外伝 ノーマン視察団紀行

トレスト 1

 数日の航海を経て、視察団を乗せた船は何事も無くトレストに入港した。

 船から下りた面々は、その賑わいに圧倒されているようだ。

 まあ、無理もないかもしれないな、とアルバートは思う。




 使節団の正規メンバーは十名。

 代表者はレーヴェレット侯爵令嬢であるオリヴィアだ。


 四名は学生である。

 ヴェスタ公爵令嬢シャーロットと、西部閥の貴族家から三名が参加している。

 西部閥の筆頭は、クレスタ侯爵家の次男であるレオス。

 そして、クレスタ侯爵家に仕えるネヴェル子爵家の嫡男であるフォルト。

 三人目はクレスタ侯爵と主従関係にはないが、西部の中でも海沿いに位置するキルキア伯爵家の令嬢であるウィニアだ。


 残る五名は共和国政府からだ。

 商業担当の中央貴族ルディス子爵コルネオ。

 工業担当の中央貴族グリニア子爵ウェルナー。

 畜産担当の中央貴族オルコット子爵ヒューリック。

 国立学校で軍学を担当する教授アルヴァン・ニーゼル。

 国立学校で馬術を担当する教授ロット・ファルディス。


 この正規メンバーにそれぞれの随員が付いているため、総勢で三十名ほどになっている。

 誰を取っても、王都や西部しか見たことが無いメンバーだ。

 「商業で栄えている」という状態を、実際に目にしたことは無いのではないだろうか。




 ちなみに「宮廷貴族」「宮廷学校」という名称は廃止された。

 現在ではそれぞれ「中央貴族」「国立学校」という名称に変更されている。

 「領主貴族」や「領地貴族」というのも、「地方貴族」や「在地貴族」などと呼ばれるようになった。


 「⚪︎⚪︎領」という名称も廃止される予定だ。

 共和国の領土は全て『国』のものであり、地方貴族は統治を認められているだけなのだから、それが自然ではある。

 だが、それに代わる名称はまだ決定していない。

 最も大きな行政区を「州」とし、それを「直轄州」と「自治州」に分けてはどうか、という案が有力ではある。

 「シュレージ直轄州」「ノーマン自治州」「オロスデン自治州」などと言った形だ。

 しかし、四侯一伯はともかく、それ以外の地方貴族の統治領域は最大の行政区とするには小さいのではないか、と言う問題が出ているらしい。

 名称を変えるだけで済む問題ではないので、もうしばらく時間がかかりそうだ。




 閑話休題。


 トレストはアルスター王国内で、一、二を争う商業港だ。

 争う相手は、ここから少し北にあるアルギア。

 ノーマンの海の玄関口と言える港である。


 この二都市は、どちらもニクラス湾に面している。

 ニクラス湾は大きな弧状の湾だ。

 日本人がイメージするのであれば、相模湾を東は三浦から西は真鶴ぐらいまで切り取って時計回りに九十度回転させ、東に陸、西に海となった形を思い浮かべるのが良いだろう。

 この場合の三浦半島の付け根、逗子あたりにあるのがトレストであり、伊豆半島の付け根、小田原あたりにあるのがアルギアだ。




 この二つの都市は、アルスター王国成立以前からの港湾都市である。

 トレストはルガリア川、アルギアはルルド川という大河の河口にあり、海運と河川水運の結節点として商業で栄えてきた。

 その歴史から商人たちが自治を行う自治都市でもある。

 彼らは商業で得た富で傭兵を雇い、独自に武装している。


 もっともアルギアの方はかなり以前から実質的にノーマン家の傘下に入っている。

 ノーマン家は古くから彼らを支配するよりも取り込んで活用する方針であり、アルギアとしても自治にこだわるよりもノーマン家をパトロンとして活用して実利を取る方を、商人らしく選んでいた。


 ノーマン家は商業重視の政策を取っているが、自分たち自身が商人であるわけではない。

 安全保障とインフラ整備をしておけば勝手に富を運んできてくれるアルギアの商人はありがたい存在だ。


 アルギアの商人としても、傭兵は雇いたくて雇っているわけではなく、不要ならばそれに越したことはない。

 ルルド川の安全を勝手に保ってくれて、事前の取り決め通りの税金を払えばそれ以上の口出しをして来ず、それどころか交易に積極的に投資までしてくれるノーマン家は非常に良いパトロンだった。


 少なくとも現在のところ、両者は理想的な相利共生の関係にある。




 それに対して、トレストの独立性はかなり高い。

 ルガリア川の南岸、つまりアルスター平野の北端にある彼らに干渉してくる有力な勢力は長い間いなかったし、アルスター王国の成立後も歴代の王たちはトレストをさほど重要視しなかった。

