13 / fatal reasoning - II
答えは出た。あとは答え合わせをするだけだ。
食人衝動はかなり膨れ上がってしまった気がするけれど、こんなの無視だ無視。今までどおり見なかったことにして耐えてやる。
問題は、どうやって口を自由にするか。
私の口はいまだ彼女の血を貪ることに夢中で、飽きる気配がない。自分の意思で放そうにも放せない状況だ。
これだけ時間が経っても指の傷口が再生していないということは、おそらく彼女が自身の異能で再生を阻害しているのだろう。
つまり、指の再生による止血は期待できない。
ここは——自分の身体には申し訳ないけれど、少し強引な方法を取るしかないようだ。
今一番、攻撃しやすいモノ。隙だらけで簡単に殺せるモノを殺す。
腕を上げて、指先をまっすぐに伸ばし、
「……っ? シズクさん……? なにを——」
自分の胸に突き入れる。そうして、その奥の鼓動する肉を破壊する。
再生を阻害するために握り拳をそのまま、心臓の位置に置けば——
ごぷ。
喉奥からせり上がってきた血がにわかに口腔内を満たし、私の口を開かせた。
「……な」
自分の心臓を自分で壊す、なんてのは流石に想定外だったのだろう。
身体に力が入らなくなって、倒れ込む。もう口は自由だ。
意識を失ってしまう前に、重い手を胸の中から引き抜いた。
ほどなくして傷は塞がり、心臓が再生してくれた。契約者様々だ。
さて。これで口は自由になったが、またすぐに血を飲まされるかもしれない。そうなれば詰みだ。二度も同じことができないよう、対策されるのは必定。
ゆえ、大切なのは最初の一言。
それをどうするかはもう、決まっていた。
「ごめんなさい。黒沼セラ——あなたのことを、なんにも憶えてなくて」
「……どうして、謝るんですか」
震える声で、深紅の血のクローディア——もとい黒沼セラは言った。
「だって、あなたは憶えているんでしょ? かつての暁シズク……」
身体を起こして、自分の歯に指で触れてみる。いつの間にか犬歯が長くなっていた。
こうなっては、もはや牙と呼ぶべきだろう。
上級屍食鬼は人間社会に紛れ込める——それはなにも、知能があるから、というだけの理由ではなかったのだ。
きっと平時、彼らの身体は人間のそれとほとんど変わりがない。
「……
胸の奥にはじわりとした疼痛が走る。
認めたくない事実を、私は認めていた。
「……で、だからなんだって言うんですか?」
棘々しい言葉。だけど私に自分を食べさせようという気配はない。
話を聞く気になってくれたらしい。
「私は、あなたのことをなんにも憶えていない……だけど、今からでも理解したいと思う」
「偉そうなことを言いますね。ことあるごとに私の胸食べたそうにしてた異常者が」
痛いところを的確に突いてくる。
とはいえ、ここで引き下がるわけにはいかない。
これ以上彼女を食べさせられたら、いよいよ抑えが効かなくなってしまうかもしれないのだから。
「でも、そんな私の言葉に耳を傾けてくれるってことは、何かを期待してくれてるんでしょ?」
「………………」
否定は返ってこない。
よかった。まだ、彼女は話を聞いてくれるつもりらしい。
「今こんなことに……あなたにそんな顔をさせてるってことは、かつての私はあなたのことを理解してなかったってことになると思うんだ」
仕方ないことなのかもしれない。5年前、まだ10歳の子供だった私にそれは、あまりに難しいことだっただろうから。
「でも、だからこそ。私にはあなたを理解する責任がある」
「具体的には、どうやって?」
「私はこれから、あなたの感情を——どうしてこんなことをしたのかの推理を披露する。それが当たっていれば、私はあなたを少しは理解できたってことには……してもらえないかな」
「仮に当たっていたとして、理解したからなんだっていうんです?」
「あなたのしようとしていることを、諦めてほしい」
「……身勝手ですね。まあ、とりあえず聞くだけ聞いてあげます」
「ありがと」
黒沼セラが私から離れる。すぐには手を出さないという彼女なりの意思表示だろう。正直助かる。
今は特に衝動が活性化している。下手をすれば身体の一部や血を食べるまでもなく——近くにいられるだけでも理性が崩壊しかねない。
