第二章

00:通達

 

 “きりの王”に栄光を――

 何度、その呪いの言葉を口にしたことだろうか。


 自らを主に使われるための道具なのだと思い込ませて、そう動くだけの……忠実な兵器に切り替えるための言葉。

 ただの道具に成り下がるならば、それに忠誠を誓わせるなど不合理ではないか。

 そんな疑問を抱く余地など、あの場所にはなかった。

 

 毎日、戦い合い、毎日、血を流し、毎日、歳近い誰かを殺し続ける。

 かつての幼い自分にはあまりにも過酷すぎた、訓練と称された命の駆け引きは、大人になった今でも――悪夢にうなされるほどのおぞましい体験だった。


 引き取り手のいない孤児を集めて、人として生きる術を取り上げて、いつ如何なる時も、主君に忠誠を誓う無感の兵士として育て上げる地獄のような場所。

 あの時、あの男が現れなかったら、今頃、自分はどうなっていたのだろう。


『お前は今日からディオメッド家の影として、教育を受けることになった』


 “蟲毒こどく”と呼ばれた児童施設の劣悪な一室で、希望のない瞳を二つ彷徨さまよわせる多くの孤児の中から、私に向けて、そう言い放った男。

 その男は現在……目の前に“隊長”として立っていた。


「――詳細は以上だ。何か質問はあるか、クロード」


「……いえ、ありません」


 一瞬、走馬灯そうまとうのように脳裏を去来した思い出したくもない過去を、私は視界を閉ざすことで……頭の外へと追いやった。


 再び、まぶたを開ける。

 石の壁に囲まれた部屋の中央。暖炉の明かりに心許こころもとなくも照らされた室内では、私を含む――三人が立っていた。

 〈氷兵隊ひょうへいたい〉の隊長であるローレンと、副隊長の老魔術師バルテルミー。そして、一隊員であるだけの自分。


「…………」


 ガラス窓の外はいつものように白く、隙間から入り込む凍てついた外気がわずかな部屋の暖かさを奪い続けていた。


 ここ“白幻はくげんの国”は、氷雪と濃霧に覆われた土地である。

 どういった仕組みで、極寒の土地に霧が常時発生しているのかは分からない。常に寒く、常に視界が悪いのが特徴だった。


 そんな不可解な凍土に建てられた城砦の一室で、私は身体の芯まで冷える寒さに晒されながら、隊長の任務説明を聞いていた。


「明日の内にここを発ってもらう、距離からして“岩壁がんぺきの国”に着くまでは長らく掛かるだろうからな」


 そう言い終えると、隊長は背後に置かれた豪奢な椅子に腰を落ち着かせる。単調な内装には釣り合わない、一目に高級なものだと分かる椅子だ。


 対して、隣で腰を曲げて立っていた副隊長の老人は、私の後ろにあるものと同じく簡素な作りの椅子に座って、ちらりとこちらを見た。


「ギ、ギヒヒ……若造、お前に預けた二種の魔封具まほうぐ、決して失せ物にするでないぞ……? お前の命なんかよりも重く、戦略的価値がある代物だ」

「…………」


 杖突つえつきの老人――バルテルミーが酷薄こくはくの笑みを浮かべる。

 部隊外では“薄笑い”のバルテルミーの通り名を持つほどに、この副隊長の表情は印象に残るおぞましさがあった。


 兵士としてはあまりに老いぼれていながら、魔術師としての高い能力だけで〈氷兵隊〉の副隊長に選ばれた狂人のおきな

 実態は知らないが、魔術に関する非道な実験を繰り返して、その犠牲となった人数は優に百を越えるという。

 …………


「それにしても、今日は一段と冷えるな。そうは思わないか、クロード」


 膝の上で指を組み合わせて、豪奢ごうしゃな椅子の背にもたれながら隊長が問いかける。


 隊長――ローレンの年齢は三十半ばほど、清潔に整えられた金色の髪と、上品に整った顔立ちは、一見すれば由緒ある貴族の出の男のようにも見えた。

 だが、その右目は刺繍ししゅうの施された眼帯で覆われていた。


「……はい」


 この程度の寒さには慣れていたが、私は社交辞令のつもりで軽く頷いた。


 たしかに、ここは寒い。

 しかし、そういった寒さとは異なり、真にこの空間を支配しているのは……死にまつわる冷たさだ。

 予定調和の死が、今、ここから始まるのだという……そんな無力感からくる怖気。


 当然のように進められている任務の説明も、ここに会する二人の存在も、全てが茶番に思えるほどの冷淡な時間。


「あちらは温かい土地らしいな。羨ましいものだ、見上げれば当然のように陽光を拝めるなんて」

「ギヒヒ……“擬似ぎじ太陽”では不満か、ローレン」

「あんな小さな光球を有り難がるほど落ちぶれちゃいない。俺の片目がまだ肉眼だった頃に一度だけここで太陽を目にしたことが……おっと悪い、話が脱線したな」

「…………」


 立ち尽くしたままの私を見上げて、隊長がスッと片手を払う。

 すると、前方の空間に音もなく――小型の氷柱つららが生成された。瞬く間に作られる六つの氷柱が横一列に並び、空間に固定された。

 その内の一つが、隊長の指の動きに合わせて砕かれる。


「一人はあの男……信奉者の新しい頭領が仕留めた。残るは五人。クロード、お前が担当するルドヴィックはおそらく一番の難所であり、不確定要素だ」


 それは、さっきの任務説明でも聞かされた話だった。

 ――岩壁の国の冒険者であり、〈先見者せんけんしゃ〉の一人。冒険者組合に多額の支援を行うガロン伯爵家の一人息子。

 私が暗殺することになった、最初の標的。


「クロード、初心を忘れるな。教わった技をきっちり活かして、確実に、首を獲ってこい」

「……」

「たとえ失敗したとしても、こっちにはいくらでも言い逃れができる材料がある。だから、安心して――――散って来い」


 そう言って、隊長は私の首に提げられた首飾りを指差す。

 首飾りの中央に嵌め込まれた結晶体が、暖炉の光を反射して輝いた。


「……了解しました」




 “霧の王”に栄光を――

 死ぬ間際になっても、私はきっと、その言葉に囚われ続けるのだろう。


 顔を見たこともない誰かのために忠義を尽くし、何の恨みもない相手を殺すために命を費やす。

 誰にたたえられることもなく、誰の記憶に残ることもない。

 私の人生はただ、死をもたらすだけの虚しさで形作られていた。

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