうなんですか?」

「申し訳ない。気が逸るあまり、話す順序を間違えてしまったようです。道すがら拙者の一族のことからお話ししましょう。家に着くまでには語り終えるようにします故」


 そう言ってムラクモは語り始めた。獣化を受け継ぐ一族のこと。魔眼と短命の呪い。そして、一般的な天上人の伝説と一族の恥部でもある真の歴史。

 エトは他人事のように聞いていたが、十二支たちの顔はすっかり青ざめていた。


「エト殿が伝説にある天上人なのかは分かりませぬ。ですが、拙者の直観と切り離された魔眼はエト殿を真の主と認めているのです」

「えーと、つまり俺がその天上人の生まれ変わりと?」

「おそらくは。そして忌々しいことに我が一族の祖先であるシイ殿、いえ、あの女もまたエト殿に取り憑いているようなのです」

『お前ら何か知ってた?』

『『『『『『『『『『『『……』』』』』』』』』』』』

 

 十二支たちは無言で何度も左右に首を振った。


『まぁ、お前らも俺と一緒に閉じ込められてたもんな。シイならなんか知ってたのかね?』

『現状、完全に近い形で記憶を取り戻しているとしたら彼女以外にありえないでしょう』

『ユウはどうなんだ? 分身とか姉妹みたいなもんなんだろ?』

『私はあくまで使い。端末ですから。彼女は私の記憶を持ちますが、私は彼女の記憶を持ちません』

『ふーん、じゃあ仕方ねえか』

『『『『『『『『『『『ふぃー』』』』』』』』』』』


 十二支たちは揃って安堵の溜息をついた。そして、都合の悪い部分は全てシイに押し付けることを決めて晴れやかな笑顔を浮かべる。ただ、ユウだけはちょっと涙目であった。

 そんな彼女たちを余所にエトはムラクモが語ったことを改めて考える。

 正直言って天上人云々はかなりどうでもいい。全く記憶に無いし、何百年前かも分からない祖先だとか前世の自分のことなどを気にして生きる人間がどれほどいるのかという話だ。

 とはいえ、目の前のムラクモの一族のように負の遺産を受け継ぎ続けていたり、見知らぬ兄が襲ってきたりというのは笑えない。

 一先ず、己のことはともかくムラクモの一族が抱える問題を解決するべきだろう。エトはそう結論付けた。


「ようは娘さんが持つ召喚獣の能力の負荷をどうにかすればいいってことですよね?」

「エト殿への頼み事はその通りですが……」

「召喚獣関連のことは大体なんとかする自信があるんで任せて下さい!」

『だよな、お前ら! 頼むぜ!』

『『『『『『『『『『『『ま、任せて下さい!』』』』』』』』』』』』


 エトからの要請に十二支たちは冷や汗をかきながら必死で頷いた。


「……真にかたじけない」


 感銘を受けたかのように身を震わせたムラクモは跪いて頭を下げた。


「町中でそれは止めて下さいって!」


エトは慌てて頭を上げるよう頼み込んだ。





 そうして、まるで従者のように接するムラクモにエトは戸惑いつつも、ムラクモの自宅に到着した。

 先程までいた御所とは比べ物にならないが、庭のあるそれなりに大きな屋敷だ。綺麗な着物姿のムラクモの妻に出迎えられ、客間に通される。その際には何人かの使用人の姿も見えた。

 ムラクモの一族は隠れ潜むように暮らしていたと聞いていたが随分と裕福そうだとエトは感じた。そんなエトの疑問を感じ取ったのか、ムラクモは恥じ入るように話す。


「拙者としては戒めとして質素な生活を送らねばとも思うのですが、それを体が強いわけではない妻に強いるわけにはいかず」

「いやいや、それで奥さんの体調も良くなったってことはそれで良かったってことじゃないですか!」

「お心遣い感謝いたします。妻が娘を連れてくるまで、しばしお待ち下され」

「は、はい」


 手慰みにお茶とお茶請けに手を付けながら待つこと数分、ムラクモの妻と共に客間を訪れたのは鹿のような角を生やした少女であった。

 まるで十二支みたいだなとの、ある意味失礼な感想を抱くエトを余所に、エトの姿を視界に収めた少女は驚愕するように目を見開いて言った。

 

