第2話 生まれ変わって
ため息を吐きたい気持ちを抑えながら、アルバートは歩む。
傍らの少女に気を遣ってゆっくりと。
チラリと横目で見ると、思ったよりもショックを受けている様子は無くて安心する。
どちらかと言えば混乱や戸惑いが大きそうな様子だ。
パニックになったり泣き出したりするようなら、面倒なことになるところだった。
女性の対応は得意とは言い難いのだ。
とは言え、ため息を吐きたい相手は、もちろんオリヴィアではない。
まさか「公の場での婚約破棄」などというものをこの目で見ることになるとは。
マンガだのゲームだのラノベだのではありがちな話だが、本気でやる奴があるか。
そう考えてから思い直す。
異世界転生などということが実際に起こってしまったのだから、この程度のことは驚くに値しないのかもしれないな、と。
そう。
アルバートには前世の記憶があった。
二十一世紀の日本で生きた記憶が。
それがどういうわけか、気がつくとこの世界の赤ん坊になっていた。
死んだ記憶は無いので、厳密には転生というのは違うのかもしれないが、まあ些細なことだ。
それから二十年ほど。
長かったような短かったような、不思議な気分である。
意識がはっきりしたのは、二歳の頃だったと思う。
最初はどこか現実感が無かった。
二十一世紀の日本人であれば、興味を持つかどうかは別として、異世界転生ファンタジーというコンテンツを存在すら知らない、という人はそういないのではないだろうか。
それが我が身に起こったのである。
しかも、人生が切り替わる前後が記憶に無い。
まあ、夢だと思うのは当然の反応だろう。
それでも、体に伝わるリアルな感覚の数々から、これは現実なんだと、実感が生まれてきた頃。
弟が生まれた。
前世では一人っ子だったので、弟という存在に触れるのは初めてだった。
嬉しさとか、期待とか、不安とか、心配とか、いろんな感情で胸がぐちゃぐちゃになった。
ウィルと呼ばれていた弟と過ごすことを色々想像して、やはり一番大きかったのは期待だったと思う。
そして迎えたその年の冬。
寒さから風邪を引いて熱を出したウィルは、ある日眠りについた後、二度と目覚めなかった。
あまりにもあっさりと訪れた永遠の別れに、最初は呆気にとられた。
そして泣いた。
それはもう泣いた。
自分がこんなに泣けるものなのだと、後から驚くくらいに泣いて、泣き止んで。
そして気づいた。
アルバート以外は、悲しんではいても、どこか仕方ないと諦めて受け入れていた。
中世ヨーロッパでは、貴族でさえも乳幼児の死亡率は三〇から四〇パーセントに上ったという。
ウィルは運が悪かった。
両親を含めたこの世界の人々にとっては、その程度のことなのだ。
その時初めて、この世界の厳しさを思い知った。
三歳になり、「三歳の披露」という儀式があって、「アルバート」という名前を与えられた。
今まで「アル」と呼ばれていたが、それは三歳までの間だけ使う愛称で、正式な名前ではなかったようだ。
この行事は家門の中のお披露目で、この時を以て、「家に子供が生まれた」と言うことになるらしい。
つまり、ウィルは生まれたことにすらなっていないのだ。
前世の七五三も、昔はこんな行事だったのだろうか。
おめでたい席だったはずなのに、ひどく重い気持ちで胸が苦しかった。
その年の秋、再び弟が生まれた。
喜びよりも、恐れの方が大きかったと思う。
祈るような気持ちで、二人目の弟を見守った。
だが、フィルと呼ばれたその弟も、冬を越えることはできなかった。
役に立たない前世の知識を恨んだものだ。
あったとしても何ができたわけでもないのだろうが。
そして、その頃始まった貴族としての教育を受けながら、決めたのだ。
こんな思いをする人が少なくなるように頑張ろう、と。
そうして、この世界に全力で向き合うことを決めると、次に考えたのは、前世の知識をどう活かすか、である。
知識が世界に及ぼす影響など知ったことか! と気合を入れて色々考えたのだが、結果は芳しくなかった。
「チートできそうな知識ほど使えない」という結論に達してしまったのだ。
この世界が地球の法則が通じる世界であるとは限らない、と言うのが大きな問題だった。
体感できる範囲の物理法則は多分同じだ。
地平線が弧を描いているから、大地が球形であるのも多分間違いない。
だが、この世界において天動説と地動説のどちらが真実なのかはわからないのだ。
神話によると、
「大地の中心に大地の大神コルギアがいらっしゃり、大地に生まれた万物はコルギアの元に帰ろうとする。
だから大地のどこにあっても万物は大地の中心に向かって落ちるのだ。
この大地の周囲を、太陽の神ニルスと月の女神セルナの兄妹神が交代で巡り、地上を照らしてくださっている」
とされているのだが、これを否定できる材料が無いのだ。
まだこの世界で見たことはないが、海には潮の干満があるらしいから、おそらく月にも引力はあるのだろう。
だが、この世界の引力は「万有引力」ではなく、コルギア様やセルナ様などだけが持つ神様パワーでないとは言い切れない。
少なくとも自分の知識では。
助けてニュートン先生!
