【深淵の黒鶴】

@HisakT

プロローグ お昼休みの氷と太陽

 弓鶴ゆづるは、生徒たちの間で「氷柱に封印されし王子様」と囁かれる、際立つ存在だった。誰もが振り返る美しく端正な顔立ちは、「直視されたら、キュン死どころか鼻血出てぶっ倒れる」と言われるほどの危険レベル。


 ところが、その容姿とは裏腹に無口で無愛想で、常に冷たい陰の波動を放ち、周囲の誰とも馴染もうとしない。


 そんな彼に近づけるのは、茉凜まりん唯一人だった。


 天真爛漫で諦めの悪い彼女の猛攻に、さしもの弓鶴も両手を上げて降参するしかなかったのだった。


 今日も、お昼休みになると二人は校庭の外れにある、大きな木の下でお弁当を広げた。


「今日の主役は唐揚げ。下味には佐藤さんから教わった秘技がしこまれております!」


 茉凜はいつものように、明るい笑顔でお弁当を差し出した。


 弓鶴は無言でお弁当を受け取り、静かに合掌すると、食べ始めた。


「どう?  美味しい?」


 茉凜は少し照れながら尋ねた。


 弓鶴は一瞬手を止めて彼女を見つめた。


「まあ、普通だ」


 彼は無愛想に答えたが、茉凜は満足そうに笑顔を浮かべた。

 

 彼の言葉の中に、微妙なニュアンスを感じ取っていたからだ。それは彼女が定義するところの、『弓鶴言語』というもので、他の誰にも解読不能だったりする。


「そっか、なら良かった」


 二人はその後も静かにお弁当を食べ続けた。茉凜の明るめなブラウンの髪が風に揺れ、陽光に輝いて見えた。


 弓鶴が凍氷であるなら、茉凜の存在はそれを溶かすような、温かい日差しなのかもしれなかった。


 茉凜はふと思い立って尋ねた。


「ねぇ、弓鶴くん。最近、なにか楽しいことあった?」

「特にない」


 弓鶴は短く答えたが、その声にはどこか安らぎが感じられた。


「わたしは、こうやって一緒にお弁当を食べる時間が、とっても楽しいな」


 茉凜は微笑んだ。


 弓鶴はその言葉に一瞬驚いたようだったが、すぐに顔を背けて「ふん」と鼻を鳴らした。


「そんな事でか? お前は本当に単純だな」

「うん、そうかもね。でも、それで幸せだからいいの」


 茉凜は屈託なく笑った。


「酔狂な奴」


 弓鶴は少し呆れ気味に言った。


 彼のぶっきらぼうで冷淡な態度も、茉凜にだけはまるで通じない。そんな彼女の純粋な心が、少しずつ彼の冷たい壁を溶かしていくのだ。


 風が木々を揺らし、葉のざわめきが二人の静かな時間を包み込む。茉凜だけが彼に寄り添い、彼の心を温める存在だった。


 毎日のように繰り返されるこのひとときが、二人にとってかけがえのない大切な時間となっていた。そして、その時間が、弓鶴の心を少しずつ変えていくのを茉凜は感じていた。

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