第三章

00:記憶

 

 人間が生を授かるのに必要な条件が親の存在であったとすれば。

 オレはその段階ですでに――人ではない、ということになるのだろうか。


 どんな人間であっても、産まれた瞬間は親に抱かれて、親の眼差まなざしを受けながら『子』として声を上げる。

 だが、オレは違った。

 祝福とは程遠い、イチかゼロかの結果を観察する者たちの視線に囲まれながら、『個』として――初めて意識を持った。


 それが最初の記憶だった。




「アリギエイヌス様に貢献することがあなたの生きる意味よ」

「アリギエイヌス様を信じて、お前はただ言われた通りにするんだ、ダリウス」


 両親を名乗る二人の男女はオレの頭を撫でながら、何度もその言葉を繰り返し唱え続けた。

 詭弁きべんだと分かっていながらも、オレはただ、それに従うことを選んだ。


 ――王宮の魔術師を殺せ、と命じられれば殺し、

 ――親衛隊の筆頭騎士を殺せ、と命じられれば殺した。


 剣聖とうたわれた男、高名な傭兵団の長、そして三大魔術師の弟子さえも――命じられるままに殺した。

 その誰もが十歳のガキに殺されるなど想像もしてなかったつらを浮かべて、呆気なく人生の幕を閉ざした。


 後から知ったのだが、当時、無詠唱による魔術の発動を可能とする魔術師はほんの一握りの上位者のみだったという。

 自分がそれに該当するとは知らずに、この能力を殺人の道具として、アリギエイヌスに捧げることを選んだ。


 あの頃からすでに、オレは最低最悪の魔術師だったのだ。

 目的のない生き物は家畜と変わらない――その本質に抗おうとして、与えられた目的に従い続けた。

 目的を与えられている時点で、それが家畜と変わらないということに気付きもせずに。




 ある時、オレの功績を認めたアリギエイヌスから謁見えっけんする許しを与えられて、両親とともに尊顔を仰いだことがあった。

 嬉しさのあまり地面に平伏して涙を流す両親の前で、オレは捧げられた供物のように座り込み、アリギエイヌスの手によって髪を数回撫でられたことを覚えている。


 その際に覗き込んできた瞳を、未だに忘れることができずにいた。

 人間と変わらない形をしているはずなのに、魔女の赤い瞳の中には“怪物”が潜んでいた。


 ――誰がこれと戦えるというのだろうか。

 そんな疑問が脳裏を埋め尽くすほどに、おぞましい“何か”をアリギエイヌスに感じたことが初対面の記憶だった。



 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 


 『アリギエイヌス討伐作戦』と称された、何万の兵力が投入されて行われた作戦がついに成功を果たした――そんな平和な時代の到来から間もない頃。

 連日の賑わいを見せる街の中をオレはリディヴィーヌに連れられて、顔を伏せながら歩いていた。


「祭りは大好きですか?」


 黒い髪をなびかせながら、幼い子供に問いかけるような優しげな声で女は言った。事実、オレはまだ子供だったが。

 その質問に、オレは『うん』とも『いいえ』とも答えることができなかった。


 祭りなど知らなかったからだ。

 オレが理解できたのは、アリギエイヌスが死んだことと、民衆がその死を祝福していること。ただそれだけだった。


「魔女の死を祝う……それがあなたにとって難しいことなのは理解しています。ですから、悲しいことは考えず――」


 ふと、握る手が離れて、オレの正面にリディヴィーヌの顔が現れる。

 身をかがめながらこちらを覗き込んだ瞳には、あの時見た赤い瞳とは正反対の――透き通った翡翠色ひすいいろの輝きがあった。


「どうか穏やかでいてほしいのです。今日はあなたにとって新たな住まいとなる家を訪れた、記念すべき日であってほしいですから」


 そう言って、微笑ほほえむリディヴィーヌが指差した先には一軒屋が建っていた。


「あれが、あなたの新しいお家ですよ」


 街の中心から離れた、人気がなく、それでいて灯りの多い……不思議な場所に建っている二階建ての家だった。

 オレが以前いた環境とは程遠い、暖かな色に包まれた場所。

 …………


「魔術を教える前に、まずは日常生活に支障をきたさないように勉強をしましょう。この近くに学童のための施設があります」


 …………


「あなたの経歴についてはこちらが用意しました。あなたが良ければ、今日からは――」




 ――その日から、オレはベルトラン・ハスクを名乗ることになった。



 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■



「おいお前、魔女の信奉者しんぽうしゃなんだろ?」


 振り返った瞬間、拳が顔面に向かって飛んできた。

 突然の暴力に明滅する視界の中央で、三人の男子がわらいながらオレを見下ろしていることに気付く。


「お父様が言ってたぞ、この街に信奉者の子供が紛れ込んでいるってな」

「お前のことだろ、ベルトラン。名前を変えたって騙せると思ってるのか」


 そう聞かれて、リディヴィーヌが用意した答えを言おうと口を開くが、すぐさま相手の蹴りが鳩尾みぞおちに入って――そのまま言葉が吐き出されることはなかった。

 くの字に折れるオレの身体に、容赦なく次の蹴りが飛んでくる。


 顔に、腕に、足に。続けざまに――何度も、何度も、繰り返し、何度も。

