第07話:どうして男は料理を作らせたがるの?

 うーん、さすがにこれは気まずい……よね。


 タルワールがお姫さまとか言うから、変に意識しちゃったじゃない。


 そりゃあ、ね。私も女の子だし、められれば多少はね。ほら、いい気分にもなる、なるわよ。確かに私ってカワイイし、そう呼ばれてもおかしくないかもしれないし、って、違う違う。つまり、なんというか、とにかく極端なのよ。急にそんなことを言われても、反応に困るのよ。だいたいタルワールは、女の子をめるとき、もう少し言葉を選ぶべきなのよ!


 そんなどうしようもない感情を消化できず、必死に悩んでいた私に突きつけられた現実は、気まずい沈黙。せっかくタルワールが軽口を叩いて空気を軽くしようとしてくれたのに、私が意識しすぎたばかりにすべてがパァ。ほんと、私ってバカみたい。


 そのせいで、今まで気にもしなかった鳥のさえずりや、風が木を揺らす音さえ大きく感じるし、キャロルの蹄の音や馬車の車輪がきしむ音に至っては、もはや轟音レベル。


 私は沈黙恐怖症ではないけれど、さすがにこのジリジリとした沈黙は気まずいし、これ以上この沈黙に耐える心の余裕もない。なんとか空気を変えないと……、そう焦れば焦るほど何も言えなくなるし、何もできなくなる。と、とにかく、空気を変えるきっかけが欲しい。今度はちゃんとその空気を大事にするから、お願い。


 そう強く願えば願うほど、周囲の空気はますます凍りつき、変化の兆しは一切ない。さっきまで頻繁ひんぱんにすれ違っていた早馬ですら鳴りを潜めてしまっている。


「ところで」


 急に耳元に届くタルワールの声。


 さすがタルワール、この気まずい沈黙を破ってくれるなんてほんとありがたい。不甲斐ない私と違って、こういう時だけは妙に頼りになる。よし! 今回も全力でのっかるぞ。


「ところでリツ、護衛契約の他にもう一つ契約があったことを覚えているか?」


「もちろん覚えているわよ。夕食のことでしょ?」


「そう、夕食の話だ。俺は育ちがいいから、食事には結構こだわりがある。今日はそんな俺のために、お姫さまが直々に腕を振るってくれるというのだからなおさらだ。どんな料理を作ってくれるのか、今からとても楽しみにしてるんだが?」


 大人っぽい言葉で私をからかっていたと思ったら、次は食事の話か……。タルワールって結構子供っぽいなと、思わず「ふふっ」と笑ってしまう。


 それにしてもこの男、大人なのか子供なのかよくわからないのよね。それとも男という生き物はみんな大人になりきれない子供なのかな?


 そんな事を考え始めた私であったものの、ふと浮かんだ哲学的な疑問に思考のすべてが奪われる。すなわち男という生き物は、どうして女に料理を作らせたがるかという疑問だ。


 実はこの問題、単純そうでなかなか難しい。


 私なんかは、料理なんて人それぞれ好みがあるのだから、自分で作った方が自分の好きな味付けにできる分、美味しいに決まっていると考えるのだが、男という生き物はどうもそうではないらしい。私調べによれば、どうやら男という生き物は、女子が作った料理に必ず美味しいと答える習性を持っているらしいのだ。しかし、もしそれが正しいとすれば、私とタルワールが結んだ契約内容と大きく矛盾する。


 つまり、「私が作った夕食をタルワールが食べて、美味しくないと言えば私が銀貨十枚を払う」という契約と整合がとれなくなるのだ。


 もし男という生き物が、女子の作った料理に必ず美味しいと答える生き物であれば、こんな契約、一銭の価値もない。にもかかわらず、タルワールはこの契約にこだわった。つまりそれは美味しいという基準が、もしくは、美味しいという言葉の意味が、私、いや、女と男で異なるからではないだろうか?


 男という生き物は、料理の味よりも量を気にするという。


 確かに私が働いていた酒場でも、男は量が多くて安いものばかり注文してくる印象がある。もしかして、男が美味しいと感じるのは、お腹いっぱいになった時だけなのであろうか? そう考えれば、いろいろな事に説明がついてくる。


 つまり、タルワールは私にお腹いっぱいになるくらい料理を作って欲しいという意味を込めて契約をしたってこと? 


