03:風砂の国


 視界を埋め尽くす虚空を抜けた先は――砂岩さがんだらけの殺風景さっぷうけい洞穴ほらあなの中だった。

 ガラリと変わった空気の質感と、横手から差し込む光によって、ここが洞穴の入り口付近であることだけは把握できた。


「周辺に異常はありませんか、ルドヴィック殿」


 先に到着していた冒険者組合の支部長シュレッサがルドヴィックに声を掛ける。

 ゴツゴツとした岩肌に背を預ける青年が、黒眼鏡サングラスを外しながら抑揚よくようなく答えた。


「近くに魔術の罠や魔獣はいない。今は安全だろうね」


 ――着いた場所は、人間が七人も集まればやや窮屈きゅうくつに感じる程度の広さの洞窟であった。

 人為的に作られた洞窟というよりは、最初からあったそこを改めて転移の拠点へと補修したような形跡が随所に見られる。


 そんな景色に視線を巡らせていると、オレが虚空の境目をまたぎ終えたか否かの刹那せつな――背後にあった転移の門が唐突に消失する。


「……おいおい」


 振り返れば、オレの黒法衣ほういの一部が切り取られているのが分かった。つまり、一秒でもズレていればオレの片足が切断されていたわけだが、しかし、誰も動じる気配はなく――大剣に手を掛けたユーゴが入り口に向かって歩き出した。


「さて……じゃあ行くとするか、合流地点に」


 先んじて行動するユーゴの後を追って、シュレッサが振り返りながらオレたちに言う。


「ここから先は砂漠の土地だ。砂に足を取られないように気を付けてくれ」

「ついさっき、足を一本取られかけたけどな」


 オレの発言を「そうか」と無感情に受け流して、そのままシュレッサと組合員は入り口を出て行った。


「フン、ボクの足だけは引っ張らないでくれよ? ベルトラン」


 あざけるような口調でオレの前を通り過ぎるルドヴィック。

 今から自分の護衛をする相手にその嫌味が言える根性は、ある意味で誰よりも豪胆ごうたんだと評価できるだろう。


「えっと、大丈夫でしたか……?」


 そして、砂塵さじん対策で目元だけを露出させた弓兵きゅうへいの少女のみ、オレを案じて声を掛けてくれた。


「ああ、ところでフェリス。その格好は何なんだ」

「商人の方がおススメしてくれた砂漠での装備です!」


 軽鎧けいがいの上から幾重いくえもの布で覆った格好は、見るからに暑苦しそうだった。強烈な日照ひでりから身を守るにしても層が厚すぎる。

 後ろにくくられた亜麻色あまいろの髪が布の隙間から出てゆらゆらと揺れるのを確認してようやく、これがフェリスだと判別できるほどの完全防備だ。


「多分、あまり意味はないと思うぞ。戦闘じゃ動きにくいから脱いでおけ」

「!! わ、分かりました」


 言われるままに、慌てて布を剥がすフェリス。やがて現れた小顔には、やや残念そうな表情が浮かんでいた。




 洞窟の外に出ると、目の前には赤みを帯びた崖が高々とそびえ立っていた。

 どうやら、現在地は岩山に挟まれた峡谷きょうこくのような場所にいるらしい。


 踏み慣れない砂上の感覚と、岩壁の国を勝る気温の高さに顔をしかめながら、先を進んでいたシュレッサのもとに向かう。


「どの辺りまで索敵さくてきできますか」


 鋭い眼光を前方に向けながら、かたわらに立つルドヴィックにたずねるシュレッサ。


「あの辺りまでかな」


 それに応じて、青年は遠くに転がっているやや大きめの岩石を指差した。

 距離にすればさほど遠くない。しかし、〈先見者せんけんしゃ〉における目視もくしは普通の人間の目視とは意味が異なることをオレは知っている。


 聞いた話によれば――〈先見者〉の視覚は、遮蔽物しゃへいぶつを透視して魔術や魔獣の存在を認識できる特殊な視界の層が備わっているらしい。


 そして、その認識できる範囲がどこだというシュレッサの問いに、ルドヴィックが指し示したのが歩いて数十秒の地点……それはつまるところ、ルドヴィックが感知できる半径の最大がその距離なのだという答えだった。


