第二章 ホラー編⑨

 「【ストーリーライン】の保有者ホルダーってのは、何かを悩み、苦しみ、願ったからこそ、その【ストーリーライン】を得るに至った。至ってしまった。だからこそ、その【ストーリーライン】の性質には、その人物の願望が大きく反映されている」


 それはまるで猿の手のようだなと、詩録は自分で言いながら自嘲してしまう。それは、決して真っ当には願いを叶えず、どこまで拡大解釈を繰り返し、果ては根底にある願いすらも大きく歪める。


 【ストーリーライン】。それは歪みきった願望の成れの果て。


 だが、いくら歪んでしまっても、それが願いであることには変わりない。それは、願いを叶えはするのだ。


「俺が保有する【ストーリーライン】は【ミステリー】。今は随分変質してしまっているが、本来は無尽蔵に事件、特に殺人事件を呼び込む性質を持っていた。こいつだって。元々は俺の『平和な日常に退屈している』っていう想いを汲みとって、組み込んで生まれたものだ」


 そう語る詩録の声は、贖罪にも似た響きを持っていた。いや、きっとそれは一種の懺悔なのだろう。


 それはきっと、誰もが一度は抱えたことがある想いだ。


 毎日変わらぬ日常を過ごし、毎日ほとんど同じルーティンで生活を繰り返し、いつしかその毎日に飽きる。レベル上げがただの作業と化すように。毎日の朝起きて、学校へ行き、勉強をして、家に帰り、寝るというのはただの何の面白みもない作業と化した。


 中学時代の詩録もそういった想いを抱いていた。そして、そんな日常が壊れて、刺激的な日々を送れないものかと願った。


 そして、その願いは【ストーリーライン】になるに至った。


 結果として、彼はいわば『探偵体質』とでもいうようなものを獲得し、無尽蔵に事件を呼び込むようになった。三歩歩けば事件に出くわす、そんな刺激に満ちた毎日が訪れた。


「バカな願いだった。毎日毎日俺の周りで人が死ぬ。俺のせいで事件が起きて人が死ぬ。それを見せられ続けて、俺は自分が願ったことの愚かさを知ったよ」


 詩録はもう戻れない。


 色々手を尽くしたが、どうやっても【ミステリー】の【ストーリーライン】を無力化することができなかった。結局、妥協案として【ミステリー】を変質させるということで落ち着いた。


「だけどさ、荊華。お前はまだ引き返せる」


「……でも、わたしは……」


 荊華はそう言って口籠る。確かに、悩みを、願いを言うというのは、自分の心の一番弱い部分、脆い部分を抉り取って、それを人に差し出すようなものだ。二つ返事でできるようなものではない。


 でも、詩録は諦めない。


 そんなことではこの男は引き下がりなどしない。


「……俺は『探偵』だから、出番があるのは事件がいつも事件が起きた後なんだよ。人が死んであとじゃなきゃ俺にできることはなかった。でも、今は違う。これから誰かが傷つこうとしていて、俺はそれを止められる立場にいる」


