失礼ながら、大変臭うございます
喪明けの宴会はバッシュの想像よりもずっと祭りじみていた。
道々に並ぶテーブルに馬車で乗り付けることを断念して辺境伯の館まで歩いていくこととなった。
1年もの間、領内中が喪に服していたのだからその反動も大きいのかも知れない。心なしか準備に忙しそうな領民たちの顔も大変そうながら楽しそうに見えた。子供は滅多にないこの大人の騒ぎに興奮しながらも、眠たそうに目を擦っている。
各家庭から持ち込まれた料理が皿に盛られてテーブルに並んだ。肉料理から魚、野菜に果物。中にはバッシュの見たことのない食材もあり思わず口の中に涎が溢れた。
バッシュがテーブルの脇をちょうど通り過ぎる時、ご婦人が熱そうに汗をかきながら大鍋を両手で抱えて大量に茹でたジャガイモに鍋の中身をかけていた。
なんだあれ…うまそう…あれはどんな味がするんだろうと横目で見ながらバッシュはスタスタと歩く大人たちの後をついて行った。
「ほとんどお祭りでしょう?」
アーク司祭はバッシュに語りかけた。
「みんな忙しそうだけど、楽しそう」
「そうですね。辺境伯の妻が亡くなって1年間みんなで悲しんで、ちょうど1年後にみんなで大騒ぎする。それで良いんです」
ここの領主である辺境伯の妻は領民に人気だったそうですから亡くなった当初はみんな気落ちしたでしょう。配偶者の辺境伯の落ち込みようは酷いもので、元々外に出ることの少ない辺境伯は籠ることが多くなったと聞きましたと、アーク司祭は焼けたばかりのミートパイを運ぶ領民を避けながら言った。
「喪明けの宣言を12時ぴったりにすることになっていましたから、間に合ってよかったです」
待ちくたびれて酒を飲み始めた領民もいた。おそらく全然間に合っていないようにも思えたが儀式自体は12時を過ぎてから行うようなのであながち間違いではなかった。
辺境伯の館まで来るとさすがに酒を飲む領民はいなかった。館の前のテーブルは厳粛なテーブルセットが施され、使用人たちがピリピリとした様子で準備していた。
館から用意されたであろう食事は先ほどの領民のものとは異なり、銀食器の上には見たことのない鮮やかな料理が用意され始めていた。
「遅くなって申し訳ありません。テンプル教会 商業特区地区統括司祭本部長ヴァレンティ・アーク、ただいま参上致しました」
玄関付近にたまたまいた年老いたバトラーに声をかけると大喜びで辺境伯をお呼びします、と言われた。玄関ホールは喪明けの装飾が施されていた。司祭の宗教服と同じ青と白の装飾の施された垂れ幕が壁を覆っていた。
辺境伯の館は静かだった。
1年が経ったというのに悲しみが積み重なっているようだった。ここから亡くなった人が出たというのがはっきりと分かった。
しばらくすると館の奥から杖を付いた人物が現れた。辺境伯は思っているより小柄であった。
片足がすこし不自由なのか、片足を庇いながらそれでも辺境伯という肩書に相応しい威厳に満ちた佇まいでアーク司祭たちの前に現れた。
物怖じして玄関先でうろうろとしているバッシュの腕をぐいっとアーク司祭が引っ張った。抵抗する間もなく大人の会話が始まった。
「ああ、司祭様。このような辺境にお越しいただき大変申し訳ありません」
「いえ、それが勤めですから。儀式のお時間に間に合ってよかったです」
それに道中で興味深いこともありましたので、とアーク司祭は
「奥様はガラリア地方のご出身でいらっしゃいましたよね?ちょうど旅先で出会ったこちらの少年がガラリア地方の笛を演奏しているのを見かけまして、素晴らしい演奏だったので勝手に申し訳ないのですが喪明けの宴会の余興に連れて参りました」
おお、そうでしたか。妻は歌や演劇も好きでしたから、亡き妻も来てくれた妻の兄弟たちも喜びます、と辺境伯は嬉しそうにアーク司祭と握手をしながら辺境伯は優しそうな目でバッシュを見た。
それほど長くもない人生を振り返ってもこんな偉い人に目の前にしたことのないバッシュは胸がバクバクした。辺境伯は豊かな白ヒゲを上下させて、バッシュに話しかけた。
「君もガラリア地方の出身なのかな?お名前はなんというのだい?」
バッシュは辺境伯の質問に頭が真っ白になった
。
ーーガラリア地方だって?
