第三章 日常編⑫
「…………ねえ、これわかんないんだけど。教えなさいよ」
「あー、そりゃあそもそも考え方が違う。縦に切るんじゃなくて横に切るんだよ。そうすりゃ円二つの差で面積求められるからそれで積分すりゃいい」
* * *
「……ねえ、これ意味わかんない」
「現在完了っていうのは『〜し終えた』じゃなくて、『理由づけ』だと理解すればいい。例えばだな──」
* * *
「ねえ、これ二択から絞れない」
「あぁ、まあ二択まで絞るのは比較的簡単だからな。アドバイスとしては、正解を探すってよりも、間違っているところ探すってことだな。言ってみれば揚げ足取りだ。ほら、お前そーいうの得意だろ?」
「はあ? 何その言い方。アンタの方が得意でしょ、そーいうの?」
「はははっ、違いねえな」
* * *
「これ合ってる?」
「ん? あぁ、合ってるな」
「そ、そう。ならいいわ」
「なんだよ、お前、俺に褒めて欲しかったのか?」
「はあ? アンタに褒め言葉なんかもらっても嬉しくないしっ」
「はははあ、照れちゃってぇ。言葉がいらんなら行動で示してやろう。頭撫でてやる」
「うっざ。べ、別に撫でてもらっても嬉しくないんだからねっ」
「なんだよ、なんで頭こっち向けんだよ。頭突きでもすんのか?」
「うっさい、バカッ!」
* * *
「今更だけど、アンタ勉強できんのね?」
「まあな。一応『探偵』だからな。学は必要だ」
「うふふふっ、何それっ。あははははっ。──マジで言ってんの、『探偵』って? 何それ? 将来探偵事務所でも開く気ぃ?」
「ああ、半分本気でそう思っている、そういうお前こそ、将来どうすんだよ?」
「はあ? んなこと考えてるわけないでしょ?」
「まあ、そうだよな。俺らまだ高校生だもんなー」
* * *
「ねえ、アンタ、あの三人の中だと誰と付き合ってんの? やっぱりあの白い髪のお嬢様?」
「? もしかして波瑠のことか?」
「……ふーん、下の名前で呼んでいるんだぁ。ちょっとムカつく(あたしのこと名前で呼んだことないくせに)」
「あ? なんか言ったかあ?」
「なんも言ってないっ! うっさい黙れバカ」
* * *
その後、『ループ』を繰り返し続け、ついに『八回目』の七月四日を迎える。繰り返しの日常、八周目の『今日』。
【ストーリーライン】
さらに同じことを繰り返した弊害として、未来を知っている違和感が行動の端々でチラつき不審がられる。『探偵部』の面々とくらいしか交流のない詩録はさておき、自分の教室でそれぞれコミュニティを持っている波瑠や智慧、凛にとってはそういったことにも注意を払わなければならない。
結果、『探偵部』の面々、特に女子三人にとっては、気を使わなくて昼休みのお昼ご飯が唯一の『ループ現象』の中での癒しとなっていた。
「今日も、波瑠ちゃんのお弁当はおしゃれだねー」
「そうだねー。あ、今日は唐揚げ入ってんじゃん。ボク食べたいなー」
「はいはい、あげますよ。なら代わりに凛ちゃんのそのタコさんウインナーいただきますね」
「あー、いいなー。あたしもあたしもー。じゃあ、あたしのお弁当からはこのピーマンの肉詰めあげるっ」
「だからそれは智慧さんがピーマン苦手なだけじゃ……?」
そうしてもう恒例になりつつあるお昼の昼食とおかずのトレードの光景を詩録は見るともなく見る。
「ふふふ。あら、詩録くんどうしました? もしかして詩録くんも何か苦手なものがお弁当に入ってました?」
上品に口元に手を当ててころころと鈴の転がるような声で波瑠が笑う。
『ループ』を繰り返すことで変わったことはいくつかあるが、これもその一つ。なんと波瑠が詩録が毎回購買のパンを買って食べているのを見かねて、自作のお弁当を詩録のために持ってくるようになった。
もしかして『ループ』するのならばどんな高カロリーのものを食べてもカロリーは日付を跨げないのでは、とどこぞの芸人のようなことを思い浮かべながら詩録は返答する。
「いや、苦手なもんは特にねえし、わざわざ作ってもらってるんだから好き嫌いなんてしねえけどさあ。……なんか、こう、同級生の女子に弁当を作ってもらっているって状況にちょっと気まずいものがある」
「あらあら照れてるんですか? あれならこれから毎日、三食ご飯を作って差し上げますよ?」
すげえ楽しそうに波瑠がそう言ってくる。これあれだろうか、毎朝お前の味噌汁を飲みたい的なやつの逆パターンだろうか。いや、たぶん詩録がそう思うことも含めてからかいに来ているのだろう。
なので詩録はあまり深く考えずに、波瑠が作ってきてくれたお弁当に箸を伸ばし、唐揚げを一つ頬張る。
「それはそうとさあ、たっちー。例の『ループ少女』はどうなったの?」」
「『ループ少女』って、凛お前なあ……。……それなら心配いらないよ。なんとか上手くやってる」
詩録は唐揚げを嚥下し、箸を次は玉子焼きに伸ばしながら続ける。
「その『ループ少女』──空乃有紗とは毎朝学校に早く来て勉強会してるよ。少しずつ会話も増えてきたから、あとは『校閲』との時間の勝負だな。『校閲』がかかる前に解決できりゃいいが……」
そう言う詩録の顔には疲労の色があった。
