第20話 交代

 ギルバートは冊子から顔を上げ、アルバートに目を向けた。


「良いんじゃないか?」

「随分とあっさりですね」


 ギルバートが簡単に答えたことに、アルバートは驚いたようだった。




 ここはタルデント領の領都ディグリス。

 その領主館の一室である。


 先日、アルバートからコルムのギルバートに連絡が届いたのだ。

 相談したいことがあるが、至急なので、ディグリスで落ち合えないか、と。

 伝書鳩で届いた書状の日付は三日前。

 王都からコルムは直接伝書鳩で繋げる距離ではないから、トレストとアルギアを経由してきたものだ。

 アルバートはすでに王都を発っているだろうから、すぐにギルバートが出発すれば、ちょうどディグリスで合流できそうだった。


 そうしてコルムを発ち、馬を飛ばして二日。

 二人はディグリスで無事合流した。


 ディグリスを治めるタルデント伯爵はギルバートからすれば義兄、アルバートからすれば伯父に当たる。

 王都との間を行き来する途中で泊まるのも恒例のことだ。

 今回も、快く場所を貸してくれた。





「お前とソフィアとヘンリックと、ついでにレーヴェレットの娘が知恵を絞って作った物なんだろう?

 ならば、これ以上の案は無いんだろうよ」


 ギルバートは肩をすくめて笑った。


「そもそも俺は政治は苦手なんだ。

 軍事はともかく、政治ではとっくにお前の方が上だ。

 そろそろ爵位も譲るつもりだったんだからな」

「聞いてませんよ」

「今初めて言ったからな」


 アルバートは驚いているようだが、ギルバートにとっては既定路線だ。

 確かにまだ一般的には引退する年ではないが、早くアルバートに主導権を譲りたかった。

 当主が嫌になったわけではない。

 アルバートが当主となったノーマンを早く見たいのだ。


「お前たちの『研究室』には何度驚かされたかわからん。

 お前とソフィアが訳のわからんことを騒ぎ立てては新しいことをやって、そのたびにノーマンは豊かになった。


 テントウムシを繁殖して畑に放すだの、冷害の年に収穫できた麦は買い上げてでも食わずに種籾にしろだの、麦が無いなら虫を食えば良いじゃないだの言われた時には、何を言ってるんだこいつはと思いもしたがな。


 だが、お前はそれを形にしてきた。

 普通じゃ思いつかない発想を思いつくのはすごい事だが、大事なのはそこじゃない。

 お前にはそれを実現する力がある。

 それは領地の誰もが認めてることだ」




 実際、領内で統治者としてのアルバートへの評価は非常に高い。

 それは様々な効果的な政策を思いつくから、ではない。

 こういう政策が有効そうだ、と言うことまでなら誰でもできる。

 外国かぶれの馬鹿でもできる。


 アルバートの優れた点は、自身やソフィアの何気ない疑問や突拍子も無い思い付きを、現実の施策として実行可能な形にまとめる計画力と現実感覚、そしてそれを構想や案で終わらせずにやり切って形にする意志だ。




