異世界で国際指名手配を受けまして

Theo

第1話 ムシャクシャしてやった

 カッとなってつい局部を握り取ってしまった。

 ここが現代であれば現行犯逮捕されるところであろうか──この世界の人間はグロテスクな描写に耐性が無いのか、はたまた王太子の局部を抉り取るなどといったエキセントリックな令嬢に免疫がないのか。皆一様に固まり、ポカンと口を開けたまま声一つ上げずに立ち尽くしている。

 一人、偶然近くにいた少女──王太子が鞍変えするつもりらしい女生徒のドレスに下半身から飛び散った鮮血が飛び散り、顔と胸元をまばらに赤く染めた。恐る恐る白く細い手を伸ばして自らの顔に触れる聖女は生温く、ぬめった感触にようやく口を開くとホールに響き渡るほどの悲鳴を上げた。金切声というものだ。

 さて、局部を握り取られた王太子は赤絨毯の上に黒い染みをどくどくと広げている真っ最中である。その震源は当然ながら去勢されたばかりの下半身である。まさか卒業記念パーティーの会場で服を破かれ、蹴りを入れられ、足払いをかけバランスを崩したところで……襟元を掴み、何度も床に(この時は絨毯から逸れたところで)叩きつけ、脳震盪を起こしている真っ最中の事であった。

 さて、この暴行事件の続きを書く前に。この主犯となる令嬢と王太子の去勢に至るまでの経緯を書き連ねていこうと思う。


 「転生者」は公爵令嬢カサンドラ・リールとして目覚めた。

 転生者は女性、齢は十六。前世の記憶はおぼろげながら自我だけはしっかりと握ったまま元々住んでいた世界とは異なる異世界の人間の身体で目覚めたのだ。

 明日、婚約者である人物から婚約破棄を受けて捨てられる運命などとは露知らず。自由に行動出来る時間まで過ごし……ふとした瞬間に自らが異世界であることに気が付いた。意志は己のまま、見知らぬ異世界人のプロフィールが頭に入っているような状態である。

 それからの適応力は目覚ましいものであった。カサンドラは自宅の書斎に向かうと一先ずこの世界の文明の程を確かめた──ファンタジー世界における中世らしい世界と言うべきか。この世界は所謂剣と魔法の世界といった概念が根付いていて、魔物などが存在している。

 自らが所属する一族がここまで成り上がってきたのもその魔力が所以であるようだった。王家はこの優れた血を求めたのだろう……名前も顔も知らないはずの「婚約者」の存在がカサンドラの脳裏に浮かんだ。これは元々この身体の持ち主が持っていた記憶だ。これのお陰でカサンドラがコミュニケーションの面で不自由することは無かったが、屋敷の人々は彼女の豹変ぶりに身震いをした。

 カサンドラは訓練などする娘ではなかったのである──異世界人が憑依したカサンドラ。明日の卒業記念パーティーの存在は知っていても、そんなものには何の関心も無かった。今のカサンドラの頭にあることは前世で叶えられなかった夢を叶えること。強いて言えば「生物の在るべき姿、常に進化し続ける正しい世界」に戻すこと。更に言えば社会構造を覆す、世界の法則を書き換えるほどの力を手にすること。

 ただそれだけである。恐らく前世ではこれを「失敗」したのであろう。

 ──なら、今生では!優れた血統の王太子と自らの遺伝子を混ぜ合わせて、最強の人間を作りましょう。そして国母として上に立った暁には生物が正しい生き方を出来るようその土壌を整えましょう!

 カサンドラは書斎を飛び出すと次は自らの魔力を確認する為に一人、屋敷の中庭へやってきた。そうして従者達に止められる深夜までひたすら訓練に明け暮れていたのである。


 このような人間であるから……否、婚約破棄の直接的な原因は本来のカサンドラの性格であった。彼女は学園に転校してきた平民の特待生を虐めていた。

 というのも──王族に負けず劣らずの特殊な魔力を持つという特待生は注目の的。父母を亡くし、一人で学園にやってきたという悲劇的なエピソード……そして可愛らしいルックス、誰にでも分け隔てなく接する彼女が人望を集めるのは必然であった。