「――素晴らしい。私が知る〈先見者〉の中でも並外れた範囲だ」


 目をすがめて、感嘆を滲ませた声音でつぶやくシュレッサ。


「ハッ、当然さ。ボクが受け持つパーティにいまだ死者は無し、冒険者の間でも“奇眼きがん”とあがめられたこの完璧な能力が他の〈先見者〉に劣るはずがない」


 自慢げにそう言って、ルドヴィックは大きな黒眼鏡を押し上げた。

 『宝石よりも価値がある目だから保護しなければならない』――出発前にそう語っていた青年の言葉も、過度な自惚うぬぼれを除けばおおむね正しいのだろう。見た目がダサいのは相変わらずだが。


「何だか、ベルトランさんと似たもの同士な気もしますね」

「そうか?」


 ルドヴィックを見るフェリスは苦笑いを浮かべながら、ついで、両手に一匹の猫を抱え込んでいた。


 ユーゴの妹分らしい魔術師の少女、マリリーズだろう。領主の館内で見かける都度、変化魔術で猫に成りすまして女の近くに擦り寄っている印象があったが……こんな任務の時でさえこの体たらくは、さすがのオレも真似が出来る気がしない。


「あはは、マリリーズちゃん、そこは潜っちゃダメだよ」

「…………」


 小動物らしい動きでフェリスの胸元に顔を寄せる猫。オレが思うことでもないかも知れないが、転移の枠を一つ無駄にしたんじゃないだろうか。


(まあ、どうでもいいか。そんなことより……)


 オレは得意そうにシュレッサと並び立つルドヴィックに近付く。


「ボクがいれば、そこらの冒険者みたいに無様にビクビクしなくても済むんだ。ありがたく思って――」

「お前が〈先見者〉として優秀かどうかはともかく、その能力はあくまでも“魔術に類するもの”しか察知できない。そうだよな?」


 横から割って入ってきたオレの存在に、不愉快そうに眉をひそめる青年。


「何が言いたい?」

一昨夜いっさくやの襲撃をもう忘れたのか、驚きだな。お前が警戒すべき相手は魔獣だけじゃない、そう言いたいんだよ」


 わざとらしいオレのため息に、ルドヴィックはなおも苛立たしげに唇を歪める。


 信奉者の襲撃が予想されていた大討伐の前々日、ルドヴィックの命を狙ってやってきたのは予想外にも“白幻はくげんの国”の暗殺者だった。

 なぜ白幻の国の暗殺者が〈先見者〉を殺そうとしているのか、なぜ信奉者しんぽうしゃが関係しているのか。不明なことが多い現状では、この二つの勢力を一度に警戒する必要がある。


 そして、ルドヴィックの能力で察知できる対象は魔術や魔獣の存在だけだ。本業を魔獣討伐とする冒険者だからこそ、その能力は無敵の効果を発揮するが――魔術とは無縁の人間が襲撃者だったりすると、〈先見者〉の能力は途端とたんにお飾りになってしまう。


