朝がきた

アーク司祭から受け取った報酬で食料を買い足したかったが、昨夜の騒動がどれほど領民の間に広まっているのか分からないためなるべく早く出発したいとヴァルに言われた。


バッシュは自分の着ている服が女中に借りたままだった。返して自分の服を取り戻したいと言うとヴァルは黒犬とトロントと街の外れで待っていると言って、人目を避けるように行ってしまった。


ヴァルは辺境伯の館に着くと使用人用の扉を探して裏へ回った。するとバッシュのことを世話した女中が扉の前にいた。バッシュは駆け寄って女中に声を掛けた。


「あの、大丈夫だった?」

「ああ…アンタ。昨日の…」

「えらいとこに遭遇して大変だったな」


女中は酷くやつれた顔をしていた。バッシュは寝てなくて大丈夫なのかよ、と声を掛けたが女中はアンタに心配されなくても大丈夫だよ、とつけどんに答えた。あまりに強い口調にバッシュは少しムッとした。

疲れてるとこ悪いけどオレの服…と言うバッシュが言う前に問答無用に包みがバッシュの胸に押し込められた。


「えらい汚い服だね!洗っても洗っても綺麗にならなかったよ。それとほつれた穴は繕っておいたからね!」

「ええ…なんだよ…そんなことしてもらわなくても…」


バッシュは礼を言いながら包みの中を確かめると着慣れた自分の衣服が前のよりもずっと綺麗になって入っていた。おお、すげぇ。バッシュが思わず口に出すと女中は少し元気を取り戻したようにニカっと笑った。


「この服もありがとう。助かったよ。いま返すから」

「それも持っておいき。…もう使わないから」

「ええ…」


それにこれも、と言って女中はバッシュに小袋を渡した。中には2人分の食パンとハムとチーズ。それにりんごまで入っていた。


「館の中には入らない方がいい。昨日の騒動で気味悪がっている使用人もいる」

女中はきっぱりと言った。

「気味悪いって…」


ああ、オレ達のことか。

バッシュは急に心臓が重たくなった。

おそらく騒動を起こしたのが余所者のオレたちだと思う者もいるのだろう。余所者を憎悪の的にするのは簡単だ。バッシュは何度も晒されてきた。だからこの女中は体調の優れない体でこうして外でバッシュが荷物を取りに来るのを待っていたのだ。少年を傷つけないように。


だからヴァルも早くここを出ようと言っていたのか。それが分からなかった幼い自分が恥ずかしかった。


「あの…」

「なんだい?早くおいき…私は疲れてるんだよ」

「ありがとう、ございました!」


頭を深々と下げて女中に礼を言うとふいに自分の目頭が熱くなるのを感じた。

旅の中で他人にこんなに優しくしてもらったのは初めてでどうして良いのか分からない。恥ずかしいことに涙が出た。

涙を悟られたくなくて、バッシュはすぐさま女中に背を向けて駆け出すと、体には気をつけるんだよー!!と、女中の大きな声がバッシュの背中を押した。


東の空に登る太陽の日差しで目が痛かった。

新しい朝が始まっていた。


ーーー


「ヴァルさんたちはもう旅立たれるのですか?辺境伯閣下があなた方を食客として滞在させるとお話されていましたのに」


ヴァルがトロントのつややかな馬毛をブラシで撫でているとアーク司祭が話しかけた。

ヴァルは司祭の方を見る事なくブラシを丁寧に動かした。


「…先を急いでいる」

「宵の明星はツレないなぁ。貴方とはもっとお話しせたかったのに」


アーク司祭は大袈裟に肩を上げて残念だとアピールした。本心かどうかわからない笑顔を顔に貼り付けて。


「少年は朝から元気ですね」


アーク司祭はわざとらしく指先を額に当てて遠くを覗くような仕草をした。街の方から子犬のように走る少年の姿が見える。急がないと主人に置いていかれると思っているような健気な全速力の駆け足であった。