そんなところ見たことも行ったこともない!まさか巨大な梟の葬式を手伝ったら報酬としてもらったなんて言えるわけがない!
「えっと…ええっと」
なんと答えて良いかわからないバッシュは目をぐるぐるとさせていた。頭の血の気が引くのが分かった。
「彼はガラリア出身ではないのですが、幼い時に親御さんから演奏を習ったそうです」
そうだよね、とアーク司祭はバッシュの代わりに答える間に肩をバシッと叩かれた。…話を合わせろということらしい。
「ガラリア地方の伝統笛はいまではなかなか継ぎ手もいなくて珍しいものになりましたから、素晴らしい親御さんですな」
大変失礼ながら旦那様そろそろ儀式の準備をお願い致します、と執事に遮られた。玄関ホールの時計がぼーんと低い音を立てて時を知らせた。
辺境伯が彼らも喪明けの宴会に参加できるよう取り計らってくれと、言われた執事は「かしこまりました」と、うやうやしく頭を下げた。
外ではあんなに大きな宴会がなされるのだ。
館の中もあれやこれやと準備が忙しいのだろうが、このプロフェッショナリズム溢れる老執事は少しも動揺することがなかった。
なんだか申し訳ないな…と、バッシュはその身を小さくするように縮こませた。
老執事は若いバトラーを呼びつけると辺境伯とアーク司祭を談話室へと誘導させた。バッシュも自分も行ったほうが良いのかなと足を浮かせると老執事は片手でバッシュに止まるように制止させた。その動きは老執事らしからぬ速さだった。
お客人様、大変申し上げにくいのですが…と、老執事はしわくちゃの顔をさらに皺くちゃにさせた。
「…大変、臭うございます」
ご案内致します、と言って奥の目をぎろりとさせた老執事はどこにそんな力があるのかほとんど引き摺るようにバッシュを奥の部屋へと連れて行った。
ーーー
こんな忙しい時に!と、女中が小さく愚痴をこぼした。バッシュはやはり申し訳なさで体が小さくなるような思いだったが、パーテーションの中に用意された大きな桶に入ったぬるま湯に手を入れると気持ちよかった。
そういえば湯浴みなんて久しぶりだった。
良いように取ればぬるいが川の水よりは暖かい湯で体を洗えたのだから考えようによっては幸運だったのかもしれない。
「旦那様のお客様のお客様とはいえ、こんな子供に!」
自分で拭けるわよね!?と、きつい口調と共にパーテーション越しに大きなタオルを投げられた。すみません、と言いながらバッシュは投げられたタオルで体を拭く。フカフカのタオルは雲のような触り心地だった。
あまりの言われようにバッシュは湯浴みから出る頃にはすっかり意気消沈していた。
たしかにこんな時に何処の馬の骨とも分からない子供の湯浴みの世話など迷惑以外の何物でもないだろう。
体を拭き終わって自分の衣服を着ようとしたところーーない!服がない!
「ほら!これを着るんだよ!!」
パーテーションの外から女中が乱暴に衣服を投げた。
パーテーションから顔をのぞかせてあの、オレの服は…と言い掛けるが、バッシュは聞くのをやめた。鬼のような形相で年配の女中が仁王立ちしていたからだ。
そそくさと服を着替えると女中に案内されて使用人用のテーブルに座らされた。
目の前にスープの入ったカップ。白パンとベーコンエッグが用意された。
「早くお食べ」と、女中のきつい声に促されてバッシュは掻き込むように食事をとりはじめた。
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