 その根底にあるものが何なのか、ギルバートは知っている。

 アルバートの弟が二人、相次いで亡くなった時、アルバートは領主には向かないな、とギルバートは思ったのだ。

 ノーマン領では人が死ぬなど当たり前のことだ。

 幼な子であっても、むしろ幼な子だからこそ呆気なく死ぬ。

 いかに自分に最も近い肉親とは言え、人の死にここまで悲しむようでは、この辺境で生きて行くには優しすぎるだろう、と。


 だが、アルバートはそれを乗り越えた。

 優しさはそのままに、歯を食いしばって人の死を乗り越える強さを得た。

 あれ以降、親兄弟に死者は出ていないが、アルバートの同年代の友人たちは、幼少期を共に過ごす中で、すでに三割ほどが世を去っている。

 アルバートは彼ら彼女らの死を受け入れ、受け止め、その上で前へ進む。


 辺境の者たちの多くのように、仕方のないことだと諦めるのではない。

 彼や彼女がなぜ死なねばならぬのかと嘆き、死なせぬためには何ができたかと問い、これからさらに死なせぬために何をするべきかを考え、そのために進むのだ。

 少しでもこんな思いをする人が減るように、と。




 だからアルバートには人が付いて行く。

 アルバートの少し上ぐらいの年齢より下、アルバートを見て育った世代の者達の結束は、驚くほど固い。

 辺境の者達は仲間意識が強いが、その中でも飛び抜けている。


 アルバートが奇想天外なことを言い出しても、これがノーマンに必要なのだと力説すれば、またか、と呆れ、苦笑しながらも付いて行く。

 命を賭けることも厭わずに。

 ヘンリックがその筆頭だろう。


 ギルバート達、上の世代にとってもアルバートは期待の星だ。

 今まで自分たちでは解決できなかった問題を、思いも寄らない形で解決して行くのだ。

 期待するなという方が無理だ。

 しかも、その方法が独創的極まりない。

 ノーマン領の逞しい者達は、次は何を言い出すかと楽しんですらいるようだ。




 生まれ落ちてすぐの経験と、ノーマン領の過酷な環境と生活は、アルバートの中に、前世ではあまり縁の無かった能力を育んでいた。

 それは、リーダーシップやカリスマ性と呼ばれるものだ。




 ギルバートは冊子に目をやる。


 今回のこの案も、アルバート本人にとっては無意識だろうが、彼自身が中央に深入りし過ぎることを避けるための物に思えた。

 各種の改革だって、アルバート自身が中央に乗り込んで行う形でも良いはずなのだ。

 むしろその方が早いだろう。


 それをしないのは、アルスター側との摩擦を避けるためもあるだろうが、それ以上に、さっさとノーマンに戻りたいからに思える。

 今後、アルバートはギルバートの代よりもアルスターに積極的に関わることになるだろう。

 今や経済的に切っても切れないほどまで関係が深まっているのだから。

 だが、それはあくまでも「地域の有力者」「有力議員」の範囲で行うつもりと見た。

 アルスターからすれば歯痒く感じるかもしれないが、ノーマンからすればこの上なく信頼できると言える。




 立ち上がって歩み寄り、アルバートの肩を叩いた。


「お前に任せる。

 好きにやれ」


 ギルバートは、ノーマン家がアルスター王国の中で強力な自治権を持ち、軍事力も経済力も領地の広さも国内随一であることを誇りにしている。

 一方で、このままではいつまでも国内で「よそ者」であり、そのことの危険性も感じていた。

 だからこそ、メンツを保ったまま家の方針を変更できる良い機会だと感じたのだ。


 この案にある、アルスターとノーマンが支え合う形は願ってもない。

 アルスターの連中も、付き合ってみれば悪くなかった。

 ルガリアの水運や水軍には驚かされた。

 タルデントの弓やオロスデンの盾が、味方だとあんなに頼もしいとは思わなかった。

 いずれは他の侯爵家とも轡を並べてみたい物だ。


 今後はアルバートが当主で、ギルバートはその一族。

 それで良い。








 重いな。

 アルバートは肩に置かれたギルバートの手に、そう感じた。

 物理的な物ではない。

 期待の重さだ。


 この世界に生まれ変わったと自覚した頃には、こんなにも色々な物を背負うことになるとは思わなかった。

 家族や友人達の助けもあって、ここまでどうにかやってきた。

 これからはさらに重い物を背負うことになる。

 だが、どうにかやっていかなければならない。


 それを支えてくれるであろう人達の姿を思い浮かべて、心を奮い立たせる。

 今まではその中にいたことのない「彼女」の姿が脳裏をよぎり、頭を振って払う。

 今は、今すべきことだ。




「それでは早速ですが、父上にこの後やっていただきたいことがあります」

「何だ?」

「ルガリア流域の諸侯と会合を行なって、彼らを束ねていただきたいのです」

「根回しか」

「はい。

 会合場所はこのディグリスが良いでしょう。

 ルガリアのちょうど中間地点ですから、下流からも上流からも集まりやすい。

 オロスデン侯爵にも参加していただけます」

「なるほど、ちょうど良いな。

 と言うより、最初からそのつもりでディグリスに呼んだな?」

「バレましたか」


 苦笑する。

 実際、ディグリスは非常に便利な街だ。

 ノーマン家がアルスターに従属して以降は、ルガリア川の水運の要地として急速に発展している。

 ルガリア川の恩恵に何らかの形で与っている領地とは、ほとんど付き合いがあるのだ。


 まず、縁戚のタルデント伯爵家とオロスデン侯爵家に話を通し、同意を得る。