「ところで彼はどうして貴方と出会ったのか理解しているのでしょうか?」

「……」

「おや、失礼。少年の真っ直ぐさを見ていると責任ある大人として心配になりました」

「…私が決める事ではない。全ては神明の御心のままにある…と教団の教えにもあるはずだ」

「あははっ。これは上手い事かわされましたね。まぁ良いでしょう。それはそうと行方不明の司祭の件はありがとうございました。同胞として感謝いたします」

「自分の義務を果たしただけだ」


「番人の葬儀屋は神明の加護を受ける代わりに生きとし生けるものを天の国に送る義務を背負うと伝承に書いてありました。

…そして伝承通りであればあの少年は貴方の後を引き継ぐことになる。そして貴方は」


アーク司祭の最後の言葉は口から出ることはなかった。馬を撫でる丁寧さとは反対の、どう思われても構わない拒絶の意思を込めてヴァルはアーク司祭の襟元を掴んだ。

ヴァルの方が司祭よりもやや小柄であったがその体のどこにあるのかとおもわせる強い力に司祭は抵抗すら出来なかった。


「司祭様!」


アーク司祭の後ろに控えていた従僕が駆け寄り2人の間に割って入る。痺れるような緊張が走った。


「最初に言っておくべきだった。私は教団の人間が大嫌いだ」

「分かります。私も教団が嫌いですよ」


初めて気が合いましたね、とアーク司祭は掴まれた胸ぐらのことなど気にもせず軽口を叩いた。

その軽口に呆れたのか、それとも腰元のロングソードに手を掛ける従僕の姿を見たのかヴァルはアーク司祭の襟元から手を離した。


「はぁはぁ…え、なにアンタら喧嘩でもしてんのか?」

「やぁバッシュくん。楽しい大人の話をしていただけですよ」


所用を終えて帰ってきたバッシュは2人のどう見ても楽しげな雰囲気がないことはわかっていた。コイツとはあとは約束の金をもらうだけなのでバッシュはあまり関わらないことを決めて、手に持ったままの包みや小袋をまとめ始めた。


この動きずらい衣服を早く着替えてしまいたかった。


ーーー


これはお約束していた謝礼です。

そう言ってアーク司祭は旅の支度を整えたバッシュに小袋を手渡した。両手で受け取るとなかなか嬉しい重みを感じてバッシュはニヤリと笑って「まいどあり」と答えた。


これだけあれば王国までの路銀としては十分だった。


「ああ…あとついでにアンタに聞きたいことがあるんだ」


そう言ってバッシュは自分の荷物の底からヨレヨレの封筒を取り出した。何度となく手に持たれて黒ずんだ封筒はとうの昔に封を切られていた。


ーーこの封蝋は。


赤い封蝋。

押された印はアーク司祭の服の刺繍にもあるテンプル教団のモチーフの五角の星が刻印がされていた。それに王国にある中央教団だけが使える王国を表す紋章の一つ、百合の花が縁を取り囲んでいた。


