くうところ

空暮

第1話

 恥の多い生涯を送ってきました。


 私の生涯は、人様に見せられるようなものではなく、また、見せていいようなものでもございません。ただ、言い訳をさせてもらえるのであれば――人より少し強かった、それだけです。


 武勇伝のようなお話はあまりしたくないので控えさせていただきますが、そのせいで……いや、そのせいでと言うのは言い訳がましいですね、何もかも、私の性根のせいでしょう。私は、私自身の性根のせいで、長く塀の中で過ごしておりました。


 長く自分を見つめる時間があったからか、私は自身のしたい事にやっと気が付きました。それは、皆様に料理を提供することです。


 幼少の時分から、私は常にお腹が空いていました。それはどちらかと言うと飢餓に近かったのかな、と今になって思います。何しろ、私の身体は他の人と違って燃費が悪かったので……自身で稼げるようになってから多少はその感覚から遠ざかったものの、ねっとりと背中に未だに、その感覚が張り付いているような、嫌な感覚が付き纏っています。


 ――話が逸れましたね。その後、私はお世話になった堀の中にいる時、仲間たちと話すのは食べ物の話ばかりで、私たちはいつもいつも食べ物の話ばかりをしていました。麦の入っていない米が食いたいだとか、魚より肉が食べたいだとか、そんな話をしている中で、私がふと話した夢の内容に、皆が応援してくれた結果、私は”誰もがお腹いっぱい食べられる店”を経営する事になりました。


 その夢を叶えて3年、楽しい事なんかより辛い事や苦しい事の方が多かったです。しかし、『飲食業は3年以内に70%は潰れる』と言われる時代に、どうにか自身が食べていけるほどのお金を稼げるようになったのは、ひとえにこれまで出会った人たち、また、これまでの苦労があってこそだと思っています。私がしでかした事は到底許されるものではありません。しかし、こうやって、お客様に滅私奉公し、笑顔で、


 「ありがとう! ごちそうさま!」


 と言ってもらう事で、少しでも罪滅ぼしができたらと思い、日々こうして鍋を振るい、包丁を握っているのです。


 そしてこうやって生活する中で、嬉しい事にお客様にも常連さんが出来て声を掛けていただき、身に余る充実した日々を送っています。






 ある日のことです。


 「ごっそさん!」


 「はい! ありがとうございましたー!!」


 そのお客さんはここ最近よく来てくださる方で、私も顔馴染みとして認識し始めた頃です。いつもワイシャツにスラックスという出で立ちで胸元から刺青が見えていたのですが、私の店はそういった方々からもご贔屓にしていただけていたので気にしていなかったのですが、


 「――葦蘆鉄生あしろてつおさん、だよね?」


 爪楊枝を咥え、カウンターに肘を置いてその方は話しかけてきました。


 「……え、えぇ。そうですが何か?」


 「んん~、なるほどねぇ。俺はアキラ。まぁ……今夜空けといて」


 「は?」


 私の疑問にその人は何も言わずさっさと店を出て行きました。サングラスから覗く目が、蛇のような無機質さを持っていたのが印象的でした。






 その方は再度、店の閉まった深夜に来訪しました。


 私が料理の仕込みをしていると、


 「――鉄生さん、閉店したらちゃんと戸締りしないとダメだよ~? 裏口、開いてたわ」


 ふらりと、当たり前のように店内に現れ、私は思わず、


 「おっと、怖いよ~。その包丁取り敢えず置いてよ」


 「――怖いのはこちらです。出て行ってもらえますか?」


 「落ち着いてんね~~。普通はこうやって現れると人って飛び跳ねるんだけどな」


 話しながら薄暗い店の中、厨房の蛍光灯に照らされて顔がやけに青く見えました。そのまま手をヒラヒラ振りながら歩き、私に向かい合うようにカウンターへと座ると、


 「――やっぱ人殺してるとメンタル鍛えられるの?」


 「――――――ッ!?」


 全身の毛穴が開くような感覚。総毛立つというのはこういうものだと実感した。


 「俺ヤクザだけどさ、人殺したことないんだよね~。だから半人前って言われるんだけどさ……ねぇ、葦蘆鉄生さん?」


 「……何、ですか? 早く出てってくださいよ。そんな意味の分からない……人を殺すだなんて意味の分からない……」


 「あぁ~~そういう感じ? じゃあ言うよ。葦蘆鉄生42歳。生まれる前に父親が蒸発、出産後、母親も蒸発し、父方の祖母の家で養育される。20歳の時に過剰防衛による殺人で三名を殺害、その後18年間刑務所で過ごす。この店は本人名義ではなく知人名義になってるね~~。殺害の理由は正当性はあり客観的に見ても同情の余地があるが本人の供述に多少の一貫性の無さから精神鑑定に回されるも正常、その後は模範囚として過ごし、退所後は四国から出て都内に住所を移す。そして現在は――」


 「――もう、いいです」


 メモを片手に話す姿に、私は思わず溜息を吐いてしまい、そして頭に巻いたタオルを脱ぎ捨て、思わず顔をそのタオルで覆いました。


 「失礼ですが、おしぼりは鬼怒組とのお付き合いがありますので、何かそれ以外にもありましたら是非そちらでお話をなさってください」


 「そんなチャチな話じゃないんだな~~。それに俺もその鬼怒組だから安心して。今日はお願いに来たんだな~」


 ニヤニヤと、サングラスを片手でクルクルと回す不思議と怒りは沸かずに私は諦観に支配されていました。


 (いつか追いつかれるような気はしていた……)


 自分のような人間が人並みの幸せを享受するなんて土台無理な話だったのです。ただ、それだけ。その時が来ただけなのです。


 「鉄生さんにね、ちょ~っと喧嘩して欲しい人がいるんだよね~」


 「喧嘩……ですか?」


 「そそそ。あっ、安心して! 罪には問われない……っていうか説明の仕方が良くなかったな。裏のk‐1って言えば分かる?」


 「分かりません……」


 聞き覚えのない単語でした。


 「あ~、塀の向こう側にいたもんね。格闘大会があって、それに選手として試合に出てほしいんだよね。怪我したら病院にも連れていくし、治療費も払うし、大体は死なないし、もちろんまた堀の中に戻る様な事はないからさ~~。しかも勢い余って殺しちゃっても大丈夫だよ、ヤクザばっかだから」


 「すいません……私はそんな強くは――」


 「――関係ないから。出てくれれば鉄生さんはこれまで通りの生活が送れる。出てくれないと俺もやりたくもない嫌がらせとかビラ配りとか放火とか色々しなくちゃいけなくなる。そうすると鉄生さんは仕事を無くして周りの人に人殺しってバレちゃう、俺は上の人に酷い目に遭わされるし、もしかしたら鉄生さんに恨まれて殺されちゃうかもしれない。お互い凄い損しちゃうよね? 鉄生さんが試合に出るだけで全部丸く収まるならソッチの方が良くない?」


 全く以て自分勝手な都合だけをまくし立てる姿に、清々しさなど一切感じることなく、ただただ理解に苦しむだけでした。悪い夢を見ている……という言葉を身を以て体験しました。


 「……出れば良いんですか?」


 「そうこなくっちゃ! 話が早い方が助かる。もう試合まで1時間もないからさ~」


 無邪気な笑顔で頭を掻く姿が、とにかく癪にさわり、そして――胸糞が悪かった。




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