殺し屋だすども
「ふん、いまいましいやつめ……」
事務所には彼ひとりで、大型テレビの音量だけが、その空間に響き渡っていた。
「幹事長にゴマすって、人事で有利になったくせに、えらそうなこと抜かしてんじゃねえよ」
彼は
「ちょっと高い飲み屋に入ったくらいで、マスコミの連中ときたら……」
事件はガセネタだったし、それは下衆野に理不尽な仕打ちを受けた秘書による内部リークだった。
「はあ、せっかく代議士になったっていうのに、ろくなことがない。それもこれもすべて、このクソ野郎のせいだ」
彼はテレビ画面をにらみつけながらテーブルを足で蹴った。
すべての元凶はほかならない下衆野自身なのであるが、そういう人間ほど、自分を棚に上げて周りのせいにするものである。
彼は歯が粉々に砕けるくらいギリギリと歯ぎしりをした。
「ああ、腹が立つ。誰でもいいから君尾のやつをぶっ殺してくれんものか……」
下衆野がそうつぶやいたとき――
「殺してやりましょうか?」
事務所の中に、男性の声がこだました。
「な、誰だ、そこにいるのは!?」
彼がそう叫ぶと、前方のパーテイションの陰から、全身黒ずくめのスーツをまとった男が、ぬうっと顔を出した。
「なっ、なんだ、貴様は!?」
「殺し屋、だすども」
下衆野の問いかけに、男は東北の方言で返した。
「な、殺し屋、だって……?」
「んだす、おいは殺し屋だす。下衆野先生は君尾先生が
「な、君尾を……そ、それは本当かね? ところで君は、なんでそんなに『なまり』が強いんだ……?」
「ははは、なにせ田舎もんだすもんで。殺し屋どしての腕さは自信あらったすども、『これ』ばっかりはどうにも直らにゃったすよ。どうするすか? やりますか? お代はこんなもんになるすども」
殺し屋を名乗る黒服の男は、事務所にあった電卓を取り上げて、パチパチと叩いてみせた。
「……なかなかの代金だな。しかし、あの憎たらしい君尾を始末できると思えば、むしろ安いくらいだ。よし、あんたに任せてみようじゃあないか。費用は前払いか? それとも前金として半分とかか?」
「いやいや、後払いでけっこうだすよ。先に払えなんてやづは素人だすな。おいはこれでもプロだすから。下衆野先生が君尾先生の始末を確認してからでじゅうぶんだすよ」
「ほう。その口ぶり、ただ者ではないようだ。ますますあんたに任せたいと思ったぞ。しかし、本当に事故に見せかけれるんだろうな? わたしに捜査の手がおよぶなど、万が一にもあってはならんぞ?」
「ふふ、ご安心を。なにせおいはプロだすから。まあ、田舎もんだからと、なかなか仕事が取れないのは事実だすどもがな……」
「宝の持ち腐れといったところか。殺し屋の世界もたいへんなようだ。なんにしてもよろしく頼む」
「了解だす。どうせなら、君尾先生を名をおとしめでがら、というのはどうだすか?」
「おとしめる、と、いうと?」
「そう、たとえば……君尾先生が実は、闇献金を使ってのしあがったとか、それが検察にばれて家宅捜索が入るという情報をひそかに入手し、とんずらここうとしてた角で、大型トラックにはねられちゃいました……なんて『シナリオ』を作るんだすよ」
「ははっ、それは傑作だ! マスコミも飛びつくだろう! 君尾のやつはバカ丸出しでこの世を去るというわけか! くくく、すばらしい! それにやつのポストがあけば、そのすきをついて私がのし上がることも可能だ! 最高だ、最高の殺し屋だよ、あんたは!」
「ふふ、どもだす。先生、それでは」
「ああ、すぐにでも『作戦』の決行を頼む! 準備にどれくらいかかりそうかね?」
「おいの実力なら、偽の情報を流して、検察を動かして、トラックの運ちゃんを雇って……せいぜいひと月もあればじゅうぶんだすな。一か月もすれば、下衆野先生のための席はあくことになるすよ」
「それは楽しみだ。ふふ、君尾め。いまに吠え面かかせてくれる」
「それでは下衆野先生、ことが成功したあかつきには、またここに参りますので……」
「うっ……」
黒服の姿はスッと消え、あとには下衆野だけが残された。
「ふふ、私も運が向いてきたようだ。あとはあの男が君尾を始末してくれるのを、のんびりと待つことにしよう」
こんなふうに彼は、誰もいなくなった事務所の中で、笑いつづけたのである。
―― 一か月後 ――
「おかしい……君尾の始末どころか、やつが闇献金でうーたらなんて噂の影一つたっていないぞ……あの田舎者の殺し屋め、いったいどういうことだ……」
コンコンと、事務所のドアをノックする者がある。
「はい、どうぞ」
下衆野が声をかけると、ピシッとしたスーツを着込んだ集団が、ぞろぞろと中へ押し入ってきた。
「な、なんだ、あんたらは……」
「警察の者です。下衆野先生、あなたに殺人ほう助の容疑がかかっています。これが捜査令状です。署までご同行を願います」
「……」
彼は眼前に叩きつけられた一枚の紙切れを見つめながら、気が遠くなっていくのを感じた。
下衆野は考えた。
まさかあの殺し屋が失敗したのか?
しかし、取調室で彼はことの全容を知り、泣き崩れた。
自分のあまりの愚かさに。
そう、黒服の男は作戦に失敗した。
そこまでは確かだった。
だが下衆野が絶望したのはその『理由』についてだった。
殺し屋は東北出身の田舎者だった。
彼が東京に来たのは生まれてはじめてだった。
だから東京の地理がさっぱりわからなかった。
下衆野の恨み言だって、事務所をたまたまとおりかかって耳にしただけだったのだ。
おまけに殺し屋は極度の方向音痴だった。
情報の
それらをするのにさんざん四苦八苦した。
間違って千葉や神奈川へ足を運んだりもしてしまった。
そのうち殺し屋はホームシックに陥って、実家に連絡しようと公衆電話を探したが、きょうびの東京で田舎者がそんなものを見つけるのは至難の技だ。
おろおろして立ち尽くしているところに、交番の巡査に職務質問を受け、すべてを白状したのだった。
下衆野と殺し屋の二人は、いまは仲よく刑務所に収監されている。
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