 きっと、身体の形が歪むまで続けるのだろう、と確信できる暴力の奔流ほんりゅうに、オレは抵抗することもせず。

 ぼんやりとした思考のふちで、“そういうものか”と受け入れることを選んだ。




「――……どうしたのですか、その怪我は」


 施設から帰ってきたオレを見て、リディヴィーヌの表情が凍り付く。

 新しい家にしばらく滞在すると言ったリディヴィーヌが、オレの帰りを待ってくれていた就学初日のことだった。

 大魔術師とまで呼ばれる女のひどく慌てた様子を目にしたのは、おそらく、この時が最初で最後だったかもしれない。


「――まだ過激派が周辺を嗅ぎ回っているとは」


 聞かれたままに答えたオレの話に、リディヴィーヌが苦々しい声で小さく呟いた。


「それで……されるがままに蹴られ続けたのですか?」


 相変わらず、しゃがみ込んで目線を合わせてくるリディヴィーヌに、折れ曲がった右手を差し出す。

 ――教師は信奉者を敵だと言っていたから、彼らが自分を甚振いたぶるのは正しいことだと思った。

 そう正直に答えると、リディヴィーヌは一瞬、苦しそうな目でオレを見つめて、


「あなたには私が……いえ、私ともう一人、私が選んだ教師を付けて勉強を教えましょう」


 と、治療魔術を唱えながらそう言った。そして、


「…………あまり時間を作ってあげられず、すみません」


 感情を押し殺したような小さな声とともに、リディヴィーヌがそっとオレの頭を撫でた。



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 遠巻きにオレを見る生徒たちの視線が、一様に恐怖の色に染まる。


「……なんだよ、あれ」

「無詠唱……しかも……あんな上位魔術を」


 年に数回、リディヴィーヌが特別教師を担当する実践的な魔術の授業の、ある日のことだった。

 教師立会いのもと、お互いが得意とする魔術をぶつけ合うという――とても分かりやすい実技の授業が行われていた。


 その日、オレが相手をしたのは、風の魔術を得意としている男子の特別生だった。

 リディヴィーヌが選定した、見込みのある生徒たち――特別生のみの授業と聞いていたオレは、そこで何の躊躇ためらいもなく、上位魔術を唱えることを選んだ。

 唱えるといっても、ただそこに立って――魔術を発動させただけだったが。


「…………」


 沈黙に包まれる広場の中央で、咄嗟とっさに介入したリディヴィーヌが控えめに息を吐きながら、防御結界を閉じた。


「コーデルロス、怪我はありませんか」


 背後に立つ特別生にリディヴィーヌが問い掛けるも、返事はない。

 ふと、肩越しに見えたその生徒の顔には、驚きと恐怖の入り混じった――オレにとってはよく見慣れた表情が貼り付いていた。




 ひそひそとささやく声が四方からオレの耳に届く。

 他の生徒の実技を外側から見学している最中も、その囁き声が止むことはなかった。


「…………」


 あらゆる眼差しがオレを覗き見ていた。

 だが、どの視線もオレと向き合えば逸らされるばかりで、そこに意味のあるものは一つとしてなかった。


 ……そもそも、ここに意味のあるものなんて存在するのだろうか。

 この学び舎自体、意義があるのか――そんな疑問さえ浮かんでしまう。

 魔術を教わりたいとリディヴィーヌに師事しじした以上、黙って言われたとおりに従えばいい、と心に決めていたのだが。


「…………」


 リディヴィーヌが教える魔術はどれも初歩的な魔術が多かった。

 そのほとんどを無詠唱で発動することができた自分にとっては、あまり役立つことのない授業だった。

 リディヴィーヌいわく、『無詠唱の魔術発動は魔力の消費が激しい』らしいが、それで困った経験がオレにはない。

 魔符スペルの法則だけを利用して、言語を介さずに現象に接続する方法を生まれた時からすでに理解していたオレには、今更な授業だと……口には出さずとも、心の中では思っていた。


「…………」


 無価値だ。そんな言葉が否応なく脳裏を過ぎる。

 不意に、信奉者だった頃の記憶が思い起こされた。


 ――魔術実験のために集められた、ただ生かし殺されるだけの無垢な子供たちの群れ。

 “目的のない生き物は家畜と変わらない”、そんな当然のことをオレに強く意識させた光景。

 果たしてオレは今、人らしく生きているのだろうか。


「…………――ねえねえ」


 名も知らぬ生徒たちが魔術を唱え合う様子を眺めていると、背後から誰かに肩を叩かれる。

 振り返ると、そこには笑顔の少女が立っていた。


「あなたがベルトラン? ……さっきの魔術、スゴイね!」


 そう言って、少女は屈託くったくのない笑みを浮かべながらオレの隣にふわりと座った。

 同時に、周囲の生徒たちがひそひそと声を漏らすのが聞こえてくる。

 オレは一瞬だけ、少女を同じ生徒だと認識することができなかった。彼女の服装が支給されている制服と同じものではなかったからだ。


「わたしはフラム――フラム・ブランヴィルだよ、よろしくね!」


 こちらに向き直った少女が自己紹介をする。

 ただまぶしいだけではない、どこか温かみを感じる笑顔と――それとは対照的な真っ白の病衣を身に纏う謎の少女。


 この学び舎で、オレに挨拶を投げ掛けてきた最初の相手だった。

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