 彼らの目はどうしても農業に向きがちだったし、商業政策も王都を中心としていた。

 長い間「壁」と認識していたルガリア川を商業に活用する、という発想には至れなかった。


 そのため、ルガリア流域の商業はほぼ放置されていたのだが、そのことが逆に、トレストの商人がのびのびと自由に活動する余地を与えた。

 ノーマン家がアルスター王国に従属したことによって平和な川となったルガリアを積極的に活用して、自力で発展していったのである。

 対岸のルガリア北岸を積極的に開発し始めたノーマン家との協力体制も早期に樹立し、分散投資の対象として大きな投資も引き出している。




 この二都市は、今まさにニクラス湾の南北で競い合うように発展を遂げているところだった。








 ウィニアはノーマン視察団の一員として、トレストに降り立った。


 ウィニアが視察団に参加したのは、クレスタ侯爵に依頼されたためだ。

 令息であるレオスと臣下であるフォルトを視察団に参加させることになったが、二人もその随員も内陸部の出身である。

 そのため、西部閥の中でも沿岸に位置するキルキア伯爵家に声がかかった。


 キルキア伯爵家はクレスタ侯爵家と主従関係にあるわけではないが、西部国境で異変が発生した際にはクレスタ侯爵家の指揮下に入ることになっており、その関係で西部閥に属する。

 また、伯爵家にはレオスと同年齢のウィニアがいた。

 キルキア伯爵はクレスタ侯爵が視察団に人員を派遣する意図をあまり理解できていなかったが、ウィニアがレオスとお近づきになれればメリットがある。

 伯爵は侯爵にウィニアを推薦し、侯爵が受け入れたため、参加の運びとなったのだ。




 ウィニアは当初、この視察を軽く考えていた。

 西部随一の商業港であるリューガを擁するだけあって、キルキア伯爵家は西部でも裕福な部類に入る。

 ノーマン家の強大な軍事力を支えているのは商工業の発展であるらしく、その発展をどのように成し遂げているのか見てきて欲しい、などと言われても、リューガを見れば事足りるではないか、と思ったほどだ。


 だが、それは大きな思い違いだったようだ。

 トレストの繁栄ぶりは、リューガをはるかに上回っている。

 街の規模自体が、倍以上大きいのではないだろうか。

 王都の海の玄関口であり視察団が海路に乗ったバルベックよりも大きい。


 この街はノーマン家の勢力圏ではないが、ノーマン家の勢力圏にあるアルギアはこの街と五分に競い合っているらしい。

 いったいどれほどの富を生み出しているのか、想像もつかない。




 目の前に広がるのは広大なニクラス湾の海と、対岸がかろうじて見えるか見えないか、というルガリアの大河。

 その一面の水上を、数えきれないほどの船がひっきりなしに行き来している。

 地上に目を向けても、足早に行き交う人や、荷車を引く牛が途絶えることが無い。


 街の規模としては流石に王都より小さいが、活気という点では王都に勝るかもしれない。

 王都とは違う、剥き出しのエネルギーが溢れている。

 ウィニアだけではなく、視察団の面々は圧倒されていた。






「ランフォード閣下!」


 そんな一行に声をかける者がいた。

 丸々と太った男だ。

 衣服は仕立てが良く、装飾品も身に着けている。


 大店の商人だろう、とウィニアは推測した。

 ウィニアには理解しがたい価値観だが、商人の世界では太っていることが一種のステータスになっている。

 太っていることは、太ることができるほど裕福である証、ということらしい。

 この価値観はかなり強固なもので、痩せていると商人としての能力に疑念を抱かれ、取引にも影響が出るほどだと聞いたことがある。

 そのため商人はある程度成功すると、太るための努力を始める。

 それが実っている者は、だいたいの場合、それなり以上の大店の商人だ。

 それに仕立ての良い衣服や装飾品が加われば、ほぼ確実である。




「ルシード、久しいな」


 呼びかけられたランフォード子爵、つまりノーマン家の嫡男であるアルバートがそれに対応した。


「お久しゅうございます。

 閣下におかれましては、ますますのご活躍のご様子。

 お噂はこのトレストにも届いております。

 何でも、反乱軍を鎧袖一触に討ち滅ぼしたとか」

「私は父上がいらっしゃるまで、敵の気を引いていたに過ぎん。

 あまり持ち上げるな」

「それでも三千もの敵を相手に、わずか百の兵で挑み掛かるなど、並の胆力ではできることではございません。

 さすがはノーマン家のご嫡男であらせられると、大層な評判でございます」


 アルバートは苦笑している。

 むしろ隣のソフィアの方が得意げな様子だ。


「ソフィア様もお久しゅうございます。

 首席でのご卒業、おめでとうございます」

「ありがとう」


 ソフィアはごく自然に微笑んで答えた。

 それを誇る様子は無い。

 アルバートが褒められている時の方が誇らしげだったくらいだ。




「他の面々も紹介しよう」


 アルバートはそう言って、視察団の面々を順に紹介する。

 ウィニアも自分が紹介された際には進み出て一礼を交わした。


「諸卿にもルシードを紹介しよう。

 ルシードは十年ほど前に市長に選出され、それ以来その座に在任し続けている。

 トレストは自治都市であることは知っての通りだ。

 その自治は市内の有力者による市議会で方針を決定し、市議会で選出された市長が方針に従って実務を担う形を取っている。

 このトレストで十年もの間在任し続けるというのは容易なことではない。

 非常に有能な市長と言って良いだろう。


 商人としても一廉の人物で、祖父が築き上げたネルフィア商会を三代目として危なげなく切り盛りしている。

 特に穀物の商いに長けており、当家も贔屓にしている商家だ」

「お褒めに預かり光栄でございます」


 ルシードが丁寧に一礼する。


 ウィニアは話を聞いたことしか無いが、リューガの代官はかなりの激務と聞いている。

 リューガの倍はあるトレストの市政を切り盛りしながら、商人としても活動するとは、相当の人物なのではないだろうか。



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