第5話 夕暮れ
家に帰りたくなかった。
七日ぶりの登校は、思っていたよりも最悪なものだった。出来れば私だって友人の婚約を祝いたい。仲の良いルイーズが愛する人と結ばれるのは喜ばしいことだと、手を叩いて祝福したいのに。
「…………笑っちゃうぐらい、惨めだわ」
朝の雰囲気とは一変して、六限目の授業を終えた頃には教室はいつも通りに戻っていた。変わったことといえば、何人かのクラスメイトが茶化すように二人を揶揄って、婚約を交わしたばかりのエディとルイーズが恥ずかしそうに顔を赤らめるのを何度か見たぐらい。
見たくはないけれど、一番後ろの席からはよく見える。
授業中も、休み時間も、帰り支度をする時だって。
ダコタは自分が腫れ物になったような気がしていた。自分が居たエディの隣では、今やルイーズが微笑んでいる。一度引き裂かれて再度結ばれた二人はきっと周囲から応援されることだろう。
卒業までの半年間を、あのクラスで過ごせる?
きっとエディとルイーズは卒業と同時に結婚するのだと思う。皆が花を持って口々にお祝いする中、背中を向けてとぼとぼと家へ帰る自分の姿を想像した。
(どうしたら良いの……?)
幸せな二人をもうこれ以上見たくない。
だけど、ルイーズは友人だ。
色々な気持ちが込み上げて、ポタッと机の上に雫が落ちた。誰も居なくなった教室の中で一人、声を殺して下を向く。短い間だったけれど、思い出すのはどれもが愛しい時間で。
初めての恋が魅了の悪戯だったなんて。
いわばダコタは、エディとルイーズの痴話喧嘩に巻き込まれたモブ要員だったのだ。二人の恋を盛り上げてドラマチックにするための脇役。
「………っ……うぅ…ッ」
涙を止めたいのに、走馬灯のように良い思い出ばかりが頭に浮かぶ。都合良く利用されて憎たらしいはずなのに、今でも記憶の中のエディは笑顔で微笑む。
堰を切って溢れる涙の止め方が分からず、ぐしゃぐしゃになったハンカチを押さえ付けていたら、ふいに教室の明かりが点いた。ビックリして顔を上げる。
教室の入り口には、魔法薬学の教師であるアルバート・シモンズが立っていた。
ダコタは慌てて立ち上がる。
アルバートは教師でありながらモジャモジャの髪に汚らしい白衣を常時身に付けた、いわゆる「不清潔でイケていない先生」だった。あまり進んで二人になりたくないし、面倒な注意も受けたくない。
「………っ、すみません。もう帰ります!」
「はい。鍵をするので出てください」
そう言うとアルバートはジャラッと鍵束を見せる。
自分がメソメソと泣き腫らしていたことなんて知られたくないので、俯いたままで急いで入り口を通り抜けた。鍵を閉める白衣の後ろ姿に「さようなら」と声を掛けようとした時、勢いよくアルバートが振り返った。
分厚い眼鏡の奥で碧色の瞳と目が合う。
何を言われるのかと心臓が跳ね上がった。
「ヒューストンさん」
「はい……?」
「目の周りに炎症反応が出ています。最近アデルクラインの花粉がたくさん飛んでいますから、花粉症であれば早めに医療機関を受診してください」
「………あ……そうですか」
なんとも気の抜けた返事をしてしまい、ハッとして「失礼します」と言い添えてその場を後にした。
アデルクラインは春から夏にかけて咲く背の高い花で、毎年一定数の人をその花粉で苦しめているらしい。アルバートの親切は有難いけれど、ダコタは花粉症ではないし、アレルギーのために目を赤くしているわけじゃない。
いっそ、そういう一時的なものなら良かったのだけど。
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