第22話 決断
アルバートが馬を飛ばして王都に帰り着くと、概ねお膳立ては済んでいた。
「オリヴィア様から、中部の取りまとめは済んだとのご連絡がありましたわ」
ソフィアから、そんな伝言を伝えられた。
聞くところによると、レーヴェレット侯爵家の全員と、信頼できる派閥内の貴族を使って、大急ぎでまとめてくれたらしい。
伊達に宰相を担っているわけではないと言うことだろう。
そして、アルバートが帰り着く前日のうちに、ディグリスのギルバートから伝書鳩が届いていたようだ。
中流、下流域の諸侯からは賛意を得られたらしい。
上流域の諸侯はまだ到着していないが、色良い返事は得られるだろうとのことだった。
それから、オリヴィアを通じてフェリクスと細かい調整をするうちに数日。
ギルバートから、上流域の諸侯からも賛同が得られたとの連絡があった。
やはり、西と南は間に合わないようだ。
これ以上待つと、こちらの準備が整う前に、リオンや近衛が暴発しかねない。
事後承諾で妥協することにして、フェリクスと共に登城した。
王宮の一室で待つことしばし。
侍従から国王ショーンの入来を告げられ、アルバートは頭を下げて入室を待った。
「面を上げよ」
ショーンの言葉に、顔を上げる。
今年の社交シーズンに入ってから、ショーンと対面するのは初めてだから、その姿を見るのは去年の秋以来だろうか。
随分と老け込んでいた。
心労が大きいのだろう。
やや頬がこけて、皺が増えたように思える。
髪も白い物が増えただろうか。
アルバートとしては、ショーンに悪感情は特に無い。
だから、この状態の人に対して、さらに鞭打つような真似はあまり気が進まないのは事実だ。
だが、それをしないと話が進まないのだ。
事務的に淡々と進めるのが良さそうだ。
「本日は、私とノーマン家より、現状を打破するための献策に参りました」
「……なんだと?
そのようなことができるのか?」
フェリクスが口火を切った。
ショーンが驚きに目を瞠る。
「はい。
ただし、王家に多くの犠牲を強いる物でございます。
心してご覧いただきますよう、お願いいたします」
言葉を継いで、努めて淡々とアルバートが言い、持参した冊子を差し出す。
それに賛同している貴族たちの名簿を添えて。
「分かった」
ショーンは受け取ると、冊子を開く。
そして、硬直した。
アルバートに視線を向けてくる。
アルバートはじっとそれを見返す。
ショーンは眉間に皺を寄せたが、何も言わずに視線を冊子に戻した。
心理的に疲れる時間になりそうだった。
冊子を読み終え、最後に名簿に目を通したショーンは、大きく息を吐き出した。
読み始める前よりも、さらに数年分、老けたような気がする。
気の毒に、という感情が湧きかけるが、押し殺す。
「……余に……全てを捨てろと申すか……」
「全てではございますまい」
アルバートは静かに言った。
「王家の方々の命を取ることはございません。
命は残り、家も残りましょう。
生活に関しても、新たな政府が十分に保証いたします。
ここまで貴族達の信を失った王家の扱いとしては、穏当なものと考えております」
実際、歴史的に見ても、お飾りとして残す、というのは穏当な方だと思っている。
フランス革命におけるブルボン朝のような形ではなく、明治維新における徳川家のような形を目指したつもりだ。
共和政に移行した後も、ほどほどの名家として残ってくれれば良い。
皆殺しのようなことはしたくなかった。
これはアルバートの気持ちの問題だけではない。
実利から言ってもだ。
何だかんだ言っても、ショーンは真っ当な王だった。
王家への不信が強まっている現在だが、それでもこれまでの実績からそれなりに人望があるのだ。
ショーンに関しては、生かしておくメリットの方が勝る。
「すでにドローニス王国では武力介入の動きが見え始めております。
我ら三家にて国境を固めてはおりますが、長期化すれば他の国も手を伸ばして参りましょう。
そのような動きがあれば、背後の安全のために、より強硬な手段で決断を迫ることも考えなければなりません。
賢明なるご判断をお願いいたします」
アルバートが頭を下げた。
フェリクスが、その後を継ぐように口を開く。
「侯爵位を賜り、宰相に任じていただいております当家としては、本来ならば身命を賭してでも反対すべき案にございましょう。