「……ちなみに、ですが。いわゆる理性——感情のコントロールを司るのは大脳新皮質の、とりわけ前頭葉というところだそうです」
「?」
黒沼セラは壁に寄りかかると、私の方を向いて指を一本立てる。……というか結局下着姿のままだけど寒くないのかな。
「私の異能、【
と、指先が風船のように膨らんで破裂した。
「肉体の組織を破壊することができます。そしてそれは、自分の身体だけではない。思い出してください、断片会議の時、私がどうしたか」
私たちの血を使って、ドレスを作った————。
「そうか。自分の血を媒介として他人の血を操ることもできる……!」
さっきまで、私は彼女の血をごくごくと飲んでいた。飲まされていた。それはなにも、私の本能を覚醒させることだけが目的ではなかったのだ。
「はい。ですから言葉には気をつけてくださいね」
黒沼セラはこちらを指差す。おそらくは私の脳——前頭葉を。
「私は、いつでもあなたの理性を破壊できる」
乾いた笑いさえも出ない。
脳を破壊する——というのは最近インターネットでよく見る言葉だけど、まさか物理的に壊されそうになるだなんて。
◇◇◇
まずは、事実の確認から始めることにした。
布団の上に座って、私は言う。
「私が普通の人間じゃないってことは、普段の身体能力を思えば明白だった」
徒歩30分、つまり2.4km前後ある道程をたったの5分で駆け抜ける脚力。2階にある部室のベランダまで跳躍する跳躍力。
日常的にトレーニングをしているわけでもないのに、そんな芸当を行える人間が、普通であるはずがない。
5年前の事件の時、記憶と一緒に脳のリミッターが壊れてしまっていたのだ——なんてふうに自分の中では理屈づけをしていたけれど、それにしては肉体の出力が過剰に思える。
そもそも、なぜ脳が肉体にリミッターをかけるのかと言えば、肉体の損傷を防ぐためだ。
けれど私は、それだけのことをやってのけたあとも肉体へのダメージはまるで感じていなかった。
「そして、私には確かに、食人衝動がある。——となれば、私がバケモノであることには疑いようがない」
もっとも、そこまでは5年前の私にだってわかっていたことだ。
自分が普通の人間であるはずがない——ということくらいは。
「問題は、そのバケモノとしての性質と名前。私が、何者であるか。これについては、お風呂でアカリから話を聞いたときに『もしかして』と思ったんだよね……まあ、その時はすぐに『そんなわけない』って切り捨てたんだけど」
「……
首肯する。
「だけどよく考えたら、普通の
器に注いだ水を完全にすべて別の器に移し替えるのは不可能なように、契約者の魂の全部が霊札に変換できるわけではないのだろう。ただ、残ったそれは「ない」と見做しても問題ないくらいに僅かというだけで。
「——そして、霊札はあくまでも魂を五分割してカード化したもの。元々の魂の量が1であるか0.01であるかは、問題にならないのだとすれば」
「そうですね。上級屍食鬼であろうとも、
「……だから、現状では私は
「真祖の断片に、食人衝動はありません。それに、玉兎市にいる真祖の断片が奉魂決闘に無知ということも、ありえない。というわけで、さっさと次に行ってください」
言おうとしていたことはだいたい喋られてしまった。
それじゃあ仕方ない。次へ行こう。
「……次に考えるべきは、どうやって私が
といっても、人間が上級屍食鬼になる方法なんて、私の知る限りではたった一つしかない。
「5年前、私こと暁シズクは奉魂決闘に参加していた。そこで、霊札をすべて失ったんだ。そうなった経緯は……たぶん私の契約者だったヴァレンタインが知ってるはず」
「なぜ、契約の相手がヴァレンタインさんだと?」
「断片会議のとき、テレジアはこう言った。『そういうアンタは姪っ子のお守りってトコか? いいやそれとも——』ってね。それに被せるようにして、ヴァレンタインは『5年前のことは関係ない』と返答している。つまり、意図的に言葉を遮ったんだ。その先を、あの場にいる誰かに聞かせないために」
「その誰かが、シズクさんだというわけですか」
あの時、テレジアは私たちの方へと視線を向けていた。常識的に考えて、彼女の視線の先には「それとも」に続けて言及しようとしていた人物がいたはずなのだ。