 これがゲームや漫画であれば正にヒロインと言っていいポジションであろう。王太子もそんな彼女に惹かれたのだ。婚約者がいながら、彼女と過ごす時間の中で真実の愛というものを見つけたのかもしれない……これは本来の人物の憶測である。

 自分を避けて転校生とばかり過ごすようになった婚約者、然しながらそれを直接咎める事も出来ず転校生を虐めていたらかえって婚約者を遠ざける結果となってしまったということであった。

 婚約者から「卒業記念パーティーのエスコートは出来ない」と告げられていたらしい……が、本来の身体の持主の背景などどうでもいい転生者。いざとなれば籍を入れるだろう、一国の王子が軽々と婚約者を捨てる訳がない。

 そうして迎えた卒業記念パーティー──こうして呆気なく。カサンドラは転生一日で婚約破棄を突き付けられたのであった。同時に自分も知らない罪状……カサンドラが転校生を虐めていたことを暴露され、責められ、ざわつく会場。

 カサンドラの両の拳はミシミシと音を立てていた。

 

 ──時は戻り、現在。静まり返る王城ホール。

 カサンドラの靴の下で王太子の頭が揺れている。厳密には……踏みつけられ、それを払い除ける力も無くブツブツと何かを呻いているという惨状であった。抵抗するほどの力も無いが、可哀想な事に周囲の誰も助けてやらない。

 親衛隊?騎士団?名を何と言ったか……彼等は何をしているのだろうか。中にはそろそろと後退りをして背後の人間の靴を踏むような者も出てきたが、走って逃げようとするものはいないようだ。少し間を開けて甲高い悲鳴の波が起きた。転校生の悲鳴を皮切りに連鎖するようにして声が連なった。


「あ、貴女……何しているの!?」

「何ってコレ要らないでしょう。ついていなくても変わらないようなものじゃないですか。大体これいくつですか?ああ、こちらの世界の単位は……申し訳ございません、記憶が混濁しているのです。ああ、持ってみますか?」

「……い、……要らない!」

「子供とか作らないんですか?そもそも保存魔法とかあるんですかね?」


 王太子の代わりに声をかけたのは転校生であった──光の魔法の使い手と言ったか?男であれば子種が欲しかったが、生憎この娘と子供は作れない。

 カサンドラが真っ赤な右手で局部を差し出すと転校生はぶんぶんと激しく首を横に振り拒絶する。これから結婚しようと言うのであればもらってやるのが筋じゃないか?とは思って見たものの、拒絶されっぱなしである。

 貰ってやればいいのに……カサンドラは優れた者が複数の妻を持つことそれそのものは肯定していた。それこそが多様性だ。強者はそうでなくては!

 最悪、王子と局部が分離してしまっても転校生と自分がそれぞれ子供を作ればいい!とすら思っていたのに……やや残念といった面持ちで視線を彼女から足元へ移す。


「この男のことなのですけどね。もう要りませんので身体の方は貴女に差し上げます。正直局部が本体みたいなものでしょう?血だけじゃないですか。他に何があるのです」

「そういうことを言ってるんじゃないの!」

「では何です。ついている状態で結婚したかったのですか?それは……満足できないのでは?いやだって、見なさい。これを。私の握り拳を二つ……」


 転校生はようやく我に返ったように王太子の傍に腰を下ろすと周囲もぞろぞろと慌てた様子で傍に駆けつけてきた。回復魔法らしいものを急いで唱える参加客──最早手遅れなのでは?時が止まったようにして固まっていた会場が動き出す。

 当然の事ながらカサンドラを追う人間の姿もようやく表れた。剣や槍を持った騎士のような……まあ、この世界における戦闘に纏わる職業の人間であろう。

 転移魔法を使えるだろうか?会場に魔力を妨害する仕掛けは無いか?──事を起こした後で悪い予感は過ったものの、やってしまったものは仕方ない。

 これからどうなるかも分からないが……一先ずここで死ぬわけにはいかない。

 カサンドラは転移魔法を唱えると文字通りパッと会場から姿を切り抜くようにして姿を消した。

 この際カサンドラは右手に局部を握ったままであったが、これは後日転移先の村で出会った村民の手でミートパイの具になる運命である。

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