勇者

 シャンプーマン。


 美容師という長い旅の中でほんの1、2年の間、下積みの期間がある。これを下積みと捉えるかは、その当事者次第ではある。


 ここを乗り越えられない美容師は山ほどいる。なぜ乗り越えられないか……原因はさまざまだが、最も大きな壁として「手荒れ」がある。


 わたしは運良く肌が強い、そう運なのだ。どんなに小さい頃から憧れても、こればっかりは、どうしようもない。


 美容学校時代から何人も見てきた……ボロボロになった手、かきむしり血だらけになり、膿が出て、ドクターストップがかかり、辞めていく同期もいた。


 でも、それはしょうがないことだと思う。誰も責められない。


 何百万もかかる美容学校を卒業し、親にも負担をかけただろう。でもしょうがない……そう言えるほど「手荒れ」というのはツラいのだ。


 ここで一人の勇者の話をしよう。勇者といってもファンタジーに出てくる感じではなく、現実世界の美容師の話。


 わたしが美容師になる、きっかけをくれた人。


 幼いわたしは、勇者を割と近くで見ていた。


 美容師になりたての彼は、もともとアトピー性皮膚炎ということもあり、シャンプーマンとして大変な時期を過ごしていたと思う。


 今の時代と違って、当時のシャンプーマンは想像を絶するほど厳しい環境だったそうだ。


 シャンプー台はサイドシャンプーにより腰を酷使し、シャンプー剤は今のように優しくはない。


 かなり洗浄力が強く、安いものを使っていたのだろう。経費削減がとくに重視された時代なのだ。


 カリスマブームということもあり、美容室はお客様であふれ返り、勇者は一日に最大30人のシャンプーをしていたと聞く。彼の手は2倍以上に腫れあがり、指先から肘までズタズタになっていた。


 誰もが言う。あんなの美容師になるべきじゃない……正気でいるのがおかしい……逆にお客様に失礼だ……だが勇者はやめなかった。


 毎日ステロイドを服用し、毎日包帯を巻いて、その日、その日を懸命に……おそらく、わたしクラスでも無理だと思う。


 鮮明に目に焼きついている、あのズタズタの手。膿の臭い。真夜中に起き上がり熱湯を手にかけて、かゆみを麻痺させる荒療治。


 いや、荒療治にはならない。


 逆効果だ。でもそうするしかなかったのだろう。かゆみで頭がおかしくなりかねないから……


 わたしは聞いた……毎日、毎日、どうしてそんなに頑張れるの?ツラくないの?


 勇者はこう言った……「ツラい時もあるけど、お客様が喜んでくれるから、笑顔が嬉しくて……なんてな♪」


 最後は、いかりや長介氏みたいになったが、おそらく、シャンプーマンとしてのテクニックは、わたしのほうが上だろう。


 だけど彼は、わたしが、今まで出会った中で、究極のシャンプーマンだったのだ。


 そんな彼を目標に、わたしは究極ののシャンプーマンを目指す。


 そして、その勇者は今、トップスタイリストとして活躍している。

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