第198話 閑話 チョコレート沼
「焼き上がりから……美味しそう」
かまどから引き出され、型から取り出された異世界米粉パンは。
『ヴァルキリー』の面々から見れば、文字通り初見の食べ物であり。
そもそも、触っただけで形が変わる程に柔らかいパンというのは、冒険者という職業の都合上、持ち運び、保存の観点から極めて珍しく。
王都などの大きな町で、高級店で食事を取る時などにしか出て来ない。
そんなものが目の前にある、ただその事実に、『ヴァルキリー』の胃が反応。
その反応を見たラベンドラは、軽く笑って焼き上がった米粉パンをそれぞれに配り。
「しっかり焼けている筈だ。確認してくれ」
と、暗に食べてみろ、と促して。
「ゴクリ」
と唾を飲み込み、米粉パンへとかぶりついた『ヴァルキリー』は――。
「ふまっ!?」
「柔らかっ!?」
「なんだこれ!?」
「まぁ……」
「おいっしー!!」
口々に、米粉パンの一口目の感想を口にする。
「もっちりしっとりしてて、驚くほどに柔らかですわ~」
「柔らかいが噛めばしっかりと弾力が感じられる」
「焼きたてなのも最高じゃな」
もちろん、リリウム達も。
ただし、リリウム達は異世界の――翔の世界のパンを何度も食べているせいか、ある程度柔らかいパンへの衝撃には備えられていたようで。
一口食べて放心している『ヴァルキリー』のようにはならなかったようだが。
「よく出来ているか?」
そんな、一口食べて固まっていた『ヴァルキリー』にラベンドラが声をかけると。
「出来過ぎ」
「最高に美味い」
「今まで食ってたパンが何だったって話だぜ」
「大変美味しゅうございます」
「お代わりない!?」
思い出したかのように動き出し、勢いよく咀嚼を始め。
地図士のネモシュは、早々におかわりを要求する始末。
「香りが普通のパンと違う」
「小麦の香りとは違う、少し甘いような匂いだ」
「癖がねぇよな。全く不快にならん」
「アタランテは、小麦の匂い苦手ですものね」
「これ町中とかでも売ってくれないかなぁ」
と、米粉で作った特徴を口々に言い合っていると。
「ところでラベンドラ? チョコレートはいつ出しますの?」
リリウムから、チョコレートの催促が。
瞬間、『ヴァルキリー』達も、『夢幻泡影』も。
全ての視線が、作られたチョコレートに注がれて。
「スプーンを渡す。パンに塗って食え」
瞬間だった。
本来、右に並ぶ存在が珍しい『Sランク』パーティである『ヴァルキリー』だが。
この時だけは、あらゆる部分で『夢幻泡影』に敗北。
ラベンドラが投げたスプーンへの反応、チョコレートの奪取。
それらに敗北した『ヴァルキリー』のリーダータラサは。
どや顔で見下ろすリリウムの顔を見上げながら、唇を嚙むしかなく。
「こちらが呼び寄せた客に何をしている」
呆れたラベンドラが、リリウムの頭に手刀を振り下ろし、チョコの入ったボウルをタラサに寄越すまで、何も動けなかった。
「甘い匂い!」
「なんだろうな……本能に訴えてくる感じ……」
「何と言うか、これを知ったらもう後戻りできない気が……」
「でもでも、食べないって選択肢はないじゃんね!」
そうして渡ってきたボウルの中のチョコレートを覗き込みながら。
目を輝かせ、スプーンを差し込み。
調理士のヘスティアが、毒見よろしく最初に一口食べることに。
掬ったチョコをパンには乗せず、まずはそのまま舌の上に乗せ……。
「――どうだ?」
舌の上に乗せたまま動かなくなったヘスティアに、アタランテが声をかけると。
「むふーっ!」
ヘスティアの顔が破顔。
満面の笑みを浮かべ、口の中の空気を大きく鼻から吐き出して。
一切の感想は無い。
ただ、その表情から、かなり美味しかったであろうことは伝わって来て。
