第18話 救急【side鳴沢】


「香西! しっかりしろ!」


 そう言いつつも、俺は動けないでいた。

 

『おまえが近づくと悪化するかもしれない』

 

 その言葉が呪いのようにまとわり付く。

 俺は……香西に近づいていいのか……!?

 

 考えている間にも、最初は苦しそうだった香西の息がだんだんと弱くなっていく。

 発作が落ち着いたのかと思ったが、これは逆に、意識昏迷になっているのかもしれない。

 

 ……迷ってる場合か!!

 人命救助に性別は関係ないだろ!!


 パン! と俺は自分の両頬を叩き、喝を入れた。


 軽く揺すって呼びかけても返事がない。

 呼吸は浅く、脈もまばらで弱い。

 念のため、心臓マッサージをした方が……いや、救急車が先か!?

 一瞬の躊躇いが命取りになるかもしれないのに、俺はすぐに判断できないでいた。

 

「ど、どうしたんだ!?」


 その時、運良く人が通りかかってくれた。

 顔見知りの男子生徒だ。

 

「いい所に! 救急車呼んでくれ!!」

「わ、わかった……!」


 救急車を任せたところで、香西のブレザーのボタンを外し心臓マッサージをし始める。

 徐々に通行人が増えてきた。

 

「えっ!? どうしたの……!?」

「養護の山本先生呼んできて!」

「わ、わかった……!!」

 

 心配そうに見てきた女子生徒に頼むと、すぐに学校へ戻ってくれた。

 本当にこれでいいのか、不安になってきた。

 それに、香西のことを知っている人間が今ここには俺しかいない。

 

「誰か、三年の落合さん呼んできて!  図書室にいるはずだ!」


 誰に向かってでもなく、とにかく叫んだ。

 もし香西が意識を取り戻したら、きっと俺では対応できなくなる。

 

 さらに人が多くなってきた。

 野次馬のようにスマートフォンのカメラを向ける人もいる。

 くそっ、見世物じゃねーぞ!!


 たった数分の出来事が、とても長く感じられた。

 その時、山本先生と迫河先生が来てくれた。

 

「鳴沢君!!」

「先生! 香西が……!!」

「私が代わろう!!」

「お願いします!!」


 なるべくリズムを崩さないように、素早く交代する。

 正直、できているかどうか不安だった。

 山本先生と交代できて安心したことで急に力が抜けて、グラウンドと道路を隔てるフェンスにもたれかかる。

 でも、救急車が来るまでずっと心は焦っていた。

 まだサイレンは聞こえてこない。


「こらーっ、そこ、スマホで録るな! 救急車が来るから、道を空けろ!」


 迫河先生が野次馬の生徒達に注意してくれて助かった。

 きっと、俺が同じことを言っても、誰も聞いてくれないだろう。


「鳴沢くん! ヒロは!?」


 誰かが呼びに行ってくれたのだろう、落合さんが息を切らせてやってきた。

 その後ろには、瀬戸もいる。

 もしかして瀬戸も、香西のことを知っているのだろうか?

 いや、今はそれどころじゃない。

 

「今、山本先生が……」


 ようやく、救急車のサイレンが聞こえてきた。

 

「急患はどちらですか!?」

「こっちです。呼吸が不安定だったので、心臓マッサージを続けていました」

「それは、ご協力ありがとうございます!」


 救急隊員の言葉に、自分の行動は間違っていなかったと、ほっと胸を撫で下ろす。

 香西は、救急隊員によって手際よく救急車に乗せられた。

 

「付添人は?」

「私が行きます。鳴沢君」


 山本先生は、救急隊員に答えてから、俺の方を見た。

 

「はい……」

「君の機転がなかったら、香西君は助からなかったかもしれないよ。君は、香西君を助けた。本人に伝えることは叶わないかもしれないが……。それは紛れもない事実だ。もっと胸を張りなさい」


 やや早口で、そう言った。

 

「はい……」


 俺と山本先生が会話している間にも、救急隊員の一人が香西の様子を見て、一人が発進する準備をし、もう一人が病院へ連絡している。

 山本先生が、「鳴沢病院へ」と言っているのが聞こえた。

 双方が何か少し言い合った後、救急車は無情にもサイレンを鳴らして遠くなっていく。


 野次馬だった通行人達はぞろぞろと解散しはじめ、迫河先生も学校へ戻って行った。

 瀬戸はオタオタしていたが、用事があるとかで落合さんに伝言を頼んで帰った。

 俺は気が抜けて、呆然とその場に立っていると、唐突に落合さんが俺の腕を引っ張った。

 

「鳴沢くん! あたし達も行こう!」


 

 当然ながら、救急車よりもずっと遅れて、俺達は病院に着いた。

 受付で香西のことを訊くと、「処置中」としかわからなかった。

 そこへ、ちょうど処置室らしき場所から親父が出てきた。

  

「親父! 香西は!?」

「佑二……と、君はたしか……」


 隣の落合さんを見て、親父も十年前を思い出したのか、

 

「まさか、おまえ、また何かしたのか!?」


 厳しい表情で、俺に対して怒鳴った。

 

「そ、それは……」


 言い訳もできなかった。

 しかし、落合さんが俺と親父の間に入って言った。

 

「違うんです、先生! あたしが……あたしがいけなかったんです……! 鳴沢くんの手紙を、ちゃんとしまっておかなかったから……!」


 香西が落とした手紙は、どうやら落合さんが拾ってくれていたようだ。

 

「そんな、落合さんのせいじゃ……。そもそも、俺があんな手紙を書かなければ……」

「でも、鳴沢くんはヒロを助けてくれたじゃない!」

「助けた……?」

「鳴沢くんは、ずっと心臓マッサージをしてくれてたんでしょ? 呼びに来てくれた子が言ってた」


 落合さんは、あの時の様子を事細かく親父に説明してくれた。

 

「そうだったか……」


 親父は、腕を組んで何かを考え込んでいるようだった。

 

「ごめん、親父。俺……近づかないっていう約束、守れなかった」

「佑二」

「はい……」

「山本先生の言う通りだ、胸を張りなさい。結果がどうあれ、おまえはヒロ君を助けた。あの時も、今もな」


『あの時も』

 そう言われて、俺はようやく呪縛から解き放たれたような感覚になった。

 

「うっ……ううっ……」


 張り詰めていた緊張が一気に解けて、目頭を押さえる。

 ずっと気にしていた。香西が許してくれただけではダメだったんだ。

 俺は……親父に認めてもらいたかったんだ。

 

「……さて、私もヒロ君の様子を見てくる。 また後で話を聞かせてくれ」


 そう言って、親父は再び処置室に入っていく。

 入れ替わるように、山本先生が出てきた。

 

「さて、私も学校に戻りますかね」

「山本先生、香西は……」

「医者を信じて待つしかないですよ、 鳴沢君」


 山本先生は、俺の肩をポンと叩いて病院を出ていった。

 香西は意識が戻らないまま病室へ移され、落合さんもそこへ入っていった。

 俺は入室を許されず、ただ忙しなく病室を出入りする看護師さんの姿と、『面会謝絶』の文字が書かれたプレートを、なんとも言えない気持ちで見つめるのだった。

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