 ここは気心が知れているから、考えることもだいたい分かる。

 問題無いはずだ。

 そして、この三家の総意として話せば、他の諸侯の同意も引き出せるだろう。


 ルガリア流域諸侯の意見をまとめられれば、影響力は非常に大きい。

 単純に面積で言ってもアルスター王国全体の三分の一に近いし、四侯一伯という領主貴族トップ五家のうち、四家の意志が統一できるのだから。

 ここをまとめる会合を持つのであれば、すでに顔が売れていて年嵩のギルバートの方が向いている。




 そして、アルバートは王都にとんぼ返りだ。

 予定ではレーヴェレット家が中部の根回しをしてくれることになっている。

 中部は王都と関わりが深く、必然的に宮廷貴族と関わりが深いため、任せることにしたのだ。

 中部の中小貴族を領地の買い上げという形で救済するのであれば、実施責任者は宰相のフェリクスになるだろうから、説明役として適役とも言えた。


 残るは南部と西部。

 正直に言って、ここは連絡や意志統一が間に合わない可能性が高い。

 西部のまとめ役であるクレスタ侯爵に、領主侯爵家の繋がりでオロスデン侯爵から連絡を入れてもらうことはできるが、いかんせん遠い。

 南部に至っては目立ったまとめ役がいない。

 事後承諾にせざるを得ないかと覚悟している。


 南部と西部を合わせても、勢力はアルスター全体の三分の一あるか無いか。

 押し切ることはできるが、禍根を残す可能性があることは留意しておかなければならない。




 そんな内容を、ギルバートに手早く説明する。


「なるほど。

 兵の用意は要るか?」

「用意はしておいてもらえますか?

 近衛の動きが危ういと感じています」


 王都を出た時点では、具体的な動きはしていなかった。

 だが、オリヴィアからの情報では、リオンに同情的なのは確認できたとのことだったし、リオンが暴発しかねないという情報ももらっている。

 リオンが暴発するならば、必ずここは結び付く。




「分かった。

 ルガリアの連中をまとめて、この案を飲ませる。

 万一に備えて出兵の準備をする。

 

 で、これを最後の仕事にして、俺は引退だ。

 今後は面倒な政治は全部お前に押し付けて、俺は遊牧民どもと戯れて暮らすさ」

「だいぶ物騒な隠居生活ですね」

「適度な刺激と運動は長生きの秘訣らしいぞ。

 父上もそれで八十まで生きた」


 ギルバートが豪快に笑った。

 確かに祖父はそう言う人だった。

 死ぬ時は馬上で、と言って東部の草原地帯を巡回する領軍に同行するのが常だった。

 惜しくも馬上ではなかったが、野営中の天幕で亡くなったらしい。

 大往生だったし、満足そうな死に顔だったから、これまでの葬儀で一番悲しくなかったことを憶えている。




「ソフィアも卒業して領地に戻ってくるから、ますます新しいものは生まれるだろうな。

 ヘンリックは良い具合に常識人だから、もう少し経験を積んで押しの強さが身につけば、お前らのやりすぎを防いでくれる……はずだ。

 隠居生活の楽しみは多そうだ」


 ギルバートは満足そうに笑っていた。

 アルバートもつられて笑いながら、ティーカップを取った。






「ああ、常識人で思い出した。

 レーヴェレットの娘はいつ嫁に来るんだ?」




 茶を噴きそうになった。




 ゲホゲホと咽せながら涙目でギルバートを見ると、ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべていた。


「ソフィアとヘンリックから、鳩で逐一報告が入っているぞ。

 なかなか良い雰囲気らしいじゃないか」

「そんなことに伝書鳩を使ったのか、あいつらは……

 ではなく、艶めいた話をしたことは無いのですが」

「内容じゃない、雰囲気の問題だ。

 羨ましいぞ。

 俺はそういう時期はなかったからな」

「母上に関しては時期の問題では無いかと」

「違いない」


 ギルバートの妻、アルバートの母であるエリザベスは、何と言うか、過剰なまでに泰然自若と言うか、おおらかと言うか、非常に受容能力の高い女性だった。

 嬉し恥ずかしの色恋沙汰というのは想像が付かない。

 でもなくて。




「まだ何も具体的な話にはなっていませんよ。

 先方からの婚姻の提案は断ってしまいましたし」

「それはヘンリックを王配に、って話とセットだったからだろう?

 それとは別に、縁談として悪くない話だと思うが?

 だいたいソフィアと上手くやっていけそうな令嬢が他にいるのか?」


 畳み掛けられて、ぐうの音も出ない。

 そもそもの話として、アルバートが二十歳を過ぎても婚約者すらいないのは、最後の問題が非常に大きい。

 ソフィアと上手くやっていけそうな令嬢など、そうそういるものではない。

 だからと言って、ソフィアの方をアルバートの近くから排除することはできない。

 ソフィアの能力があまりにも惜しいからだ。


 そのソフィアと良好な関係を築けている。

 当人の能力も、今のノーマン家の欠点を補ってくれるもの。

 家の縁としても、今後のノーマン家は中央にも関わっていくことになるのだから、宮廷貴族のトップと繋がりができるのは重要だ。




「だいたい、お前は『まだ』と言った。

 まだ具体的な話にはなっていない、とな。

 それが全てじゃないか?」




 それに対して、結局、アルバートは何も有効な反論ができなかった。



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