「それに、契約者がヴァレンタインだったと考えれば、あの人が私の奉魂決闘への参加を認めようとしなかった理由も理解できる。あの人にとって5年前の件は一種のトラウマだった。なにせ、たった10歳の子供を上級屍食鬼にさせてしまったんだから。
何らかの事情により、せっかく人間としての自由を謳歌していたはずのその子供が再び奉魂決闘に関わろうとしてる————認められる、はずがない」
きっと私が同じ立場でも止めたことだろう。
黒沼セラは嘆息し、自分の身体を抱くようにして自分の片腕を掴んだ。
「事情、なんて大層なものではありませんよ。ただ、関係者の全員がその事実を闇に葬ることにした……それだけの話です。恵まれてますよね、シズクさんって」
「……それは、自分は真祖の断片にさせられたのにってこと?」
赤い瞳がこちらを一瞥する。次の瞬間。
ぽんっ。
小気味よい音が響いた。どこから聞こえたのか、音源を思わず目で探したが、見えるはずがなかった。
「あっ?」
頭の左側が、痛い。とめどなく血が床にこぼれ落ちる。畳や布団に血が染み込んでいく。
そして、転がる丸いボールのようなもの。ピンポン玉にも見えたそれには、赤い糸のようなものがくっついていて、よく見れば、黒くて丸い模様のような————手で、触れてみる。
ぬめっとしてる。
「————ひっ!? なんっ、え、なんで!?」
眼球だった。
自分の左目に手を当ててみると、眼窩には目の代わりに何か固いものが収まっていた。
ズキズキとした痛みが止まらない。
「正解なので頭は避けました。…………が、上から目線でムカついたので」
「そんな理由で!?」
「逆に考えたらいいじゃないですか。人間の眼球を食べられるチャンスだって。おっしゃるとおり私だって元上級屍食鬼。シズクさんの気持ちくらい手に取るようにわかります」
「…………た、確かに気になるけど。え、遠慮しとく……というかそうやって私の衝動を強くして、推理どころじゃなくさせるつもりでしょ!」
「はいはい。そうかもしれませんね……まあ、今のはちょっと過激なデモンストレーションです。契約者の再生能力があれば、脳を破壊されても人間を食べる前に理性が戻るはず——なんて甘い期待をしているのならそれは間違いだと、教えてあげようかと思いまして」
左の眼窩に眼球の代わりに収まっているソレを爪で削ってみると、赤い粉のようなものが爪にくっついた。やはり、これは血だ。血で作られた義眼が、眼球の再生を阻害しているのだろう。
同じことは、脳に対してもできる——そう、彼女は言っている。
「……じゃ、話を戻そうか。私が5年前の奉魂決闘で上級屍食鬼になった——このことは間違いない。なら次は、黒沼セラ、つまりあなたについて」
「………………それなら最初は、どうして私が黒沼セラだと分かったのか、それを聞かせてくれますか? 最初はジンさんからぜんぶ聞いたのかと思いましたが……シズクさん、黒沼セラについて私に尋ねてきた時は分かってませんでしたよね」
「うん。というかジンは思わせぶりなヒントはくれたけど、あなたについてはほとんど何も教えてくれなかったから……」
「でしょうね。あの人はそういう人ですから」
ふっ、と笑みを見せる。
「まあだから、気付いたのはさっき、血を吸ってる間。……そして、最大のヒントになったのはあなた自身だよ。
黒沼セラについて尋ねたときの異様な雰囲気と、黒沼セラを上級屍食鬼だと即座に断じたこと。そして、私に対して言った『そんな生易しい飢餓感であるはずがない』——という言葉。
あんなにはっきりと断言できたのは、実体験として知っているからなんじゃないかと思った。
つまり、深紅の血のクローディアは元上級屍食鬼で、黒沼セラも上級屍食鬼ということろから、深紅の血のクローディア=黒沼セラという仮説が浮上した」
そう考えると、色々と繋がってきたし、腑に落ちた。
「ジンがあの格付けの時にだけ『黒沼セラ』の名前を出して忠告してきたのは、本人の前ではそんなことを言うわけには、いかなかったから。そして、あなたが断片会議ですぐに『カード名の変更』なんて議題を出せたのは、名前を変更したいカードがあったから」
