第三章 日常編⑥

 その日の朝、家達いえたち詩録しろくは強烈な衝撃が腹部に加わるのを感じて目を覚ました。


「あっはよー、お兄ちゃんっ! オラ、おっきろーっ!!」


「グフッッ!?」


 なんでかは知らないが、朝っぱらから姿ボブカット中学娘・家達いえたちまいが自分の腹の上に乗っていた。


 と、そこまで冷静に状況を判断し、詩録は既視感デジャヴを抱く。


 そして慌てて枕元のスマホで今日の日付を確認する。


 七月四日金曜日。


 そこにはそう表示されていた。


 


 詩録は思わず両手で自分の顔を覆いたくなったが、その前に確認しなければならないことがいくつかある。たとえそれが、現在の最悪な状況を浮き彫りにするものだったとしても、確認しないわけにはいかない。箱を開けずとも猫が死んでいることはわかっているが、それでも最悪げんじつを確定させる必要がある。


「なあ、舞。今日は何日だ?」


「? 何言ってんの、お兄ちゃん。さっき自分で確認してたじゃん、?」


 愛しの妹は兄を訝しげな目で見てくるがそんなことを気にしている余裕はない。これは


「舞、すまんがもう一つ聞かせてくれ。昨日お前、この家に来なかったよな?」


「本当に何言ってんの、お兄ちゃん。もしかしてついに頭おかしくなった?」


「いいから、答えてくれ」


「……なにさ、そんな怖い顔して。昨日はこの家に来なかったよ。今朝来たのが最初だよ?」


 これは本格的に頭を抱える事案らしい。


 詩録は天を仰ぎ、これからやるべきことをいくつか脳内で列挙する。そして、いつになく真剣な表情で舞に言う。


「すまねえ、舞。ちょっと、急いで学校に行かなきゃならなくなった。俺の分の朝飯はいいから」


 すると、妹はため息を一つ。そして呆れたと心配がない混ぜになった表情で


「……また、変なことに首突っ込む気?」


「…………」


「まあ、いいよ、言えないこともあるだろうからさあ。でもお兄ちゃん。舞はお兄ちゃんの妹で、お兄ちゃんのこといっつも心配してるんだよ? それは忘れないでね」


 舞には【ストーリーライン】のことを、詩録の【ミステリー】を含めて何も話していない。しかし、彼女なりに詩録がいつも厄介ごとに巻き込まれていることに気づき、そして心配しているのだろう。本当に申し訳ないと思う。


 だが、かといって【ストーリーライン】絡みの事件を放置するわけにもいかない。


 きっと舞も詩録のそんな性格をわかっているため、引き止めるようなことはしないのだろう。


「わかったよ、舞。危ないことはしないようにする」


「よろしい、ちゃんと元気に帰ってきてよ、お兄ちゃん」


 そう言い残し舞は詩録の部屋を後にする。


 しばらく舞が出た後の扉を見ていた詩録であったが、すぐに思考を切り替える。


 まずしなければならないのは、現状の把握と対応策の実行だ。


 枕元のスマホをパスコードを解除し、メッセージアプリを起動。そこから波瑠に電話をかける。相手はすぐに出た。電話はスピーカー設定にし、時間が惜しいため通話をしながら着替えを済ませることに。


『もしもし、詩録くん?』


「波瑠、ああ俺だ。……なあ、昨日の記憶はあるか?」


『あー、やっぱりその件? よね? ……昨日の記憶はあるよ、ショッピングモールでデートしたよね?』


「まだ確定は取れてないが、おそらくだな。……お前の記憶があるってことは、やっぱり俺が錯乱したんじゃなくて、【ストーリーライン】の影響か」


 詩録はワイシャツに袖を通しながら思案する。


 現在しなければならないことのうちの一つ、現状の把握。それはつまり、この『巻き戻り現象』あるいは『ループ現象』が本当に【ストーリーライン】によるものであるか、を確認するということとともに、もし本当に何者かに発現した【ストーリーライン】が原因であるのならば一体誰が保有者ホルダーであるか、というのを突き止めるということだ。