根本からしてそうなので、個々の生物や物質のことなど、何の参考にもならないと言って良いのではないか。
例えば、毎日食べるパンの原料になっている穀物。
多分小麦だろう、と思っているのだが、「リンデ」と呼ばれているこの植物が、地球の「小麦」と同じ植物と言えるのだろうか?
前世では一般的な町住まいの日本人だったアルバートは、畑に生えている小麦はおろか、粒の状態の小麦すら実物を見たことが無いのである。
そんな状態で「ノーフォーク農法だ!」などと言えるわけがない。
「小麦」の栽培には有益な農法が、「リンデ」の栽培には有害な可能性だってあるのではないか。
その上、そもそもノーフォーク農法のことなどWikipediaレベルでしか知らないのだ。
論外である。
せめてT⚪︎KIOくらいの知識が無いと、検討にすら値しない。
青カビからペニシリン、なんて試してみる気にもなれない。
生物のことだけではない。
例えば、この世界で硝石と硫黄と木炭を適切な比率で混ぜて黒色火薬らしきものを作ったとして、それが爆発するかと言えば、分からないとしか言いようがない。
ダメ元で試してみるにしても、そもそも硫黄や硝石がこの世界に存在するかも分からない。
存在するとしても何と呼ばれているか分からない。
さすがに木炭は実物を確認したが、この世界では「タズ」と呼ばれていた。
知らなかったら、絶対に探し出せない自信がある。
それでも、懸命に脳内を総ざらいして、どうにかこの世界で使える知識を洗い出した。
まずは数学。
さすがにこれは大丈夫そうだ。
この世界でも、数字さえ理解してしまえば1+1は2だった。
辺の長さが3:4:5の三角形は直角三角形になったから、三平方の定理も成立しているようだ。
実際、三角測量をしている現場を見る機会もあった。
であれば、アルバートが知っているレベルの数学は、この世界でも有効だろう。
実は前世の世界でも日本人の暗算能力は相当優秀だったらしいから、それも役立ちそうだ。
それと、材質よりも構造や仕組みが重要な道具類。
例えば算盤なんかは、木や竹以外の材料で作っても道具として成立する。
いわゆる「コロンブスの卵」系の発明は有効そうである。
そして何よりも、「歴史の法則」は概ね通用しそうなのは嬉しかった。
前世では歴史大好き人間だったのである。
アルバートが生まれたアルスター王国は、君主制の封建国家であるようだ。
現在の国王は三代目であり、それ以前は各地に有力者が乱立しており、それを建国王アルフレド陛下が征服してできたのがアルスター王国なのだそうだ。
地球の人類史では、それはもうよく見た流れである。
同じような歴史の流れを辿っているということは、人の集団としての性質もたいして変わらないのだろう。
つまり、「ノーフォーク農法」が通用するかどうかは分からないが、
「ノーフォーク農法のような農業改革によって生産性が増加すると、大規模な余剰人口が発生し、農業は土地面積ごとの就労可能人口に上限があるため、その人口は商工業で吸収せざるを得ず、労働人口の増加によって商工業の発達の基盤となる」
という知識はおそらく有効だということだ。
「歴史は繰り返さないが韻を踏む」とも言うし、この世界を生きる上で貴重な指針になってくれそうだった。
そんな風に貴族の教育と自身の思索に励んで迎えた翌年。
父が側室を迎えた。
さらにその翌年にはその女性が女の子、フィーを産んだ。
フィーが最初の冬を越えられた時の喜びと言ったら無かった。
それはもう可愛がった。
フィーはその次の冬も無事に越え、その年に母が産んだ弟リックと共に、その次の冬も越えた。
そうしてフィーも、続いてリックも、無事に「三歳の披露」を終えることができた。
自分はと言えば、王都に出向いて行う「七歳の披露」という行事があった。
貴族の子供として国王に、そして他の家門の貴族に顔見せを行い、公式に貴族の子供として認知する行事らしい。
その時に知ったのだ。
この国に、貴族の通う王都の学校、なるものが存在することに。
最初は何の冗談かと思った。
マンガやゲームじゃあるまいに、と。
だが、よくよく聞いてみると、確かに制度として有効かもしれない、と思えてきたのだ。
その学校は恋愛ゲームなんかでありそうな、キラキラしい学生達がふわふわと恋愛を楽しむような場ではない。
要は、形を変えた参勤交代のような物だ。