「つまり、だ。アンタが言いたいことは俺たち護衛にも頼ってくれってことだろ? ベルトラン」

「いや、お前ら三人の出番だってことだよ、ユーゴ、マリリーズ、フェリス。オレは敵が現れた時だけ最低限の仕事をする」


 ひらひらと片手を振って見せると、ルドヴィックは舌打ちしつつも反論してくることはなかった。

 そんな会話の区切りを見計らったように、前方の経路を観察していたシュレッサがこちらを振り返る。


「おそらく、他の冒険者パーティはすでに全員が合流地点に到着しているはずだ、遅れている我々が悠長にしていては協同作戦に支障が出る。急ぐとしよう」


 言葉の内容とは裏腹にあくまでも無感情な響きで呼び掛ける男に、オレたちはそれぞれ頷いて、止まっている足を再び動かすことにした。




 黙々と歩き出してからしばらく経ち、ふと横合いを続いていた岩盤がんばんの景色が途切れる。

 ――開けた視界の先には、一面を覆い尽くす砂の大地が地平線の向こうまで広がっていた。


「合流地点ってのはどこだ? まさか、砂漠のど真ん中なんて言わないよな」


 早々にこの任務にうんざりとしてきたオレの問いに、シュレッサが真面目に答える。


「無論だ。今回の大討伐での合流地点は、冒険者組合の度重なる探索によって安全性が確保された拠点だ。その道中で魔獣と遭遇そうぐうすることはない」


 地図を持たずに、悠然ゆうぜんと先頭を進んでいたシュレッサがきっぱりと断言した。

 それを裏付けるように、先ほどから周囲を警戒しているルドヴィックから会敵かいてきしらせはない。能力を自慢した手前だからか、少しだけ不愉快そうな顔でユーゴの後ろを歩いている。


「我々が転移してきた場所からはそう遠くない。経路については寸分違わず記憶している、道に迷うことはないから安心してほしい」

「支部長のアンタがやる仕事には思えないな」

「適材適所というわけだ。支部長と言えど、ただ執務室にこもって書類と睨み合うだけが本分でもない」


 シュレッサは首をゆるりと振って、そのまま、砂漠を突き進むのではなく岩山に沿うようにして移動を始める。


「なあ、質問してもいいか」


 ふと、案内に黙って付いて来ていたユーゴが口を開く。


「構わない」

「――例の“勇者”はどうなったんだ?」


 唐突に出てきた“勇者”という言葉に、しかし、シュレッサは驚くこともなく淡々たんたんと答える。


「恥ずかしながら、まだ足跡すら掴めていない」


 サラサラと風にさらわれていく砂の地面を見つめながら、無機質にシュレッサが言った。

 近くでやり取りを聞いていたフェリスが首を傾げる。


「あの……勇者はこれから――“大討伐だいとうばつ”に参加した冒険者の中から決めるんじゃないんですか?」


 猫に変じたマリリーズを抱えながら、控えめな声で尋ねるフェリス。

 大討伐の出発前に、オレたちが聞いた話も概ねその通りだったはずだ。


 一般冒険者では通用しない魔獣を討伐するために、各国のりすぐりの冒険者を招集して行われる大討伐は、その討伐の成功者に莫大ばくだいな報酬と名誉――諸国の王が認める“勇者”の称号が下賜かしされるという。


 そして、未だ討伐の成功者が不在だからこそ、冒険者たちの間で“勇者候補”などという通り名が持てはやされていると思っていたが……


「実は過去に一度、大討伐は成功してるんだよ。今回とは別の魔獣が対象だけどな」


 少女の疑問に、ユーゴがあっさりとした口調で答える。


「え、そうなんですか?」

「冒険者以外が知らないのも無理はない。何せ五年前の出来事だ、加えて――我々による情報統制も行われていたはずだからな」


 返ってきた意外な答えに、「情報統制?」とフェリスが更に困惑した表情を浮かべる。


「大討伐が成功して勇者が誕生したのに……それを隠したってことですか?」


 もっともな疑問だった。本来、名誉として機能するはずの称号が、それを発案した冒険者組合の手自らによって隠蔽いんぺいされたとあっては意味を成さない。


 組合側が冒険者をあざむいたわけではないのであれば、それはつまり、勇者となった冒険者側に問題があったということ。


(……ん? 五年前……たしか、風砂の国が崩落したのも同じ頃――)


 脳裏のうりぎったオレのある考えを認めるかのように、こちらに向き直ったシュレッサがゆっくりと首肯しゅこうした。


「ああ。ここ風砂の国が滅びた原因は“大蠍おおさそり”という魔獣が出現したせいだが、それを生み出した元凶こそが――当時、最初に“勇者”の称号を授かった女冒険者、テレーズ・アヴァロなのだ」

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