楓子の日記
@J_Kawaraya
フルフラットの何が悪いのか、山内+1とディベートしてみた
フルフラットで誰でも通り抜けできる日常が続くことに対して異議を唱える山内よしえと榊原サエを向こうに回して、私はこれが良いのだと言い張ってみる。
そうなのだ。
私が生まれて16年間常に目指してきたのはこの日常なのだ。
フルフラット。
つまらないとかつまるとか、
色々な意見はあって良い。
しかし私はこれが良い。
これが良いのだ。
胸が高鳴る出来事はないかもしれない。
なぜならフルフラットだから。
特別嬉しいことなど起きないかもしれない。
なぜならフルフラットだから。
山内は最近彼氏ができて楽しいbumpyな日常を送っているのかもしれない。
サエはバイト先の先輩と仲良く大人な世界などを垣間見てbumpyかもしれない。
しかしだ。
そんなものはあと1ヶ月もすれば慣れてしまって、今は高低差のあるbumpでもフラットに近いbumpになるはずだ。
そんなものだろう。
16年しか生きていないので、そんなに自信はないが、だぶんそんなものに違いないのだ。
私はそういうのが嫌なのだ。
bumpyならずっとbumpyであれ。
その点、フルフラットはそれなりな努力をすれば長らくフラットのままであり続けるだろう。
いや、もしかしたらそれも思い込みなのかもしれない。
フラットもその内慣れてしまうとbumpyになるのかもしれない。
いやいや。
それはナチュラルな状態がフラットかbumpyかによるだろう。
考えるにフラットな状態がナチュラルと考えるのがナチュラルだ。
私はそう思う。
山内は言う。
「バカが考えるとロクなことにならないって親父が言ってた」
サエは遠くを見る。
「100年後、君の人生なんて誰も覚えちゃいないよ。フラットどころか、無だ。状態も何もない。圧倒的な無だ」
うん、そうか。
じゃあ今日の放課後、三人で街に繰り出そう。
そして二人は、思い切り街のbumpに躓きやがれ。
助けてなんかやるものか。
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