「そこの方、今すぐ服を脱いで裸になってもらえませんか?」

「は?」


 エトが呆気にとられたのも束の間、少女はムラクモから神速の拳骨を落とされて客間から叩き出された。





 ナナヨは一目で理解した。

 魔眼だけではない。この身を流れる血が、この身に宿る魂が、運命の待ち人が来たと告げていたのだ。


「草薙のナナヨと申します。不束者ですが」

「おい、叩かれたのに直ってないぞ。それと、エトだ。家名は無い」


 衝撃的な発言の連続でついにエトの頭から敬語が抜け落ちた。そして、付け加えるように名を名乗る。


「まぁ! 嫁入りの口上を遮るなんて不躾ではありませんこと?」

「いきなり脱げとか嫁入り宣言するのは不躾じゃないのかよ」


 ナナヨの頭が横合からはたかれる。


「申し訳ありません。厳しく育てたつもりではあったのですが」

「お父様ったら、可愛い娘の頭を何度も叩くなんて」

「どうやら甘やかしすぎていたようです」

「あうっ!?」


 ムラクモは頭を摩るナナヨを追加ではたいた。


「えーと、あんまり叩くのも余所でやって欲しいというか」

「むっ、これは失礼。すぐに言い聞かせますので、しばしお待ちを」

「それより本題に入りません?」


 エトは早く帰りたかった。いい加減飯食って風呂入って寝たいのだ。


「そうですよ、お父様。後は若い二人でと退室してくれませんこと?」

「見合いに来たわけじゃないんだが……えっ、そうですよね?」


 なんだか不安になってきたエトはムラクモに問うた。

 ムラクモが然りと頷けば、ナナヨは驚きを露わに絶句する。


「そんな。そろそろ婚約者を見繕わねばと話していたではないですか!」


 語気を強めるナナヨの様子に、何故そこまでの反応を見せるのかとエトは疑問を抱いた。


『思う一念も過ぎれば呪いですね』


 しみじみと呟くネネに他の十二支たちも頷く。それはムラクモと対峙したシイでは共感できなかったこと。

彼女たちはかつて十二支になれなかった者の悲哀と執念を感じ取っていた。

 

『うーん、これなら主殿が融合召喚まで使う必要はないかなー』

『そいつは助かる』

『その代わり、その子の召喚獣を一部吸収することになるけどねー。後、キスしてもらわないと。あーやだやだ』

「は?」


 ヨウからその手法を脳内に伝えられたエトは思わず声を上げてしまった。





「嫌なら時間をかけて訓練するって方法でも」

「さあ! 早速始めましょう!」

「何でそんなにやる気なんだよ。絶対におかしいって」

「娘が申し訳ない」


 魔眼を取り除くための手法をエトから聞いたナナヨは意気揚々と庭に出た。背後から聞こえてくるぼやきに彼女はくすりと笑みを溢す。

 この湧き上がる高揚感と胸の高鳴り。それが如何ほどのものか余人に分かるはずもあるまい。自分自身でさえ把握しきれないほどの情動が止め処なく溢れてくるのだから。


「(殿方との接吻は初めてですが、今日この時まで貞淑であった過去の己を褒めてあげたいくらいです)」


 逆に言ってしまえば、今日をもって貞淑さを捨てるというわけだが、今のナナヨには迷いが入り込む余地もない。

 シイは魔眼を呪いではないと言った。しかし、短命を強いるほどの魔眼を子々孫々にまで発現させるに至る執念。それこそ呪いと呼ぶにふさわしいだろう。


「(そんなことは分かっています)」


 昨日までのナナヨは己の体質を恨んでいた。それこそ己の才を呪うほどに。

 彼女には類い稀な獣化の才があった。ほぼ常に獣化して過ごすことで魔眼の負荷にも耐えられる。だが、それは獣化による肉体強化が負荷を上回るというだけで、焼け石に水でしかない。

 だが、今の彼女は己の才とそれを授けた先祖に感謝していた。もはや、先祖たちに申し訳ないと思うほどに。お先真っ暗に思えていた苦難の日々さえも輝いて見える。

 ナナヨは目を閉じた。俗に言うキス待ちである。

 そして、エトから躊躇いがちな接吻を受けた瞬間、ナナヨは一族の悲願を電撃的に理解した。獣化が解けて魔眼が消失し、召喚獣の一部が己からエトへ宿ったことが分かるのだ。それが彼女に更なる確信を与える。

 父が言っていたことは正しくも間違っていた。

一族の悲願とは祖先たちから天上人を解放することではない。その一部となって共に輪廻を巡ること。獣化とはそのための法であり、契約だったのだ。

 罪深い一族というのは正しい。だが、それは天上人を貶めたからではない。当時、悲願を達成できなかったことが罪深いのだ。

 そうして、かつて抱いた尊い悍ましい願いも長い年月をかけて歪み、終には失伝してしまった。

 なんと虚しい悲劇か。

 ムラクモが知ればそのまま失伝しておけと切り捨てたことだろう。


「調子はどうだ? 気持ち悪くなったりしてないか?」

「いいえ、むしろ天にも昇るような心地でありました」

「そ、そうか。まあ、こっちとしても上手くいったようで良かったよ」


 恍惚とした表情で告げるナナヨにエトは少し引きつつも、無事成功したことに安堵した。肩の荷が下りて気が緩み、彼の口元も自然と綻ぶ。彼女にはそれが余りにも愛おしく感じられて。


「これはお礼です」

「ん?」

『『『『『『『『『『『『あー!?』』』』』』』』』』』』


 今度はナナヨから口付けを交わし、エトの脳内に十二支たちの絶叫が木霊した。

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