ですが、非才なる身ではどれほど考えても、国を割らず、王家を残す案は、これ以外に見つけることができませんでした。
不忠者の誹りは甘んじてお受けいたします。
なれど、臣にはこれ以上の献策はできませぬ。
東の三侯からの文も預かっております」
フェリクスが三通の書状を差し出した。
アルバートには無覚えの無い物だから、古参の有力貴族である侯爵家同士のネットワークでもたらされた物なのだろう。
それをショーンは、自らの手で受け取った。
その場で開き、目を通す。
ジリジリとした時間が過ぎる。
目を通し終えたショーンは、目を閉じて、背もたれに体を預けた。
「……一日だけ、時間をくれ」
瞳を閉ざしたまま、ショーンが言った。
アルバートはフェリクスと視線を交わす。
フェリクスの瞳には、懇願するような色があった。
一日待ったところで、何が変わるのか、アルバートには分からない。
フェリクスには分かる「何か」があるのだろうか。
正直に言えば時間は惜しい。
だが、一日を待てないほどではないはずだ。
ここで待たずに、王家が暴発したり、レーヴェレット家との間に亀裂が入るリスクの方が大きいように思えた。
アルバートは小さく頷く。
フェリクスはほっとしたように、小さく頭を下げた。
「それでは陛下。
また明日、同じ時間に参ります。
最後に一つだけ申し上げます。
オリヴィアが申しておりました。
王家の意図とは違った形かもしれませぬが、宮廷学校は間違いなくこの国を一つにした、と」
「そうか……」
姿勢を変えずに、ショーンが答える。
アルバートはフェリクスと共に立ち上がると、打ち拉がれたような国王に一礼し、静かに部屋を辞した。
アルバートとフェリクスが去ってしばし。
ショーンは重い体を引きずるようにして、宮廷学校を訪れた。
向かう先は、記念室と呼ばれる一室だ。
部屋に入る。
出迎えてくれたのは、絵だ。
宮廷学校が初めての卒業生を送り出して以来、毎年の慣例となっている集合絵画の数々。
いつしか、その絵を飾るためにこの部屋が作られた。
所狭しと飾られたその絵は、優に五十枚を超えている。
これまで王家が、否、王国が積み上げてきた、かけがえの無い財産だ。
古い方から順に、一枚ずつ見ていく。
これだけの者たちが、この学び舎に集い、王国中に散じて行った。
その代々で人は変わっていく。
けれども、皆、同じように、この国のより明るい未来を思い描いていたはずだ。
皆、大事なこの国の一員だ。
思えば、自分は王権の強化に邁進してはきたが、貴族家の力を削りはしても、徹底的に追い詰めて潰すようなことはしたことがなかった。
鵜の目鷹の目で貴族たちの粗を探して、それを咎めて潰す。
本気でユヴェールのような中央集権国家を作るのであれば、そうすべきだったにも関わらず、だ。
どこかで、歯止めがかかっていた。
彼の国の王家が見れば、何とも不徹底で甘いように見えただろう。
その半端さがこのような事態を招いたのだと笑うかもしれない。
だが……それが、この国の形なのかもしれない。
もっと、彼らと共に歩むことに、重きを置くべきだったのかもしれない。
順に見ていった最後。
そこには不自然な空白があった。
今年の卒業生の絵が、飾られる予定だった場所だ。
部屋の机には、渡されることのなかった首席勲章が、丁寧に、しかし所在なげに置かれている。
「これを壊してしまったのだな」
婚約破棄が問題だったのではない。
リオンだけが問題だったのでもない。
王家の言葉と行動が、建国王から積み上げ築き上げてきたこの国の形を、否定し、蔑ろにしたのだ。
リオンにとって、宮廷学校が国内の紐帯を強める場という認識は無かっただろう。
ユヴェール王国の学校がそうであるように、単に王家の家臣に必要な知識を与えてやっている場所、としか考えていなかったのだ。
婚約破棄を卒業式で行ったのも、単に多くの貴族にまとめて通知できて便利、程度の軽い認識だったのではないだろうか。
あの事件ですぐに大きな問題となったのは、ノーマン辺境伯家への侮辱だった。
だが最も大きな問題は、卒業式を台無しにしたこと、それ自体だったのだ。
実際に、今年の卒業生が全員式場を退去するという事態に陥っている。