 そんな結論に辿り着いた瞬間、私の顔から血の気が引く。


 それはまずい。確かに私は、私を含めて三人分の食材を用意してきた。しかしタルワールの体の大きさを考えれば全然足りないかもしれない。もし足りなければタルワールは絶対に美味しいとは言わない。それを計算してタルワールは私にこんな契約を吹っかけて来たってこと? たくさんご飯を食べられる特技を生かして、私からお金を引っ張ろうとしたってこと? となると、私ができる対抗策は……。


 って、ダメダメ。今、ここで考え込むのは絶対にダメ。


 そんなことしてしまったら、また会話が止まってしまう。このまま沈黙に戻ってしまう。


 仕方がない、この件はいったん保留ということで手を打とう。


 どうせ今から食材を買いに戻る訳にもいかないし、女子が作ったものなら男はなんでも美味しいという情報を信じるという方法もある。だからここは、めいっぱい余裕のある態度で接する方がいい。だいたい、これ以上からかわれるのはゴメンだしね。


「私ごときの料理が、王子さまのお口に合うか自信がありませんが、一生懸命作らせていただきます」


 礼儀正しく、余裕たっぷりでそう応えると、タルワールは驚いた表情を浮かべ、しばし絶句する。


「うそうそ、冗談、冗談。タルワールが私のことをお姫さまと言ってからかってきたから、からかい返したくなっただけよ」


 そう言って私は、人差し指でタルワールの鼻先を軽く押し込んだ。


「あのね、タルワール。久しぶりに人から『お姫さま』って呼んでもらえたから嬉しいと言えば嬉しかったんだけど、タルワールに言われるとヘンな感じがするの。それに、街でこの会話を聞いた人が、私のことを本当のお姫さまだと勘違いしたら困るから、これからは普段通りリツと呼んでね」


 そう軽く笑ってたしなめながら、「今日の献立はできてからのお楽しみね」と冗談めかして言葉を続けると、タルワールの顔に苦笑いが滲んでゆく。


 さすがに今回は私の勝ちでしょう。


 そう悦に入った私であったものの、この劣勢にもかかわらず、タルワールは反撃を試みる。どうやら、まだ今日の夕食の献立を聞くことを諦めていないようだ。ほんと、これってお母さんに夕食をねだる子供そっくりね。


「ごめんなさい。今回は私の言い方が悪かったみたい。えっとね、正確に表現すると、まだ夕食のメニューは決まってないの。でもちゃんと朝、買い出しはしてきているから安心してね。ただ……」


「ただ?」


 夕食のメニューに期待を大きくふくらましたであろうタルワールは、私の最後の言葉にひっかかったらしい。だから怪訝そうな顔を浮かべて、私に問い返してくる。


「ただ、おいしい料理を作るにはどうしても水が必要なの。だから、今日どれだけ水が手に入るかでメニューが変わってくる感じなのよね。だから、今は答えられないって感じ」


 舌を小さく出しながら、困り顔でそう答えると、タルワールは急に安堵の表情をうかべてくる。


「なんだ、その程度の話か――、それなら大丈夫だ。この先しばらく行くとこの街道はアラス川の支流にぶつかる。今夜はその付近で野営をする予定だ。だから……」


「だから?」


 とくとくとそう語るタルワールにつられて、私も思わず最後の言葉を聞き返してしまう。


 しまった、この男、狙っていたな。この言い方、さっき私が途中で話を止めたことへの仕返しよね? まんまとタルワールの術中に落ちたというわけね。なんというか、私も存外ちょろいかも……。


「だから、水はいくらでも使える。安心して料理の腕を振るってくれ。期待しているぞ」


「そうね、なら今日は全力を出させてもらうわね。私はスムカイトの酒場で調理も任せられるくらい料理が上手いのよ。自分でいうのもなんだけど、その腕はナカナカのものよ。だからタルワールはお腹をすかせて待ってなさい」


 満面の笑みでタルワールにそう返事をすると、タルワールは私の目をマジマジと見つめながら笑顔をくれる。そして、そんな視線に小さくうなずいて応えたものの、すぐに耐えきれなくなり視線をそらす。


 まったく、この男は普通にカッコいいんだから、そういう事を真顔でやられると困るのよね……。


 そんなことを考えながら、真っ赤になった顔を気づかれないよう横髪を右手でさわると、私は、精一杯の照れ隠しをしてみせた。

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