 なんだかんだ文句を言いつつも、『探偵部』なんてものをやっているのも、それが彼の行動原理だからだ。


 殺人事件が起きてから、ヒントをかき集め、証拠を積み上げ、犯人を暴き出すのではない。


 事件が起きる前に、致命的なことが起きる前に、事件そのものを食い止めることができる。


 それが彼にはたまらなく嬉しいのだ。


「だから荊華。俺が何とかするなんて偉そうなこと言ったけどさ。やっぱり違うや。────俺にお前を助けさせてくれ」


 そう言って詩録は、荊華に不器用に笑いかけた。


 * * *


 「……わたしは……。……わたしの願いは……」


 そうして少女は、おずおずと、勇気を振り絞り自分の気持ちを言葉にする。


 それは苦しい行為だ。自分の心の弱い部分、脆い部分、恥ずかしい部分を抉り出し、他人に差し出す行為だ。


 でも。それでも。


 知り合ったのは昨日だし。一緒にいた時間だって短いけど。


 それでも、この人たちなら、自分の願いを、悩みを受け入れてくれるかもしれない。


「…………わたしは、わたしは……。……わたしはずっと寂しかったっ」


 そう言う彼女の声は涙で濡れていた。目には涙が溜まり、前が見えない。先ほどとは違う違う理由で手が震える。


「……ず、ずっと寂しかった。友達が欲しかった。毎日、一日中誰とも学校で話さないなんて嫌だった。お昼ご飯だって一人じゃ味がしなかった。ま、毎朝の通学路がただただ苦痛だった。な、何度も道を引き返そうと思ったかわからない。……わ、わたしはずっと寂しかった。友達が欲しかった」


 何度も言葉は詰まり、声だって裏返ってしまった。


 それでも、今なら、今ならば、この胸にわだかまるこの感情を。腹の奥で蠢くこの重い澱を吐き出してもいいのかもしれない。


 そう思ったから、彼女はその小さな身体の中にあるを吐き出す。


 ずっと一人だった。


 荊華の生来の内気な性格と、そして自分に対する自信のなさが、彼女が踏み出すのを邪魔していた。


 だって、自分には何もない。


 特別顔がいいわけでも、スタイルがいいわけでも、頭がいいわけでも、運動神経がいいわけでもない。人に誇れる特技や趣味はないし、誰とでも仲良くできる社交性など持ち合わせがない。


 そんな自分が誰かと釣り合いが取れるなんて思ってみなかった。誰かと友達になれるような人間だと自分のことを思っていなかった。


 人は、特別な何かじゃなければ人から必要とされない。


 特別な何かを持っていなければ人と一緒にいられない。


 だから、何も持っていない自分は誰からも必要とされないし、誰かと一緒にいていい人間だと思っていなかった。


 でも、それでも。


 こんな自分でも受け入れてくれる人たちがいた。


 一緒にご飯を食べたり、お話ししたり、お泊まりをしたりしてくれる人たちがいた。


 それなら、もしかしたら。


 彼なら、彼女らならこんな自分を受け入れてくれるかもしれない。


 あの人と一緒にいた時間は短かったけど、でも今まで経験したことがないくらい楽しかった。そして、あの人たちも自分と一緒にいた時間を楽しいと思ってくれていたのなら嬉しい。


 だから、きっと、あの人たちならこんな自分でも受け入れてくれる。


「……みなしゃんっ、わ、わたしとっ、お友達に、なっってくだしゃいっ!」


 孤独も寂しさも劣等感も、全てをその声に乗せて彼女は叫んだ。


 そして、その慟哭を、詩録、凛、智慧、波瑠の四人は黙って聞いていた。


 荊華の胸の内にあるもの全てが吐き出されたとき、波瑠はそっと彼女に近づき、その細い身体を抱きしめた。


「……


 抱きしめてくれた純白の髪の少女はとても暖かった。


 その暖かさに触れて、自然と頬が緩む。


 そして、抱き合う二人から少し離れたところでは、目つきの悪い少年がどこか照れくさそうに荊華から視線を外しながら言う。


「……まあ、そこまで言うなら友達になってやってやらんこともない」


 短い付き合いだけど、それでも荊華にはそれが彼なりの精一杯だとわかった。たぶん、彼は自分の感情を表に出すことが苦手なのだ。ちょっと微笑ましくて、彼を見る彼女の視線が生ぬるいものになる。


「ふふふ。たっちーたら素直じゃないんだからー。ボクの方からもお願いしたいなっ。友達になろうぜ!」


「うん、あたしも荊華ちゃんとお友達になりたいっ!」


 ああ、そうか。こんな簡単なことだったのか。


 きっと、自分が一歩踏み出せば、相手も一歩踏み出せしてくれたのだ。


「お友達になったんだから、ボクたちも混ぜろー」


「そうだよ、あたしも入れてー」

 

 凛と智慧は、抱き合っている荊華と波瑠の元へ行き、自分たちもその輪に混ざる。


 その少女たちの様子を見て、詩録は思わず目を細めた。






 

 

 

 



 

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