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 白峯が手元にあるリモコンのボタンを強く強く押す。リモコンの液晶には冷房と映るが、本体であるクーラーはうんともすんとも言わなかった。梅雨に入ったばかりのジメジメとした時期に除湿ができないのは苦痛だと白峯が思っていると、名ばかり探偵事務所のドアがノックされた。クーラー本体を下から平手でペシペシと叩きつつ白峯はいう。

「今日は休みだ」

 心底嫌そうに脚立の上に乗ってクーラーの側面を叩く白峯であったが、止まらないノックに限界が来たのかツカツカと事務所の入り口に歩いていき、ガバリとドアを引いて一喝する。

「今日は休みだ」

「今日も、だろ?」

 そこにいたのは安倍に加えて滋丘と複数の公安職員であった。暑い中作業をしていたせいで苛立っていた白峯だったが、尋常ではない尋ね人たちに眉を顰める。

「なにごとだ?」

「さっき電話したろ。俺が殺されるかもしれないからちょっと知恵貸してくれや」

 手をすり合わせて「なっ、頼むよ」と調子のいい笑顔で拝む安倍を見た白峯は鼻息荒く息を吐く。

「クーラーが壊れているんだ、とてもじゃないが人を招ける状態ではない。お引き取り願おう」

「それはそれは大変でしょう。大杉、視て差し上げて」

「はい。失礼します」

 するりとドアを塞ぐ白峯の横を通り抜けて大杉と呼ばれた公安警官が慣れた手つきでクーラーのカバーを外してなにやら診察を始めた。あっけにとられた白峯は、ガリガリと短く切りそろえた髪を数度掻いて一言。

「ここは暑い。下の喫茶店に行こう」

 嫌々ながらまったく使われていなく綺麗なデスクの上にある財布を取って、ビルの階段を降り始めた。





「鬼童丸だな」

 喫茶店でアイスコーヒーのグラスに入った氷をストローでくるくると回しながら、今回の事の詳細を知った白峯は一瞬にして答えを出した。四人掛けのボックス席で白峯の対面に座っていた安倍と滋丘は顔を見合わせる。

「鬼童丸、ですか」滋丘が半信半疑といった面持ちで訊いた。「失礼ですが記憶にない存在ですね」

 白峯は付け合わせの豆菓子を噛みつつ「不勉強だな」と毒を吐く。

「鬼童丸は平安時代から存在する鬼だ。前回表に出てきて討伐されたのは文政の元年、西暦に直すと一八一八年、対応したのは幸徳井かでい家の陰陽師だったはずだ。既に幸徳井家は断絶しているが、近縁の土御門家には当時の資料が残っているだろうから訊いてみるといい」

 白峯の言葉に滋丘は後ろの席で待機していた部下にアイコンタクトを送って調べさせ始める。そして、滋丘は白峯に向き直るとテーブルを人差し指でトントンと叩きつつ尋ねた。

「何故、お分かりに?」

「単純に私と公安と持っている資料の数が違う。鬼などの目立つ奴らは瞬時にピックアップできる……公安が抱えている退魔師はそのようなこともわからないようだが」

 ふんっと白峯は鼻で笑ってアイスコーヒーを飲み干した。厭味を言われた滋丘は顔色一つ変えずに重ねて尋ねる。

「他に鬼童丸という鬼に関しての情報はありませんか? 人の命がかかっています。知っていることはなんでも教えていただきたい」

 白峯はグラスをテーブルに置き「ふむ」といって顎に手を当てる。

「鬼童丸は皮をかぶる。最初に歴史に現れたときは牛を殺して皮をかぶったそうだ。今回も似たようなことをしているのだろう」

「つまり、誰かに化けていると」

「誰かじゃないな、明確に見つかっていない人物がいる」店員を呼び止めて追加のアイスコーヒーを白峯は頼む。「バーのマスターだ」

「確かにまだバーのマスターは見つかっていないですが……」

「では訊くが、何故マスターを容疑者から外しているのか教えてくれ。犯行時間は営業時間だ、被害者が身元不明とはいえ女性ならば、その場から消えたマスターが犯人でもおかしくないはずだが」

「……鬼が壁を壊して逃走したとの証言があったためです。中肉中背のマスターとは結びつかないと思い、誘拐されたと判断しました」

「古来より鬼はそのまま生まれるだけでなく、人から変生して現れることも多い。例えば安達ヶ原の鬼婆、この説話に出る鬼は仕える姫の病を治すために妊婦の生き胆を求めて殺人を犯すが、それが実の娘であることを知って鬼に成った。恨みや怨恨は人を簡単に鬼にする。バーのマスターも同じことが起こった、十二分にあり得ることだ」

「まさか……鬼童丸というのか個体名なんでしょう?」

「わかりやすく名前をつけたときの個体名が種族名になっただけだ。天狗も鼻の高いのを鼻高天狗、鼻先が尖ったのは烏天狗と個別に分けて呼ぶだろう? それらと変わらんな」

 白峯はおかわりのアイスコーヒーとサービスの煎り豆を受け取って、店員へ感謝を伝えた。のんきな白峯の態度を見て、安倍はずいっと身を乗り出して白峯に問う。

「マスターが鬼になったのは何故だと思う」

「さぁ? 興味もなければ知る必要も感じない。だが――」白峯はアイスコーヒーにシロップとミルクを一つずつ入れる。「常連を狙っていることが答えではないかな」

 白峯の指摘を安倍は頭の中で呑み込む。そして、全てが結びついた気がした。

「滋丘さん、被害者の死亡推定時刻わかります?」

「ええ。少々お待ちを」滋丘は手元の手帳をめくる。「最初が午後七時、次は午前一時、次いで午前三時、最後が午前二時ですね」

「全部人目のつかない時間帯だ……待ってください、待ってくださいね。最初の被害者って本当に身元不明なんですよね?」

「はい。身分証などは全く所持していませんでした。あぁ、ですが報告ではヒールに妙な細工があったと」

「細工ですか」

「ええ、着脱ができるようになっていて、中が空洞だったとか。ただ、気にするようなことではないので報告書には記載されていないはずです」

 安倍は滋丘の言葉に思わず手を額に当てて立ち上がる。その様子を見た白峯はニヤリと不敵に笑んだ。

「理解したようだな」

「あぁ……ああ、そういうことかクソッ。滋丘さん、たぶん身元不明の女性は退魔師です」興奮した様子で安倍は滋丘の肩を掴む。「おそらくバーのマスターは退魔師に危害を加えられて反撃の末に殺してしまったんですよっ」

 揺さぶられながら滋丘が安倍に訊く。

「しかし、ならば何故常連を狙うんですか。関係ないでしょう?」

「ありますよっ……自分を確実に覚えている人間を消そうとしてるんです。また人の皮をかぶって店をやるために」

「なんですって?」

「とにかく、滋丘さんは退魔師協会を突いて情報を吐かせてください。」鬼気迫る表情で安倍は吼える。「急いでください。まだ止められますっ」

 滋丘は切迫した表情で頷いて、スマートフォンに載っている上司のアドレスをタップした。


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