Ⅳ_1
自分の感情が顔に出にくいことに感謝する日が来るとは思ってもみなかった。
──顔に出やすい
階下に居並ぶ貴族達を見遣り、メリッサは一瞬だけ身をすくませる。そうそうたる顔ぶれの圧がすごかったことと、後は純粋に自分が結構高い場所にいることに気付いたからだった。
──エレノアさん、さすがに今回の衣装は、動きやすさを考慮してはくれませんでしたから。
エレノアは『エスコートは男に任せときゃいいのよ!
そんな安堵にひっそり息をつきながらも、メリッサはこんなことになるに至った三日前の出来事を思い返せずにはいられなかった。
❆ ❆ ❆
「端的に申し上げます。サンジェルマン伯爵、オズワルト殿下を次の王に推していただけませんか?」
ノーヴィスの屋敷を訪れたバーネット魔法学院長は、丁寧に己が何者であるかを名乗り、急な訪問の非礼を詫びると、単刀直入に用件を切り出した。
メリッサがお茶を用意し終わるよりも早く突き付けられた要求に、ノーヴィスは目深に被ったフードの下で瞳をすがめた。もっとも、メリッサは直接フードの下が見れる位置にはいなかったので、あくまで『そういう雰囲気だった』という話ではあるのだが。
「僕は言ったはずだよ。王も王子も馬鹿ばっかだから選ばないって」
「確かに、オズワルト殿下もお馬鹿さんですね」
そんなノーヴィスに、バーネットはコロコロと鈴を転がすような声で笑った。
「しかし、一番まともなお馬鹿さんです」
『仮にも一国の王子を馬鹿呼ばわりしても良いのでしょうか?』とメリッサは疑問に思ったが、お茶の準備のために離れた場所にいたから口を挟むことはできなかった。
「オズワルト殿下は、策を巡らせるのが苦手なご様子。つまりおつむのデキが少々残念ということですね。しかしあの三人の中で一番心根は美しいと思いますよ。……それとあと、これは個人的なお話になるのですが」
あくまで柔和な笑みを浮かべ続けていたバーネットは、不意に笑みの種類を変えた。
「オズワルト殿下は、魔法学院の卒業生ですので。ぜひとも玉座に座っていただきたいのですよね」
そんなバーネットに、ノーヴィスが何を感じたのかは分からない。
ただノーヴィスは、冷めた声のままバーネットに問いを投げた。
「見返りは?」
ノーヴィスは『一番満足する取引を持ちかけてきた人間の味方につく』と公言している。『この屋敷にやってきたのだから、そのことも知っているのだろう?』ということをノーヴィスは言いたかったのだろう。
その問いにも、バーネットは笑みを崩さなかった。
「メリッサ・カサブランカの退学届は、受理されずに凍結されています」
その言葉に反応を示したのは、メリッサだけではなかった。
「今回お力添えをいただけるならば、退学届を完全に不受理とし、彼女の後見を貴方のお名前にご変更いたします。さらにメリッサ・カサブランカに特待生の席をご用意いたしましょう」
「特待生……っ!?」
思わず声を上げたメリッサは、はっと己の口を両手でふさいだ。
学院が特に優秀であると認めた者に与える特権、それが『特待生』だ。特待生になると学年を越えて学びたい講義に参加することが許される他、本来ならば教授陣にしか許されていない禁書図書の閲覧や、魔法道具保管庫、魔法生物飼育庫への自由な出入りが認められる。
学費の免除や特別
思いがけず降って湧いた話に、メリッサは表情を輝かせた。
だがふと浮かんだ疑問に、メリッサは首を傾げる。
──なぜノーヴィス様相手の取引で、私の魔法学院復帰の話が?