あの時、私が議題を出せなくて困っていた時。彼女は即座に挙手して「カード名の変更」という議題を出した。まるで、あらかじめ考えていたかのように。
「つまりはあなたにとって不都合なカード名が、あの5枚の中にあった。あとの4枚は、その1枚——《血みどろなりたて血の池
セラとセーラなら、たしかに名前が似ている。それに姿に関して言えばほとんど同一人物だ。違うのは髪色と髪型くらいなもの。
そんなカードが、あろうことか全員共通で利用できるカードプールに含まれてしまっている。
黒沼セラだとバレることにどんな不都合があるのか分からないが、前々から、どうにかしたいとは思っていたのだろう。
……あるいは、そんな彼女の内心を察していたからこそ、アカリたちはカード名の変更に同意したのかもしれない。
「危ない橋だとは、思ってました。……ですが、せっかくの好機。私の真名を示すものを消し去るチャンス。見逃せませんでした」
「ちなみに、その真名っていうのは何?」
「……真祖の断片としての名——断片名とは別に持つ、人間としての名、あるいは人間だった頃の名です。……漫画やアニメでありがちな話ですが、名前を知られると少々の不都合がありまして。真名をコールされると、エクストラ・ペナルティの内容を変更するように求めることができなくなります」
「え? ていうか変更するように求められたのアレ」
こく、と彼女は頷く。
「ヴァレンタイン戦のときはそんなこと一言も……」
「下手に拒否したらあの人、真名をコールしてのペナルティ要求——真名拘束をしてきたに決まってるじゃないですか」
「た、たしかに……」
「万が一、シズクさんが私の本当の名前から色々思い出したら面倒だったので……まあ、それは杞憂だったようですが」
残念ながら、前回の奉魂決闘のことは何も思い出せていない。名前が鍵となって——なんてことがあれば推理なんてことしなくても良かったのだけど。
「ともかく、それであなたは《血みどろなりたて血の池
《血みどろなりたて血の池
「ええ。そういうことです。……今にして思えば、そんなことする必要なんてなかったんですけどね」
自分の真名に繋がる手がかりを、野放しにしておいても構わないと断言する理由。それはやはり————。
「ちなみに、ジンさんから貰ったヒントというのは?」
私はクロちゃんに【ミメシス・深紅の血のクローディア】のことを説明した。身体こそ炎だったが、髪や身長、服装、そして胸の大きさまで【眷属】《血みどろなりたて血の池
「……胸の大きさが一緒というのは、なんでわかったんですか?」
「え? なんとなく」
「上級屍食鬼でも、普通そこまでは分からないはずなんですけどね……」
「褒め言葉?」
「気持ち悪いって言ってるんです」
また目玉かどこかぶっ飛ばされるかと一瞬身構えたけれど、そうはならなかった。彼女が油断してるうちに次行ってしまおう。
「……さて、ともあれこれで、深紅の血のクローディアが黒沼セラであること。黒沼セラはかつて上級屍食鬼だったことも確認ができた」
「つまり、第3次奉魂決闘では2人も上級屍食鬼が誕生してたことになるわけですね」
「そんな私達が、今、この時一緒にいること……契約者と真祖の断片として奉魂決闘に臨んでいること。偶然にしては出来すぎてる」
「なにが、言いたいんですか?」
「……チヨ失踪事件の犯人は私を奉魂決闘に巻き込みたがっていた。それが、アカリの推理だった。だけど、もっと言えば犯人の狙いはきっと——深紅の血のクローディアと契約させることで、私を奉魂決闘に巻き込もうとしてたんじゃないかな」
だからこそ、犯人はアカリの家に電話をかけた。
そうすればクローディアを学校に向かわせて、暁シズクと邂逅させることができるから。
「もちろん、それだけならあなたも私同様に、犯人に巻き込まれただけという見方ができるけれど……それにしては、用意が良すぎた。最初に戦うことになる相手がヴァレンタインだと、最初から分かってたみたいに」
つまりは——
「黒沼セラ。あなたは、月代チヨ失踪事件の協力者だったんだ」
(続く!)
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