10:対峙


 ルドヴィックの部屋に入り、うつむく相手に声を掛ける。


「ここにはいないぞ」

「…………」


 オレの言葉に、寝室の中央で立ち尽くす侵入者の男が振り返った。


「…………空間魔術か」

「その通り」


 侵入者の返答に軽く頷き、オレは肩をすくめてみせる。

 心底意表を突かれたことだろう、なにせ、空間魔術は本来であれば――十数人ほどの複合詠唱によって実行される大規模魔術の一種だからだ。


 メリザンシヤの魔術が例外すぎるだけで、普通の人間はそう簡単に空間を飛躍ひやくすることはできないのだ。

 暗殺者からしてみれば、あの女はオレに並ぶ“最低最悪の魔術師”と言っても過言ではない。


「……で、どうする? お前の標的がここにいない以上、ただの無駄足だったわけだ」

「…………」


 侵入者は静かにオレを見据みすえたまま、腰にげていたもう一本の短剣をゆっくりと引き抜く。

 表情は外套がいとうに覆われて確認できないものの、それでも、戦闘続行の意思は充分に読み取れた。


「逃げないのか。せっかく命拾いの機会を与えてやったのに」


 挑発を抜きにそう尋ねると、侵入者は応えるようにスッと身構えた。

 そして、


「逃げられないから」


 と、小さなつぶやきが侵入者から聞こえた瞬間、その影は何の下連けれんもなく、電光石火でんこうせっかの勢いをもってオレに接近する。


 今までの姑息こそくな戦術ではなく、無雑むざつな跳躍による攻勢の一手。


 たしかに離れていたはずの間合いも、この侵入者の踏み込みを前にすれば一足の距離に縮まるほど、それは恐ろしく速い突進だった。


「――――」


 払われた短剣の刃が、オレの首筋を目掛けてひらめく。

 その軌跡をしっかりと眼で捉えていたオレは、しかし、身をかばう素振りすらせずに立ち尽くす。


 魔術師と短剣使いの近距離戦――想像し得る限り、魔術師が駆け引きもなく敗れるのは決して不思議ではない状況だ。

 抵抗もできず、一刀で切り伏せられる。


 ……オレが足元に“水源”を作り出していなければ、そんな結末もあり得たかもしれない。


「――〈氷の檻カルケレム・グラキエ〉!」


 一息の詠唱によって、足元から立ち昇った水が一瞬にして凍り付き、短剣の刃が届くすんでのところで氷柱ひょうちゅうがそれを受け止める。


「……ッ!」


 予想外の位置から生じた迎撃げいげきに、ほんのわずかだけ動きを硬直させる侵入者。

 一拍遅れて、体勢を切り替えながら繰り出された刺突しとつの一撃も、さっきの攻撃と同様、オレに届くことはなかった。

 それどころか。


「――!!」


 魔術の流れによって作り出された――人一人を収めるだけの大きさを持った氷製の檻が、侵入者を閉じ込めるようにしてその形を完成させていた。


 愕然がくぜんと、周囲を振り返る侵入者。

 オレは部屋の入り口から少し離れた廊下の途中まで後退し、そんな侵入者の姿を観察しながら会話を続けた。


「魔術師ってのは厄介だよな? 一概いちがいに詠唱と言ってもその速度はまちまちだ。人数、環境、熟練度、その他諸々で多様に変化する。だからこそ、総じて魔術師は近接戦闘に弱い……そうあなどった矢先、オレみたいな例外に当たってしまう」


