わたしはシャンプーマン
ろきそダあきね
わたしはシャンプーマン
お客様をお通しする。
無駄な話はしない。
ただひたすらに、寡黙に、それが正しいという訳ではない。シャンプーマンの中には、お客様とお話しをして会話を楽しむ者もいるだろう。それを否定するわけではない。
だが、わたしに言わせればそれは邪道だ。
シャンプーは「究極の癒し」。
自身の爪を極限まで切り詰め、お客様の皮膚を傷付ける事が無いように、細心の注意を払う。
指の第一関節を曲げて、指の腹の部分で頭皮を擦る。爪は絶対立てるな。
手のひらは卵を包み込むように、そう、まるでピアノを弾くように、リズミカルに、絡まる髪の毛を無理にとかさず。
プロならば髪が絡まる前に感じろ、プロならば躱わすように指を入れ替える。
「入れ替える」?……入れ替えるというのは素人には分からないだろう。
わたしクラスのシャンプーマンがお客様を洗うと髪がもつれて、傷ませる、なんて事はない
おっと、ちょうどこちらのお客様はなかなかのハイダメージで多毛、それにシャンプーマン泣かせの超ロングだ。
ふむ……こちらのお客様の髪はシャンプーの界面活性剤によりギシギシになり、その辺にいるシャンプーマンでは髪に指が通らず、まともにシャンプーなど出来ないだろう。
だがわたしは違う。
優しく流れる癒しの音楽に合わせる余裕すらある。そして奏でるように頭皮をほぐしていく。
「ンゴッ」っとお客様の鼻が鳴る。
ニヤリとついつい笑みが溢れる。
これは決して笑っている訳ではない。わたしは決してお客様の事を笑ったりはしない。
嬉しいのだ。
まさにシャンプーマンとして冥利に尽きるとはこの事だ。
わたしがシャンプーをし、お客様が眠ってしまう。これほど喜ばしい事は無い。
「勝った!」心の中でそう呟き悦に入る。
シャンプーの世界は奥が深い。わたしですら辿り着けない領域もある。お客様の中には男性を指名する方もいらっしゃる。
それは何故か……男性の手は大きく安心感があるのだ。指のチカラも強い。
だからわたしは考えた。ツボを極めよう。フェイスラインのツボ「神庭」、「曲差」、「
チカラはいらない、軽い体重移動で充分だ。
泡立った頭皮を優しく、時に強く、お客様の呼吸に合わせる。
擦り終わったところへ流れるようにヘッドマッサージ、頭皮を摘むように内側から外に円を描く、慌てずゆっくりと吸ってぇ……吐いてぇ……そう、そういう感じだ。
だがこれほどまでシャンプーが進化したのもここ二十数年の話だ。
美容室に来られるお客様はご存知だろうか、シャンプー台は大きく分けて2種類存在する。
1つ目はサイドシャンプー……これは施術するシャンプーマンがお客様の横に立ち、脇の下で抱えるようにシャンプーする、割と初期の施術方法だ。
初めてシャンプーを教わった頃にこのシャンプー台だったのだが、これは本当にしんどい。
1日に数十人のシャンプーをした際、腰が悲鳴を上げた。中腰の体勢から腰が麻痺して元の位置に戻らないのだ。
ウソでしょ……こんなの毎日続けられるものじゃない、そう思った……だが時代は変わる。
2つ目のシャンプー台の登場だ。バックシャンプーという腰を痛めたシャンプーマンを救う画期的なアイテム!いや、システム。システム?アイテム?う〜んまぁシステムで。
それはサイドシャンプーの時、お客様のお顔を脇の下に抱える際に、わたしの体臭で不快にさせているのではないかと気を使う必要もない。
呼吸をする際にもわざわざ顔を背ける必要もない。お客様も顔の前にチラチラと映り込む影を気にする必要もない。まさにウィンウィンなシャンプー台。
ここからだった……そう、ここからわたしの伝説が始まったのだ。フラットに寝かせるシャンプー台により時代はまさに「極上シャンプー戦国時代」に突入した。
お客様はわたしのことをこう呼ぶ「ゴッドハンド」と……
シャンプーを習いたての頃、先輩のお客様のシャンプーはすべてわたしが行った。
同期の子の中には頼まれた仕事に対して、露骨に嫌そうな顔をする者もいたが、わたしは違う。
どれだけ頼まれようと嫌じゃない、ドMなのかと笑う同期もいたがそれは違う。
わたしは認められたかった、先輩に?……違う……「お客様」にだ。
どれだけ恐ろしいお客様に入らせてもらっても「気持ち良かった、ありがとう」と言わせる……言わせるは失礼か、言ってもらえるくらいになりたかった。
なぜなら……それしか出来ないから
わたしにはまだそれしか武器がない
だったら今ある武器でわたしの存在を、価値を示そう。
そう思い、月に500人はシャンプーさせてもらえただろうか……半年経った頃には3000回は繰り返した動作、もう目を瞑ってでも手を伸ばせばそこに何があるか分かる。わたしのテリトリー……
今やわたしはシャンプーマンとして悟りの境地にいる
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