02:庭園


 辿り着いた場所は、色鮮やかな多種多様の植物に囲まれた――庭園のその中央。


 綺麗に整えられた石畳いしだたみの上に、景色に馴染む白を基調とした大きな円卓が一つしつらえられていた。


 円周に沿って置かれている席は七つで、オレより早く、その席に腰を下ろして待っていたのは三人の男女だった。

 リディヴィーヌの弟子である、メリザンシヤ、ミリオール、そして……エドメの三人。


 自然にあふれた庭園の清浄な空気と反して、そこは相変わらず、めに似た険悪けんあくな雰囲気がのさばっていた。


「よお、メリザンシヤ。オレの稼いだ金貨で美味いものでも食えたか?」

「…………」


 初手、無視。

 紅色の長髪を背に流して、メリザンシヤは何食わぬ顔で足を組みながら座っている。


 円卓の上に置かれたさかづきに口を付けることもなく、いつもの無感情で切れ長の瞳は閉じられたままだった。


「やあ、ベルトラン。集合する弟子は君で最後、ということになるかな?」

「シャルロッテがここに来ないことを考えると、そうなるだろうな」


 枯れ草色の髪をした癖っ毛の青年、ミリオールの言葉にそのまま返答する。


 一席の間隔ごとに座る三人を見回して、仕方なく、ミリオールの隣の席に腰を下ろすことにした。

 ふと、斜め向かいに座っている男――エドメの不機嫌そうな舌打ちが耳に届いたので、視線を向ける。


「久しぶりだな、エドメ。お前はいつ会っても偉そうな態度だな」

「てめえにだけは言われたくねェ、クソゴミ魔術師」


 吐き捨てるような口調で、男は両腕を組みながらオレをギロリと睨んだ。


 四番弟子、エドメ・レヴォルト。

 鍛えられた身体に粗末そまつあさの黒服を身に付けた、短髪で、目付きが極悪人と勘違いされかねないほどにいかめしい男。


 殴る気満々の拳は鉄の手甲てっこうおおわれており、そのよそおいだけで言えば、とても魔術師とは思えない風体ふうていだ。

 まあ、本人からしても魔術師のつもりはないかも知れないが。


「で、では……私はこれで……」


 円卓から離れた場所で居心地悪そうに立っていたフェリスが、控えめな声でそうつぶやく。

 オレがここに着いてすぐに返した魔封具まほうぐを空間に固定して、帰るための命令を発する。しかし、


「待て」


 と、さっきまで黙り込んでいたメリザンシヤが急に口を開き、フェリスを呼び止めた。


「この場で行われる話し合いを、私の後ろに控えて聞いていろ、フェリス」

「え、ええ……!?」


 少女から困惑した声が上がる。

 それもそうだろう、オレでさえこんな所には一分一秒だって長居したくはない。主な原因は、機嫌の悪そうな男と無表情な女の存在だが。


 そして案の定、その機嫌の悪そうな男はメリザンシヤの言葉に顔をしかめた。


「無関係な奴を居合わせる気か? メリザンシヤ」

「無関係? ……お前にそんな意識があったとはな」

「チッ……俺だけが規則に縛られるのは気に食わねェ、そいつをさっさと外に放り投げろ」


 エドメの高圧的な視線がフェリスに向く。

 普段は活発で明るい印象の少女が、今は怯える小動物のように身をちぢこまらせていた。

 だが――


「〈転送ミッテレ〉」


 あまりにも無造作に、つ、すらりと唱えられたメリザンシヤの魔術が、エドメの前に置かれていた杯を――またたく間に消失させた。


 厳密には、消失ではなく空間移動だというのは理解しているが、傍目はためには消失とそう変わらない光景だった。


 魔術を唱えたメリザンシヤはエドメを振り向きもせず、再びまぶたを閉じながら、


「次は貴様を退場させることもできるが」


 と、これまた涼しげにそう言った。


「あーあー始まったか」


 事が起きる予感を覚えたオレは、すぐさま席を立ち上がり、数歩ほど後ろに下がった。

 ほぼ同じ拍子ひょうしにミリオールも立ち上がって、そそくさと円卓から距離を取る。


 事情を知らないフェリスさえ、このあからさまな空気を察してオレの近くに駆け寄ってきた。

 そして、小さく耳打ちをしてくる。


「も、もしかして喧嘩――」


 フェリスがそれを言い終える前に、正面を――猛烈な風圧が襲い掛かる。


 見れば、先ほどまで丁寧に設置されていた大きな円卓が、エドメの振り下ろされた足を起点にして無残にも真っ二つにへし折れていた。

 円卓の上にあった七席分の杯も、衝撃とともにどこかへ吹き飛ばされており、その一つは……フェリスの足元を転がっていた。


(メリザンシヤの魔術か)