あれから『ループ』を重ね、詩録は毎朝、あの空き教室──三年三組の教室で有紗と交流を続けている。結果、最初は険悪以外の何物でもなかった二人の関係は世間話をできる程度までは改善してきている。
と、そこまで話して波瑠が頬を少し膨らませながら詩録の方をジト目で見ているにに気づいた。
「な、なんだよ波瑠。確かに非効率なのは自覚しているが、今回これ以外に方法がねえから仕方なくだな──」
「詩録くんはあれですか? 【ミステリー】以外にも【ラブコメ】の【ストーリーライン】でも持ってるんですか? それとも天然でやってるんですか、それ?」
「? 何言ってんだ? 【ストーリーライン】の複数所持──
心の底から何を言っているのかわからないという顔でそう言うあたりが本当に手に負えない。『探偵部』女子三人はそんな詩録の発言を受けて、処置なしと言いたげな表情でやれやれと首を振っていた。
「まあ、でもそんな詩録くんだからいいんでしょうね。……ねえ詩録くん。君は自分が思っているよりも周囲に影響を与えているし、君に救われている人、君のおかげで変われた人ないっぱいいます。だから自分にもっと自分がしてきたことに自信を持つべきです。私だって君に救われた──君に変わるきっかけをもらった一人なんですよ? 詩録くんが私をあの家から、あの窮屈な『私』から手を引いて出してくれたんです」
波瑠は今まで見たこともないような大人びた美しい笑みを詩録に向ける。智慧と凛は波瑠のそのセリフに深く頷いていた。
いつもからかってくる波瑠が、真剣にそう言ってくれるのに詩録は思わず頬が赤くなるのを自覚した。気まずくて視線を波瑠から外してしまう。
そして照れ隠し代わりに減らず軽口を叩く。
「んな褒めたってなんも出ねーぞ。つーか、なんの話だよ。な、何が言いてえんだよっ」
「ふふふ、わかりませんか?」
帰ってきたのはいつもの波瑠のニヤリとしたからかう色を含む笑みだった。彼女は自分のお弁当を机の上に置き、席からそっと立ち上がり詩録の側に歩み寄る。そして、彼の耳元にその艶やかな唇を近づけ、おまけに内緒話でもするように右手を彼の耳のあてる。
そして、脳を蕩かすような甘い声で囁くのだ。
「私たちをこんなにした責任、とってくださいね」
その甘美な声はひどく耳に残った。
* * *
そして迎えた『九回目』の七月四日。繰り返し日常、九周目の『今日』。
『ループ』回数二桁は目前。さすがにこれ以上は『校閲』のリスクがある。そう詩録は目の前の問題集を眺めながらそう思った。
この『ループ』、その朝の勉強会で有紗と交流を重ね、少しずつ会話が増えてきた。
今だって詩録は何度も有紗に質問され、彼女が悩んでいる問題の解法や解き方のコツを教えたりしていた。
昨日──『八回目』の『ループ』での昼休みでのことが思い出される。
詩録が保有している【ストーリーライン】は波瑠と出会う前──変質する前は、無尽蔵に事件を呼び寄せるという厄介極まりない性質を有していた。そして、それゆえ詩録はどこに行っても殺人事件を筆頭とする犯罪に出くわし、持ち前の推理力でそれらに事件をことごとく解決してきた。
波瑠たちは詩録のことを高く評価しているらしいが、そんなのは買い被りだ。自分はどこまで行っても『探偵』だ。できるのは何もかもが終わって、何もかもが手遅れになったあとで意気揚々と殺人現場に登場し、犯人を暴くことだけ。所詮はもうすでに終わったことを蒸し返すだけの邪魔者だ。
でも、だけど。
そんな自分でも、いつもハイエナのように事件に群がり犯人を暴くことしか能のない自分でも誰かを救えるにではないだろうかという幻想を抱いてここまで来た。
きっとこれは偽善以外の何物でもないけど、それでも最後まで突き通そう。
波瑠に『責任をとれ』と言われた。
ああ、全くその通りだ。
ここまで歩いてきたのは他ならない自分のはずだ。自分が最初に『刺激的な日常』を願い、その結果【ミステリー】の【ストーリーライン】なんてものを手に入れてしまった。それだって、自分ではどうしようもなくて結局波瑠に助けてもらった。そして長いこと『探偵』なんてした結果醸成された『人を助けたい』なんて思いで、いまだにこうやって【ストーリーライン】絡みの事件に関わり続けている。
ひどいマッチポンプだと思う。
ふと考えることがある。
放っておけば自然発生する【ストーリーライン】が、【ミステリー】に引き寄せられ詩録にもとに集まるのか。
それとも。
詩録の【ミステリー】の【ストーリーライン】が、周囲に【ストーリーライン】を発生させているのか。
きっとそういう思いも、贖罪の意味もあって自分は【ストーリーライン】の事件に関わり続けているのだ。
だから波瑠に言われた通り責任をとろう。
彼女がそう言ってくれた。彼女のおかげでそう思えるようになった。
きっとどこまで行ってもこれは醜い偽善だ。中途半端な代償行為だ。
だから責任をとろう。自分に関わる人を全て救いあげて責任を果たそう。
そういっそ清々しく開き直った少年は少女にに話しかけた。
「…………なあ、空乃有紗。お前の願いはなんだ?」
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