停止

オレぁめんどくせぇことは嫌いなんだよ。

酒屋で出されるつまみに胡桃を割るのさえめんどくせぇ。そんな性分だ。仕事の依頼も簡潔なものがいい。大きな戦争が終わってからはロクな仕事がなかった。貴族様の用心棒はめんどくせぇ。商人の護衛もめんどくせぇ。

相手を殺してお仕舞い。

それが1番良い。後腐れがないからな。


そんな性分の男は目の前の老人と黒い犬から敏感に『面倒くささ』を感じ取っていた。


仕事の依頼はこの森に入って野営する人間を殺すこと。1人殺す事に1ウェンス。1ウォンスは銀貨100枚に相当するのだから、ちょろい仕事だ。ちょろすぎる。胡散草さえ感じたが、切り落とした首と引き換えにあの男から大金を渡された時は興奮した。これでここで金を稼がせてもらえばしばらくは遊んで暮らせる…はずだった。今日までは。


おかしいな。確かに斬り殺したはずなのに。


弱い人間を相手にしていたせいで腕が鈍ったのか?いや、そうではない。ロングソードの柄に力を込めた。頭の中で描く剣先の軌道は確かにあのジジイを斬り殺していた…なんだ?


「ジジイ…魔術師かなんかか?」

「そう見えるか」

「いや、見えねぇな。これでも魔術師は飽きるほど殺してきた」


目の前のジジイの目に怒りの色が灯ったが、すぐに冷静になる。なるほど。挑発に乗らないのを見ると普通の人間よりかは喧嘩慣れはしているようだった。

見かけによらず同業者か?という疑問もすぐに消えた。ジジイからは自分のような生臭い血の匂いはしない。


直感的に解る。


コイツはむしろ、反対側の人間だ。挙動の全部が鼻につく。それで解る。

自分とは決定的に種類の違う人間を前にしてその醸し出す正義感が気に入らなかった。男は物は試しとばかりに猫撫で声を出した。多少プライドのある年寄りが出すような声ではない。


「頼むよ。オレァそっちの2人を殺すだけでいいだ」

「それで、さぁどうぞとなるとでも思うのか?」


相手の心底呆れたような声を聞きながら狼藉者はその場でトントンッと軽く足踏みをした。


まるで体重が無いかのように。

まるでその場の土が弾むかのように。


そんなことは剣の心得のない人間には解りもしない。ただ良い歳のジジイが飛び跳ねているようにしか見えない。

相手をおちょくるかのようなふざけた動作は次の動作に入るための準備だった。


「…思わねぇさ」


あ、と思った時にはもうシュヴァイツァーの懐には入り込む男がいた。

なんいう速さ。

狂いのないまっすぐな剣筋がシュヴァイツァーを襲った…しかし、それも気がつくと剣は空を切っていて、殺したはずのジジイは僅かに横へ移動して難を逃れている。


いや、この場合ジジイの体が横にずれていると言った方が正しいか。


先ほどもそうだったが目の前にいたはずのジジイが気がついた時には別の場所にいる。最初は自分の剣技が狂ったのかと思ったが、恐らくそうではない。


狼藉者のあまりの動きの速さに反撃をする余裕すらないシュヴァイツァーは肩で息をして、睨みつけた。

男の死角から襲ってきたエゾフを軽やかに避けると狼藉者はロングソードで威嚇しながら距離を取る。


「なーるほど」


ロングソードの刀身を肩に引っ掛けて狼藉者はニヤリと笑った。


「オイ、ジジイ。アンタ、何かしらの道具かなんかで“止めて”いるな?」


シュヴァイツァーはピクリとした。

当たりである。自分の推理が正しいことに狼藉者は勝ち誇ったような顔をした。


「アンタが魔術師でないのは間違いない…が、魔術の込められた道具を使っているのは間違いねぇ」


止めているのは時間だろうか。

あるいは逆に己の動きを加速させるものか。

魔術の知識のない男にはそこまでは分からない。なんにせよ、間違いなく不自然な力の作用が働いてジジイを殺すことが出来ないのは確かだった。


「おそらく、その力は範囲が限られている。それに止めていられる時間も短いンだろう。

でなければ今頃さっさとオレを殺すか無限に時間を止めるなりなにかして、逃げちまえばいいんだからな」

「……」

「沈黙は肯定ととらえるぜ」


そう言いながら男は頭の中で別のことを考え始めていた。あーめんどくせぇな。狼藉者は頭を掻いた。流石に魔道具が出てくるのは想定外の出来事だった。


先に女のガキの方を殺すべきだったか?

…いやいや、ガキを殺すのは性分じゃねえしな。


ジジイの様子からしてこれ以上余裕があるようには到底思えない。魔道具を使う時にはそれなりの代償を払う必要があると聞いた。ならば追い詰めるのもあと一押しであろう。


厄介なのはあの大きい犬だが、それでも所詮犬は犬だ。

見たところダイアウルフには違いないが、あれはまだ幼体だ。飽きるほど成体のダイアウルフを狩り殺してきた男にはエゾフの動きは犬が戯れ付くのと大差なかった。


めんどくせぇ…が、まだ撤退するほどではない。


頭の中で面倒臭さと1ウェンスを天秤にかけて金の方が勝った狼藉者はロングソードを再び構えた。


「これで仕舞いにしよう」


狼藉者はグッと利き足に力を込めると軽やかに駆けた。シュヴァイツァーは男に向けて手持ちのナイフを投げつけたーーー弾かれる。投げつける。それも弾かれる。クソ。3本目のナイフを指で摘んだところで剣の間合いまで詰められた。


ーーー停止ッ!


その時、風で揺らぐ木々はその一切の揺らぎをやめ、木の枝から落ちた木の葉は空中で止まった。そう、あらゆる事象が停止した。


シュヴァイツァー以外の全ての時間が止まったのだ。

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