「じゃ、じゃあ私たちも……」
とタラサがスプーンで掬おうとすると、
「スッ」
ヘスティアがボウルを動かし、それを阻止。
「何の真似だ?」
「これ……危険」
明らかに美味しい食べ物をお預けされ、不機嫌になるタラサに、ヘスティアは警告を発す。
「食べたら、二度と戻って来れなくなる」
「どういう意味だ?」
「……そのままの意味。……美味し過ぎて、ずっと食べてたい」
その警告は、言われた側からすれば首を捻る内容なのだが。
何故だか、『夢幻泡影』の四人は悟ったような表情で腕を組み、分かる分かると頷いていたりする。
「美味しい事に変わりねぇんなら大丈夫だろ!」
と、アタランテがヘスティアからボウルを奪い、チョコをたっぷりと掬って口へ。
「――っ!!?」
瞬間、ピンッと尻尾が伸び、さらには髪の毛すらも逆立って。
そのまま固まってしまい、一同困惑。
……そして、
「ヤバい」
再起動したアタランテは、
「ヤバいやばいヤバいやばい」
高速でヤバいを連呼。
「タラサ……」
「どうした?」
「俺から……ボウルを奪い取ってくれ……っ!!」
唯一残る僅かな理性で、自分よりも強い相手にボウルを奪取してくれと懇願し。
舌が、胃が、脳が。全力で欲するチョコレートを、自分から引き離すことに成功。
そんなパーティのメンバーの反応を見て覚悟を決めたネモシュとレト、そしてタラサは。
お互いに顔を見合わせ、唾を飲み込み。
覚悟を完了させ、チョコレートへと立ち向かう事になる。
……なお、当然の如く負ける訳であるが。
*
「フワフワ♪ 甘々☆」
「あんな上機嫌なヘスティア、初めて見る」
一通りチョコレートに絶句し、感動し、そして、まぁひっそりと中毒になりかけ。
焼きたてフワフワの米粉パンに、チョコレートを塗ってご機嫌に朝食をとる『ヴァルキリー』。
「パンの材料とレシピはこれで間違いない?」
「……問題ない。水の分量は作りながら調整するといい。あと、木の実などを混ぜて焼いても美味いだろうな」
「美味しそう……」
本来、調理士であるヘスティアの仕事なはずのレシピ作成なのだが、現在米粉パンとチョコレートの組み合わせにメロメロになっており。
まるで役に立たないため、米粉パンとチョコレートのレシピを書きとる作業は地図士のネモシュが行っている。
「それにしてもチョコレート……か。広まれば、シャジャの実が市場から消えるな」
「一応そちら以外には王への献上のみレシピを公開するつもりだ。……というか、これは国が管理して売らなければ色々と問題が起こりそうな予感がしてならん」
と、ヘスティアどころかリリウム、マジャリス辺りをも虜にしたチョコレートを見下ろしながらラベンドラが言い。
「同感だ。少なくとも、一般店がホイホイと扱っていい代物ではない」
それに同意するタラサ。
「それにしてもいいのか? これほどチョコレートを貰って」
「構わない。このレシピを教えてなお、私はまだまだ隠し玉がある」
「……もしかすると、『夢幻泡影』で一番価値があるのはお前かもしれないな」
「買いかぶりだろう。リリウムを越える価値がある存在は、それこそ伝説上の魔王位なものだ」
ラベンドラからすれば、チョコレートは異世界――翔からの知識の一端に過ぎず。
それこそ、もっと様々なスイーツのレシピはあるわけで。
それを自分に都合がよくなるようにタラサに伝えれば、タラサの口から出たのはラベンドラの価値を見直す発言。
それに軽口で返したラベンドラの言葉は――、
「今私の事を魔王と呼びまして?」
しっかりと魔王の耳に届いてしまっていたのだった。
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