封筒を何気なしに裏返すと差出人の名前も署名されている。この名前は。


「この手紙の差出人を知らないか?」


この印と同じものがアンタのその衣装の刺繍にあったんだ。


アーク司祭は自らの衣服の袖口に施された刺繍を見つめてからわざと困ったような顔を作り「いやぁ…存じ上げませんね」と答えて少年に封筒を返した。


嘘である。


アーク司祭はこの手紙の差出人が誰なのか知っていた。知ってはいたが、それを教えてあげるほどバッシュの素性を知っているとは言い難い。

少年には申し訳ないが、組織に生きる人間としては自分より上の立場の人間のことを明かすことはアーク司祭には犯せないリスクだった。

とはいえ、自分の俗物さをよく知るアーク司祭は興味本位で尋ねた。


「ちなみに王国へ行くというのはそちらの方を探すためなんですね」

「ああ、そうだよ」

「さらにちなみにですが、どういったご関係なんですか?」


そう問われるやいなや、バッシュは口にギュッと力を入れた。そして答えるたびに謗られたことを思い出して少し小さな声で答えた。


「…死んだ母さんが、コイツがオレの父親だって言っていたんだ」

「おや、まぁ」

「なんだよ。こんな立派な封筒で手紙をよこすやつがオレの父親な訳ないって言いたいのかよ」


おそらく少年は周囲に何度となくそう言われてきたのだろう。そして母親さえも侮辱を受けたのかもしれなかった。傷ついた心を守るようにバッシュはギュッと封筒を握った。


「そういった上質な紙を使われる高貴な身分の中では私生児はそれほど珍しいことではありませんので」


アーク司祭は傷ついた顔の少年を慰めるように優しく言葉を付け足した。それは本当だった。


「それで会ってどうされるんですか。

あなたの様子を見るに、涙ながらに再会を喜ぶようには思えませんが」


ぶん殴るんだよ。

そう短く言ってバッシュはヨレヨレの封筒を荷物の底へ乱暴に仕舞った。


「ほぅ」

「そうだ。ぶん殴るだよ。母さんとオレを置いて行った仕返しだ。一発ぶん殴って、全部…終わりにする。

悲しい気持ちも苦しかったことも、それで終わりにしてオレは新しい人生を歩むんだ。じゃあな」


そう言ってバッシュはアーク司祭の元から離れた。少し先ではロバのような小馬の鼻筋を撫でる黒衣の葬儀屋がバッシュを待っていた。



ーーー


「良いのですか。アーク司祭様」


端正な顔の従僕は後ろで黙ってことの成り行きを見守っていた。


「あれはテンプル教団中央本部の…あんな必死な顔で子供が探しているのに。教えてあげないなんて」

「ミレーユくん。わたくしはバッシュのことを笛の演奏上手な少年としか知らないのだよ。

それにあの堅物と有名な彼の人に子供ねぇ…。信じられなくはないですが、帰って色々確かめてからにしましょう。なにごとも適切なタイミングで物事は進めなくてはいけない」


アーク司祭はウィンクして従僕の言葉をかわす。この人はだいたい、いつもこうなのだ。

重要なことは自分のうちだけに秘め、ここぞというタイミングで強力なカードで勝負を決するのだ。

あらゆることを利用する上司の狡猾さはなにか企み事を考えついたようで、その事をよく知る純粋な従僕は呆れたように溜息をついた。


「さて、我々も帰りましょうか。辺境伯には朝食会は辞退すると伝えましたので。あの宝具はどこかなっと…」

「本当に転移宝具を使われるんですか?」


オレ、あれは胃の中がひっくり返るようで気持ち悪くなるから苦手なんですよね…と、ミレーユは端正な顔をうんざりとさせて首を掻いた。


「来た道をまた馬車を轢かせて帰るより遥かに時間が節約できるでしょう。特区に残してきた老師のことも心配ですし、早いことに越したことはありません」

「それはそうですけど…」


有無を言わさずにアーク司祭は手に持った金属製の輪っかを従僕から頭にかぶせた。


すると、どうしたことであろうか。


金属の輪っかを被った従僕はその上半身だけ綺麗に無くなってしまった。後に残るのは金属の輪っかから下半身だけが非常に苦しそうにジタバタとしていた。下半身だけが動く人間の姿など怪奇であるが、どこか間抜けでもあった。


ーー移動宝具


子飼いの魔道宝具士に作らせた試作品だった。短い距離の移動は問題なく使えた事をミレーユで確認していたが、山を超えた長距離では初めてだった。

従僕の身体がバタバタと動いているのを見ると問題なく使えそうだった。


「ああ、すみません。ちょっと雑に転移してしまいましたね」


まぁ、大丈夫でしょうと言うと金属の輪っかを完全に下まで降ろすと従僕の身体は綺麗になくなってしまった。


「今回の旅は色々と面白いものが見られてて楽しかったですね。またあのお二人にはご縁があれば嬉しいのですが」


そうアーク司祭が呟くと次は自分の身体を輪っかの中に通して、その場から完全に消えてしまった。

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