 現在の状況が【ストーリーライン】によるものだということはほぼほぼ確定している。


 なぜなら


 これが詩録一人だけ一度目の七月四日の記憶を保持しているのならば詩録の記憶か脳の状態を疑うべきだったが、波瑠まで七月四日の記憶があるのならば話が違ってくる。


 


 つまり、その事実と舞には一度目の七月四日の記憶がないにも関わらず詩録と波瑠という【ストーリーライン】保有者ホルダーが一度目の七月四日の記憶があるという状況を照らし合わせれば、この『ループ現象』が【ストーリーライン】によってなされているという可能性が非常に高くなる。


 さて、と詩録は制服のスラックスを履き終え、小さく呟く。


 【ストーリーライン】保有者ホルダーを突き止めるための方法はいくつか思い浮かんでいる。


 しかし、先ほどとの舞との約束。


 危ないことをしないと舞と約束したからにはあまりリスクの高い方法はとれない。となれば選べる手段はかなり限られてくる。


 そして、その中から今すぐ実行可能なものと条件をつければさらに限られてくる。


 高速で脳みそをぶん回し、その限られた選択肢を詩録は、ネクタイが結び終わるまでの短い時間で一つ一つ吟味していく。


 そうして、意識を思考の海に深く深く潜らせていた詩録に、スマホの向こうから心配そうな声がかけられた。


『大丈夫、詩録くん? 一人で背負わないでね。私にできることがあったら言って?』


「ありがとうな波瑠。じゃあ、お前に頼みたいことがある。……だがその前にお前に訊きたいことがある」


「???」


 電話の向こうで純白の少女がこてんと首を傾げている様子を思い浮かべ詩録は思わず苦笑する。


 そして、今後の行動を決めるために知る必要があることを波瑠に尋ねる。


「お前んとこのクラス、今日の五時限目に体育あるか?」


 * * *


 波瑠との通話を終えたのち、一応智慧と凛にも電話したが、どうやら彼女らも一度目の七月四日の記憶があり、今日が二度目の七月四日だということを確認している。そして通話を『探偵部』全員に連絡をとった詩録は慌ただしく家をあとにし、いつもより人通りと車通りが少ない道を息を切らしながら駆ける。


 そうして学校の到着したとき、詩録がスラックスからスマホを取り出して確認すれば、時刻は七時四〇分を少し回ったあたりだった。もう少し早く着けたのかもしれない。


「これなら準備に十分な時間がとれるな……」


 そう独り言を漏らしながら、詩録は靴を上履きに履き替え、玄関から足早に立ち去る。


 目指すべきは教室、ではない。


 目立たないようにをするには教室はあまり適していない。となると、向かうべきは『探偵部』の部室か。


 そう思い、詩録は「部室に忘れ物をした」とそれっぽい理由をでっち上げて職員室から部室の鍵を手に入れ、『探偵部』の部室に向かう。


 波瑠、智慧、凛にははさきの通話で、早めに登校して部室に来てほしいとは伝えてある。


「さて、始めるか」


 詩録は筆記用具と便を机の上に広げた。


 * * *


 あともう少しで八時という頃。


 波瑠、智慧、凛はほぼ同時に学校に到着し、そして自分の教室には寄らず部室へ直行した。


 部室の扉を開くと、そこには机に向き合い何かを一生懸命に描いている詩録の姿があった。


 探偵部ガールズが三人仲良く首を傾げる。そして三人で軽く視線を交わしたのち、波瑠が代表して詩録に尋ねた。


「あのー、詩録くん? 何をやっているんですか?」


 対して、あまりに書き物に集中していて、波瑠たちの来訪に気づいていなかった詩録は顔を机から上げる。


 そして、少し余裕のない表情で一言。


「ラブレターを書いてる」



 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る