 喋り続けるオレを無視して、侵入者が氷柱に力強い蹴りを繰り出す。

 しかし、


「〈遅延レンテ〉」


 オレは遅延魔術を、侵入者ではなく氷の“魔術”そのものに重ね掛けすることで、その氷柱の強度を絶対のものとした。

 遅延状態の対象は周囲の干渉をほぼ無効化する、その効果を利用したお手軽な捕縛術だ。


 時間を引き延ばされたまま、どんな物質よりも堅牢けんろうとなった氷柱の檻が侵入者の蹴りを何事もなく弾き返す。

 もはや、詰みという奴だ。なおも諦めずに短剣を構える侵入者に向けて、オレはめた声で尋ねる。


「投獄される前に聞いておきたい。お前はフォルトゥナを知っているか? オレの弟弟子なんだが」

「…………」

「はあ、意識掌握の魔術は専門外だから、こういう時に困るな」


 もしもフォルトゥナが使うその魔術があれば、目の前の人間からどんな情報だって制限なく引き出すことが可能だろう。

 もっとも、引き出したいのはその魔術を使える人間の情報なのだから皮肉な話だ。


「さて……それじゃあオレは護衛を全うしたということで、お前を衛兵に引き渡して今回の仕事はおしまいだな。暗殺任務、お疲れさん――」


「〈加速フェスティナーレ〉、起動……!」


 背後から、れたような声でつむぐ命令句が聞こえた。


「……お前はそれを使うことで自分の命をどれだけ削ってるのか、分からないのか?」


 そう言って振り返り、侵入者を見やる。

 檻として機能していた氷の魔術が、加速魔術の影響を受けて、見る見るうちに元の流水へと溶け出していった。


 全身を水浸しにしながら、侵入者はそれでも短剣を構えて――オレに向かって疾走する。

 その駆け出す足元に狙いを定めて、魔術を放つ。


「――〈雷撃フルグル〉!」


 青白い光とともに、空間をひた走るのは魔術の稲妻。

 侵入者の突進と、放たれた雷光が交錯こうさくするも、つかの間――真っ暗な廊下を照らし出すほどの火花が眼前に広がった。


「ぐが、ああ、あああッ!!!」


 激痛から引き出された本能的な叫びと同時、侵入者の手から短剣が滑り落ちる。

 まさしく全身を飛び跳ねるように痙攣けいれんさせながら、目の前の相手はゆっくりと……その場に倒れ込んだ。


 ……感電はやり過ぎただろうか?


「おーい、生きてるか?」


 未だガクガクと治まり切らずに痙攣する侵入者の前に立ち、言葉を投げ掛ける。

 命を奪うつもりはなかったが、殺す気で向かってくる相手に対してこちらだけ穏便に対処するという義理も当然ない。


「…………」


 言葉にならないうめきを漏らす侵入者。

 その相貌そうぼうを確認するために、覆われた外套がいとうを剥がそうとして……


「…………、“変化魔術”か?」


 それは、昼間に見た猫の少女と同様の気配だった。

 苦痛に震える肉体のその細かな動きに、言い表せぬ違和感を覚えたオレは、掛かっているであろう変化を解除するための魔術を唱えた。

 すると――


「――――やっぱりか」


 霧のような青白い粒子が侵入者の肉体を覆い、数秒を掛けて徐々に霧散していく。


 やがて、現れたのは――先ほどよりも一回り小柄な、灰色の髪を伸ばす若い女の姿だった。

 うつ伏せで顔の細部を確認することはできなかったが、それでも、外套の隙間に覗く首筋から若いことだけは読み取れた。


「……なるほど、“白幻はくげんの国”の人間か。あそこは暗殺者を国家ぐるみで育てていると聞いていたが……随分と手の込んだやり方だな」


 灰色の髪は、この大陸において出自が限定される珍しい色である。

 それは白幻の国の出身であるという証であり、同時に、信奉者しんぽうしゃに次いで多くの者から好まれることのない裏切りの象徴とされる色でもあった。


 大陸に連なる諸国の内、遠い北の極寒の地に位置する――氷雪と濃霧のうむに覆われた島、白幻の国。


 魔女の争乱に乗じた最初の国であり、信奉者と結託して各国に暗殺者を送り出した過去から、戦渦せんかの発端とも名指されることが多い。

 後に、自分たちはアリギエイヌスの言に騙された被害者であると表明をしたが、真相は定かではない。


(〈先見者せんけんしゃ〉の命を狙っているのは信奉者の残党だと決め付けていたが……どうも、雲行きが怪しくなってきたな)


 オレがそう考えている間も、侵入者の“女”は苦しげに息を吐きながら、ゆらゆらと片手を持ち上げていた。

 その片手の内側に光る――魔封具まほうぐの結晶体が魔術を発動する前に、オレはそれを素早く蹴り飛ばす。


 おそらく、爆破の魔術を起動しようとしたのだろう。再発防止のために、女の口元を強めに踏み付けて黙らせることにした。

 ため息とともに、女を見下ろす。


「いい加減に諦めたらどうだ、何でそんなに死に急ぐ? 追っ手がいるわけでもあるまいし、お前の持つ情報次第じゃ処刑はまぬがれ――、ッ!」


 言い掛けて――オレはなかば本能的に身をひねった。

 風を切る音とともに耳殻じかくに痛みが走り、次には――ドンッ! という重たい衝突音がオレの近くにあった壁を貫いていた。


 そこに刺さっているのは、分厚い異形の包丁だ。

 オレは飛び退すさって距離を取ると、不意打ちを食らった背後を振り返る。


「――あらら、凄い反射神経だ」


 暗がりの廊下に、窓から差す薄光が声の主を照らし出す。


 灰色の髪、やたらに整った目鼻立ちの男……どこかで見たことのある風貌ふうぼうだった。たしか、昼間に見た手配書の――


 オレの警戒をよそに、男はなぜか芝居がかった手振りで一礼をする。


「俺はバンジャミン。バンジャミン・ディオメッド――お見知りおきを、ベルトラン・ハスク殿」


 分厚い異形――肉切り包丁を片手に、男はそう自己紹介をした。

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