「……いいね、分かってるじゃない」
ノーヴィスに対して直接のメリットがない。
だというのに、なぜかノーヴィスはかつてないほどご機嫌な声でバーネットに答えた。
「分かった。君に協力しよう。僕は今から第一王子派だ」
「の、ノーヴィス様っ!?」
国の未来を決める重要な選択であるはずなのに、ノーヴィスはなぜか『メリッサの復学・特待生特権付』という条件で実にあっさりと取引に応じてしまった。
❆ ❆ ❆
そこからノーヴィスとバーネットの間で話はあれよあれよと進み、本日開かれたこの『賢者の裁定』になぜか全く関係がないはずであるメリッサまでもが最上段に登壇している。何なら当事者ではないはずなのに、なぜかメリッサが『
──話が進むスピードが速すぎませんか? 国の未来を決める大切な場なのでは? ノーヴィス様は本当に誰でもいいと思っていらっしゃるようですけれど……
メリッサが話についていけないままノーヴィスとバーネットの打ち合わせは終わり、いつになく上機嫌なノーヴィスはその足でエレノアの店にメリッサを連れていった。
『賢者の裁定』と言うくらいだからさすがにノーヴィスの装束の打ち合わせだろうと思っていたら、なぜかメリッサのドレスの話しか出てこなかった。元から注文してあった正装がちょうどいいという話になったところまでは覚えているのだが、その後はもうしっちゃかめっちゃかで何が何やら分からない。感覚的に言ってしまえば『気付いたらなぜかここにいた』というレベルだ。
唯一『「
──というか、その『
メリッサはチラリと
自身が座るべきはずである椅子にメリッサを座らせ、自身はその隣で上機嫌で笑っているのは、当代の『
──お父様が『
再会したのは実はついさっきだ。
正確に言えば、ここに入場するために通路を歩いていたら、いつの間にか後ろにいた。おかげでメリッサはまだ一切詳しい話を聞けないままここに座っている。
──ノーヴィス様を置いて惚れた女性を追いかけていってしまった、歴代最長老の『
「さて。悪いけど、さっさと帰りたいから手短に」
混乱の真っただ中にいるメリッサを放置して、ノーヴィスは冷ややかな声で口火を切った。たったそれだけで謁見の間の空気がピンと張り詰める。
「僕達賢者は、もう今の王家にも国にも愛想をつかしている。正直言って、誰が王になろうが、国が滅びようが、どうでもいい」
飾ることもぼかすこともないノーヴィスの鋭すぎる言葉に、一同はもはやざわめくことさえできないようだった。
普段は信じていなくても『国の危機には賢者が助けの手を差し伸べてくれる』という昔話は、皆の心の支えだったのだろう。そんな賢者に見捨てられたという衝撃と、怒りが乗ったノーヴィスの声に心がえぐられているように見える。
「でも、そんな中でも、聞こえてくる声はあるからね。国と王に愛想をつかしても、僕はそこに生きる人々にまで愛想をつかしたわけじゃないから」
この『賢者の裁定』は、結論ありきの場だ。
そもそもノーヴィスはバーネットと取引をしたからここにいるのだし、この場が開廷されたのだって全ては司会者として一段下に立っているバーネットが暗躍した結果なのだろう。ノーヴィスもメリッサも父も、書かれた台本通りに役を演じる役者でしかない。
それでもノーヴィスの声は『建国の賢者』の託宣として場に響く。
悪しきモノを断ち、救いを求める者達を黎明へ導くかのように。
「だから僕は、一番まともそうな馬鹿を選んだ。僕が大切にしている民から推され、民を一番大切にしてくれるだろうお馬鹿さんをね」
やはりノーヴィスは、『言葉』という魔法を操る賢者なのだ。
その言葉で人々の胸に光を与えてくれる、『
「オズワルト・ディラン・ランバート。今日から君がこの国の王だ」
パンッと、空気が断ち割られるような幻聴が聞こえたような気がした。突如指名された第一王子のオズワルトは、ハッと顔を跳ね上げてノーヴィスを見上げている。
対するノーヴィスは、そんなオズワルトにチラリと
「お前を推した者がいるという事実と、そこから生まれる期待と責務を忘れるな」
そんなノーヴィスの姿は、まさしく『全ての創造主』たる『建国の賢者』そのものだった。
──それでも、堂々と王族を『お馬鹿さん』呼ばわりするのはよろしくないと思いますよ? ノーヴィス様。
屋敷に戻ったら、それだけは言おうとメリッサは心に決める。そういえばメリッサから苦言を呈するのは初めてのことかもしれない。
そんなことを考えているメリッサも、きっとノーヴィスと似たり寄ったりなレベルで国のことなど考えてはいないのだろう。
だってこれだけ空間を埋め尽くしている貴族達も、階下で
冷たく、だがどこかに信愛も溶かした黄金の瞳で全てを睥睨するノーヴィスしか、見えていないのだから。
──今日のおやつは、スイートポテトにしましょうか。
お供には、ノーヴィスの瞳を思わせる、ハチミツをたっぷり入れた紅茶を添えて。父も一緒に連れていって、昔話をせがんでも良いかもしれない。
終わりを告げた賢者を見つめて、柔らかに笑ったメリッサは、そんなことを考えていた。
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