第5節 神前決闘

16 / 戦支度

 渡されたセーラー服に着替え終えると、黒沼セラは拝殿の戸を開けて外に出た。


 クリスマスが迫る十二月の深夜。玉兎市西部は付夜山つくよやまの中腹部。十月火神社の拝殿から見上げる空は呆れるくらいに晴れ晴れとしていて星がよく見える。


 視線を下に向け、月代チヨの姿を探す。が、広々とした神社の境内に彼女の姿は見えない。


 あの男——ヘルメスと魔術の儀式でも進めているのだろうか。


 今なら逃げるチャンス。だが、チヨに命令されてしまっている。


「ここで待っててね♡」


 ————と。


 はあ、と息をつき賽銭箱の隣に腰を下ろす。プリーツスカートを手で抑えて脚を折り曲げる。こんな何気ない動作が懐かしく思えるのは、やはりこの服装のせいか。


「…………まあでも。シズクさんと一緒に過ごした時間のこと以外は、何も覚えてないんですけどね」


 思えば、彼女シズクと初めて会ったのもこんな月のない夜だった。


 空を見上げ、セラは思う。


 それから色々なことがあって——セラは上級屍食鬼になり、真祖の断片となり。シズクは上級屍食鬼となった。


 二人とも人間をやめた。しかしセラは人間だった頃の記憶を一部とはいえ維持し、当時の感情を捨てられずにいる。その呪いをかけたシズクは、何もかも忘れて完全な別人になれているというのに。


 身体だって、セラの肉体はもう永遠に成長しないというのに、シズクは成長している。きっとこれからも、ちゃんと身体が成長して、大人になっていくのだろう。


 自分ひとりを残して。


「……ま。いいんですけどね。どうせ私に、未来なんてないんですから」


 先ほど、暁シズクに本心を見抜いてもらえたからだろうか。自分でも驚くくらい真っ直ぐな本心が独り言に反映された。


 人殺しのバケモノ。それが自分だ。

 真祖の血を注がれ、上級屍食鬼としてのを失い、食人衝動を喪失した今となってもそれは変わらない。自分が上級屍食鬼であった頃に殺し、貪った人々のことをなかったことにはできない。


 ゆえにこそ、未来なんてものがあってはならないのだ。


 もっとも宵星アカリは——宵星家の人々は、そう考えていなかったようだが。


 それがアカリの父、宵星ステュアートの遺志だったから?


 いいや違う。セラに真祖の血を与えたのがあの男でなかったとしても、彼女らはセラに未来を与えようとしただろう。


 それは彼女らが生まれついての「持つ者」だからだ。「持たざる者」の考え方をまるで理解していないしするつもりもない。本音を言えば、そんな傲慢さが不愉快だった。

 自分なんかに手を差し延べて何が楽しいのだろうと思っていた。


 ——ああ。でも。あの太白館で過ごした日々は。


「楽しかった、な…………」


 セラは耳を疑った。まさか自分の口からこんな言葉が出てくるなんて。


 これもやっぱり、あの暁シズクのせいか————


 ——ざり。


 玉砂利を踏みしめる音がして、即座に黒沼セラは顔をぬぐって立ち上がった。音のした方を見れば、参道脇の林を抜けたところで、ベージュのダッフルコートに身を包んだ月代チヨがこちらに手を振っていた。


 ここからでもわかる。その臭気。


 濃密な、血のにおい。


 きっと、チヨはいま人を殺した。それも何人も。


 鮮血に溺れたかつての経験がゆえか、セラは確信する。


 けれどチヨは、何事もなかったかのようにコートのポケットからカイロを出した。


「おまたせ、セラちゃん♡ 使い捨てカイロ持ってきたけど、使う?」


「……いえ。慣れてますから」


 寒いのには慣れていた。

 セラの持つ異能【統血権ドミニオン】は肌から血を出すことで武器としたり弾丸として射出したりできる。肌の露出面積が多い方がなにかと都合が良い。

 だから今日だって、冬であろうと露出の多いワンピースを着ていたのだ。


 もっとも、今夜に関しては谷間愛好者クレバレッジ・アディクトなんて不名誉なあだ名がつけられるくらいの巨乳好きである暁シズクを誘惑する意図も少しはあった。


 ——まさか、あんなにガン見してくるとは思いませんでしたけど。


 あれこそまさに、火のないところに煙は立たないというやつだろう。


「いま、シズクちゃんのこと考えてた?」


 チヨに顔を覗き込まれて、セラはひゅ、と息を止める。ふるふると首を横に振って、


「……まったく」


「いやいやまったくってことはないでしょ。本当に来るのか、とか考えないの?」


「それは、まあ。考えるまでもないでしょう」


「ふうん?」


「来ますよ。あなたたちの計画を止めに」


「私を取り戻しに——とは言わないんだ」


 いくらお人好しでも、それだけはありえない。

 期待してはいけない。

 今の状況、チヨに都合よく扱われようとしているこの事態は暁シズクを陥れるために周囲を欺いた、己の自業自得なのだから。


「見捨てこそすれ、取り戻しに来る理由なんて、ありませんから」


「あはっ。セラちゃん。それは————」


 チヨがダッフルコートのポケットから一枚のカードを取り出す。真っ赤なカード。【無名の霊札】だ。


 同時、セラは周囲から臭気を感じとった。死体のにおい——否。屍食鬼のにおい。


 チヨが出てきた林から次々と、屍食鬼が出て来る。10人はいるだろうか。

 異様なのはその姿。

 全員が全員、同じように色素の薄い髪と肌を持ち、中性的な体つきをしており、そして一様に薄布を一枚纏っただけの人々だった。

 一切生気を感じない。死体だから、ではない。きっと彼らが生きている時に対面しても、同様の印象を抱いたことだろう。セラにはそんな確信があった。


 結果、チヨの行動への注意が疎かになった。


「——自分の価値こと、わかってなさすぎ♡」


 胸——心臓のあるべき位置にカードを差し込まれている。カードは明らかに服を貫通して、セラの身体のうちへと収まってゆく。


「……なに。こ、れ」


 全身の血が熱くなる。体中の血管が痛みを覚えて、鼓動が——自分の鼓動がうるさいくらいに鳴っている。


「【無名の霊札】は奉魂決闘のシステムにより、屍食鬼の心臓が変化したもの。上級屍食鬼の心臓だってカードになってもおかしくない——そう思わない?」


 よだれが止まらない。


 血が、肉がほしい。


 久しく味わってこなかった渇望。飢餓感。遠い過去に置きざりにしたはずのものが、いま再びセラの身体に戻ってきている。


 白く染まった髪はかつての黒を取り戻し、ミディアムボブにカットしていたのが伸びて伸びてロングヘアに。

 喉の渇きは極限にまで達し、耐えがたい衝動が精神こころを陵辱する。


「真祖の血のせいで、長くは保たないけれど——もう、来たみたいだからさ。さあセラちゃん。戦の支度を始めようか」


 理性が摩耗する中、セラは聞く。チヨの命令を——。


「まずは、そこの人造屍食鬼ぜんぶの支配権を取って。ヘルメスは別件で忙しくなるから。……それが済んだら、腹が減ってはなんとやら」


 チヨは袖をまくり、白く細く健康的に肉のついた腕を露出させた。


「全身食べられるのは困るけど——いいよ。腕だけなら。いっぱい食べて?」



(続く!)

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