 視界でとらえた範囲では、フェリスの方に吹き飛ばされた杯はそのまま、フェリスに当たることなく地面へと垂直に落下していった。


 あたかも、杯とフェリスの間に見えない空間が広がっているかのような不自然な落ち方だったが、当人は気付くこともなく、怯えながら顔をかばい続けている。


 そうした周囲の迷惑などお構いなしに、エドメはいまだ席に腰を下ろしたままのメリザンシヤを睨み付けた。


「…………気に食わねェ、って言ったのが聞こえなかったか? クソ魔術師」

「…………」


 なおも、無視。


「はあ」


 仕方なく、オレは短気な男と態度の悪い女の間に入って、仲裁ちゅうさいをすることにした。

 両者を見やり、パンと両手を叩く。


「よし、さっさと決着付けろ」

「あっ、ベルトラン、君っ――」


 慌てたミリオールの言葉は先ほどのフェリス同様、眼前の争いによってさえぎられることとなった。


「〈隔絶の円セパラティオ〉」


 メリザンシヤが魔術を唱えると同時、エドメの身体は一瞬にしてメリザンシヤの背後に移動していた。


 何の比喩ひゆ誇張こちょうもなく、それは一瞬の動きだ。

 次には、一切の予備動作を見せずにぎ払われた大蹴りが、庭園内に凄まじい衝撃を生み出した。


「ぐっ……!」


 人間にはあり得ない速度がもたらす一蹴いっしゅうの暴風が、空間を丸ごと薙ぎ倒す勢いで吹き荒れる。

 円卓をへし折った蹴りとは比べ物にならないほどの風圧に、庭園の一部がきしみを上げる音さえ聞こえた。


 そんな強力な一撃も、しかし、当てるべき相手には届かなかったらしい。


「…………」


 当のメリザンシヤはなおも、無防備に目を閉じたまま席に座っていた。

 本来であれば攻撃を外すことなどないはずの距離で涼しげに座り込む姉弟子の姿に、エドメの沸点ふってんがついぞ限界を迎える。


「……魔術師って奴は、どいつもこいつも……よほど死にたいらしいな」


 上にかかげたエドメの片腕が、青白い光を帯びた。

 そして、


「要は――この空間丸ごとぶっ壊しゃアいいんだろうが!!」

「――っ!!」


 明らかに、度の過ぎた力がエドメの拳に込められていくのが分かった。


 それは魔術による補助や強化ではなく、純粋な――異能いのうとも呼ぶべき並外れた身体能力の解放だった。


「落ち着いてくれ、エドメ!」


 ミリオールが必死にエドメを制止しようと『どうどう』の構えでなだめる。

 けしかけた身としてもさすがに庭園もろとも巻き込まれては困るので、オレもまた遅延魔術の準備をする。


 この状況でも、メリザンシヤは我関われかんせずとでも言わんばかりに座り込んだままで、フェリスの方は成り行きにおろおろと顔を青ざめさせていた。


 一瞬の内に騒乱の坩堝るつぼと化した庭園の中で、エドメの口元が愉悦ゆえつに歪む。

 攻撃の合図だと判断したオレは、遅延魔術をエドメに向けて放つために詠唱を始めて――


「――――いい加減にしなさい、エドメ」


 ふと、前方からそんな叱責しっせきの声が聞こえたと思った瞬間、


「!! おがッ……!」


 ドゴォン! と大きな音を立てて――気付けば、エドメとその周囲が地面に埋没まいぼつしていた。

 驚くべきその光景に、咄嗟とっさに唱えようとしていた魔術を中断し、声のした方を振り向く。


 ここに繋がる八方に延びた道の一つから、悠然ゆうぜんと歩いてくる人影があった。


 装飾のない単一色の黒法衣ほういまとい、黒い髪に翡翠ひすい双眸そうぼうを持つ魔術師。とりわけ特徴と呼べる装いでなくとも、その気品あるたたずまいと、超然とした雰囲気は見紛みまがうはずもなく、オレたちの師である――リディヴィーヌその人だった。


「重圧の魔術を唱えました。先ほどの行いを反省し、大人しく談合に参加するのであれば解除いたします」

「……クソ……がッ……」


 地面にめり込むエドメが、殺意を込めた眼でリディヴィーヌを睨め付ける。だが、


「! ぐおッ!」


 リディヴィーヌの指の動きに合わせて、エドメの上をし掛かっている不可視ふかしの力に更なる重みが加わった。


 もはや身動きを封じる程度に収まるような魔術とは思えない。

 数秒前まで、この場に尋常ではない緊張をもたらした相手に対して、あまりに一方的な駆け引きを繰り広げるリディヴィーヌに、当のエドメは低くうめきを上げながら地をうことしかできない状態だった。


(さすがは大魔術師、といったところか)


 狂犬を手懐てなずける我が師の手腕に三度の畏怖いふを覚えつつ、オレは吹き飛ばれた自分の席を元の位置に戻して、座り直すことにした。

 すると、リディヴィーヌがこちらを向く。


「ベルトラン、メリザンシヤ、あなた方の挑発的な言動にも非があります。反省するように」

「はは、すまん」

「…………申し訳ございません」


 オレとメリザンシヤの言葉を聞いたリディヴィーヌは納得したようにゆっくりと頷き、そしてようやく、エドメに掛けていた魔術を解除した。


「ッ……」


 重圧じゅうあつから解放されたエドメは小さく舌打ちして、のろのろとした動きで自分が座っていた席に戻る。

 もしオレがあいつと同じ立場なら恥ずかしすぎて即行で帰る――などと口に出してしまうと、次はオレがあの魔術の被害者になりかねないので、嫌味は心の中だけに留めておいた。


 ミリオールもまた席に着き、この一連の流れにため息をこぼしながら、


「やっぱり魔術師の女性を怒らせちゃダメだ……」


 と、呟いていた。

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