卒業生全員が、自分たちの卒業を蔑ろにされたことに怒ったのだ。
そして、歴代の卒業生である親や兄姉の世代もその感情を理解し、同調した。
リオンが、貴族を尊重する意志が無いことを理解したから。
いや、そもそも貴族など無いもののような価値観をしていることを理解したからだ。
ショーンは頭を振った。
リオンだけの責任ではない。
ショーンだって、足元が見えていなかった。
中部の貴族たちが苦しんでいることに気づかず、国内は安定したと判断して、外に目を向けていた。
卒業式をリオンに任せて西部に視察に行ったのは、その表れだろう。
「この学校は、この国にとって、そんなにも大事なものになっていたのだな」
一面に並んだ、誇らしげな卒業生たちの姿に、深く、深く、頭を下げる。
覚悟は決まった。
王家は領地を失い、富を失い、力を失い、お飾りの地位に落ちることになる。
自分の後は王家ですらなくなる。
だが、ヴェスタ家は残る。
そして、アルスターという国も残る。
これからは、生まれ変わるこの国の行く末を見守ることに生きよう。
いずれ渡る黄泉路の果てで、祖先に語って聞かせるために。
明けて翌日。
アルバートは昨日に引き続き、フェリクスと共にショーンの元を訪れていた。
憑き物が落ちた、というのだろうか。
ショーンの姿は昨日とは違い、驚くほど落ち着いた物だった。
表情もすっきりとしている。
アルバートはそのことに驚いたが、フェリクスには驚きは無さそうで、どこか嬉しそうだった。
よく分からないが、長年を共にした主従だから分かる何かがあるのだろう。
「献策を受諾する」
ショーンは、静かな口調でそう言った。
アルバートは内心で首を傾げる。
昨日と違い過ぎる。
だが、その疑問は捨てることにした。
重要なのはショーンが決断を下したことだ。
自分にとっては、それだけで良い。
「ありがたき幸せ」
フェリクスと共に頭を下げて、その決断を受け入れた。
これで次のステップに進める。
口を開こうとしたアルバートより早く、ショーンが言葉を続けた。
「ついては二人に命ずる。
共和政への移行の際に、また移行後に障害となるであろう者を排除せよ」
アルバートが驚いていると、ショーンが少し笑みを浮かべた。
「余が王として命を下せる最後の仕事であろう?
王政の後始末、と言うのは」
「ご賢察の通りかと」
フェリクスが隣で頷いていた。
「新しいアルスターには要らぬであろう?
王権の復活を目論む王族も、王家に忠誠を誓う武力集団も、領土と権力欲を持った王家の分家も、な」
ショーンは唇の端に笑みを乗せて、しかしひどく昏く冷たい瞳で、そう言った。
「今後、この国の王に必要なのは、野心を抱かず、全力で国の飾りとして役割を全うすること。
違うかな?
飾りの役割を全力で、というのもおかしな表現だがな」
「仰せの通りでございます」
フェリクスも、よく似た表情で応えた。
アルバートは思った。
この主従を、少し見誤っていたのかもしれない、と。
アルバートはこれまで中央とあまり関わることが無かった。
だから、アルバートが知っているこの二人の姿は、国内の現状が見えておらず、状況の悪化に手を拱いているものだった。
だが、もしかすると、状況が見えてさえいれば、適切な対応ができた人達なのではないだろうか。
もっと早く手を打てていれば、また別の道があったのかもしれない。
惜しいな、と思いかけて、それを内心で否定する。
彼らは気づかなかった。
それが全てだ。
覆水は盆に戻らない。
すでに貴族たちの信頼を失ってしまっている以上、今更どんな「もしも」を考えても意味は無いのだ。
「フェリクスに命ずる。
リオンと近衛隊を、偽装の内通者を使って唆し、王都から脱出させよ。
行き先はローレン公爵家。
リオン、近衛隊、ローレン公爵家の合同で挙兵させるように仕向けるのだ」
「はっ」
「ノーマン辺境伯家に命ずる。
挙兵した反乱軍を殲滅せよ。
一人も残す必要は無い。
共和政への移行に反対する者の心胆を寒からしめよ」
「御意」
アルバートはフェリクスと並んで、恭しく頭を下げた。
婚約破棄から始まった貴族革命、あるいは共和革命と呼ばれる事件は、最終局面へと向かう。
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