まず、貴族の子供は、この学校を卒業しないと成人の貴族として認められない。
成人の貴族でなければ、家を継ぐことはできない。
例え親が後継者として指名したとしても、王家が継承を認めないのである。
通学は義務とはされていないが、少なくとも嫡男にとっては実質的に義務である。
それ以外の子供でも、あらゆる場面で貴族としての権利を得ることができない。
だから、庶子として平民にするのでもなければ、卒業は必須である。
学校は王都シュレージの王宮に併設されており、寮などというものは無い。
通学する期間だけの賃貸物件などというものも無い。
必然的に、家を存続させたければ、王都に邸宅を保有し、そこから子供を通学させなければならない。
当然、邸宅の購入にも維持にも費用がかかる。
もちろん学費も取られる。
貴族に金を使わせる仕組みの一つだろう。
入学も卒業も年齢の制限は無いが、十から十三歳くらいで入学し、十五から十八歳くらいで卒業するのが一般的だ。
その間、この子供達は人質として機能することになる。
学校での生活は、まさに「小さな宮廷」であるようだ。
成績の評価に関しては公平になっているようだが、ゲームであるような「学校内では平等」などということは全く無い。
親の派閥に基づいた学校内の派閥が作られ、その集団で活動する。
学年や学級などというものも無い。
教授が定期的に開催する講義を自主的に受け、教授の試験を受けて合格をもらって修了証を集め、それが五枚集まったら卒業可能である。
いつでも卒業して良い。
とは言え、卒業資格を得るまで五年はかかるように「調整」されているようだ。
卒業できなくても退学という「人質解放」は無い。
無限に留年して学費がかかり続けるだけだ。
どうしてもという場合は、自主的に退学はできることになっている。
貴族としての身分を得られなくても仕方がない、と家から判断されたということなのだから、そのような人物を人質として取っておく意味は無いということなのだろう。
教わる内容は基本的に自主的な選択に任されているが、歴史が必修とされていることに作為を感じる。
おそらく、国に対する帰属意識や王家に対する忠誠を刷り込むような意図があるのではないだろうか。
もちろん、これらの意図は明確にそう言われているわけではない。
だが、まず間違いない推測だろうと思う。
アルバートの感覚でひっくるめて言うならば、「参勤交代で江戸屋敷にいる大名の子供を集め、大名に資金を出させて幕府が運営する学校を作り、そこで儒教を中心とした教育を行う機関」を幕府が作っていたらこんなものになったんだろうな、と言ったところである。
とは言え、そんな意図が裏にあったとしても、学校生活は意外と悪くなかった。
十一歳で入学して十七歳で卒業したが、率直に言って楽しかった。
なんだかんだ言って、同じ年頃の連中で集まってワイワイやるのは楽しい物である。
受けられた講義は間違いなくこの国で最先端のものだったし、おかげで前世の知識と今世の現実とのすり合わせができた。
講義内容は礼法、ダンス、音楽、武術、馬術、軍学、算術、工学、法学、薬学、博物学など様々だ。
派閥の中で、講義で学んだ内容を練習するために小さな茶会やダンスパーティーをしたり、理解を深めるために勉強会をしたりするので、それがクラスのようなものと考えることができるかもしれない。
時には派閥の垣根を越えて討論会やら武術大会やらが開かれることもあり、これらを上手く運営できるかどうかが、王族や高位貴族家の学生の腕の見せ所だ。
そういった形で、他の領主貴族家や中央の宮廷貴族家の連中とも交流ができた。
もちろん気に食わない奴らも理解できない奴らもいたが、そう言うのもひっくるめて、良い学校だったんじゃないかと思う。
卒業式ではジンと来たし、泣いている同期卒業生もいた。
多分、この気持ちはどの期の卒業生も同じように抱いていたと思う。
少なくとも、自分が見てきた中ではそうだ。
だからこそ。
それをぶち壊しにするような阿呆な輩の行いに、本気で腹が立ったのだ。
ましてや、今回は特別。
大事な大事な大事な、妹の卒業式だったのだ。
だから、抗議したこと自体は反省も後悔もしていない。
ただ、卒業生たちには、何かの形で良い思い出を残してやれないか、と、そんなことを考えていた。
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