第8話 蜘蛛
「あはは、だよねー⋯⋯。いきなり薬指はやっぱり攻めすぎか⋯⋯」
俺の返答を受けて、名も知らぬ少女は腰を折ったままがっくりと肩を落とした。差し出していた手を引っ込めて指の
自分の薬指を渡す行為にタイミングも何もない。コイツは、間違いなくあちら側の人間だ。ベクトルこそ違えど、その
「⋯⋯お前、誰だ」
「えっ、去年も今年も
睨みつけるように正体を問いただすと、頭を上げた少女は苦笑いを返す。その表情からは少なからずショックを受けていることが窺えた。
しかし、同級生になど元々興味はなく、それに加えて今は周囲から避けられていて関わる機会などないのだ。クラスメイトの名前はおろか、顔さえもまともに把握していない。その必要性がない。
「でも、直接話すのは初めてだし自己紹介は必要だよね。
切り替えの早いタイプなのか、直ぐににっこりと笑顔を浮かべて右手を胸に当てながら、堂々と、朗々と、聞いてもいない自己紹介を行った。
突っ込みどころが多すぎて、何処から触れればいいのか分からない。一先ず、どうやら学校で俺に近づいた人に何かが起きるのは、この少女──蝶野の仕業であったことが推察できる。
能力が可視化される以前は『万能な能力』と捉えていた故に、漠然とアイツが何かしているのだろうと思って半ばスルーしていたが、その
蓋を開けてみれば、この
「何が目的だ」
折角目の前に姿を現してくれたのだからと、単刀直入に問いかける。
何故、近くに潜んでいたのか。何故、何もしてこなかったのか。
「目的、って言われても……。えっと、好きな人がいるじゃん? そしたら、四六時中その人が何をしてるのか知りたいじゃん? ずっと見てたいじゃん? で、アタシは姿を消せる。いくら近くに居てもバレない。近くにいればグッズ取集も
ストーカー。
蝶野の話を聞いて俺の頭に思い浮かんだのは、たった一つの言葉だった。
つまり、俺の傍にいることそのものが蝶野の目的だということか。
「身を隠すこと、それがお前の持っている能力なのか」
「んー、もっとすごいかな? んで、それは私の能力じゃなくって、この子の能力ね」
蝶野がそう言うなり、そのすぐ隣になにかが姿を現す。蝶野の時のように
──巨大な、蜘蛛。
その頭部は蝶野の腰の高さほどもあり、蝶野はペットに接するが如く表情を緩めて体毛の生えた頭部を撫で、蜘蛛はまるで気持ちよさそうに左右にゆらゆらを体を揺らしていた。
そして、頭部前面に配置された四つの眼が俺へ向けられ、反射的に後ろへ下がる。
「
姿かたちこそ、ハエトリグモのような
「だいじょーぶだって! そんな怖がらなくても! この子は臆病で優しい子なんだから。ほらー、
ペットに接するような優しい声色は変わらず、蝶野が再び頭を撫でると、口の前に生えた二本の触肢の片方を、まるで手を振るかのように持ち上げて、こちらへ向けて左右に振っていた。蝶野
少し体の力が抜けると、頬を汗がつたっていった。かなり緊張していたらしい。当たり前だ、俺の
こういった状況を考えると、学校とはいえアイツが俺から離れることに疑問を感じなくもないが、そのために
実際、ごく稀に仇討ちやら何処かの刺客やらが来ても、それはアイツに対して向けられるものだ。そして、それらは全て鎧袖一触で処理されている。その圧倒的強さが響いてか、当初こそ何度かあった襲撃も、最早数えるほどしかない。
つまり、俺の近く、それも物理的な意味で直ぐ傍にいて、尚且つ俺を目的としている蝶野は紛れもなくイレギュラーなのだろう。
しかし、アイツに感知されないのもそうだが、そもそも俺の家、それも部屋の中にまでどうやって入っているのか、そしてどうやって出ているのかが分からない。
姿や気配を消すだけで、出来るものなのだろうか。
「ふふん、この子のチカラ知りたいでしょー? あ、ちなみに名前は
そんな俺の考えを読んだかのように蝶野は不敵な笑みを浮かべた。
「この子が持っているのは、『
得意げに向けられたピースマーク。
「このチカラ、
ピースマークが消える。
いや、手だけではなく肩から先が丸ごとなくなっている。
「透明なまま触れたりー」
蝶野が二歩ほど前に出る。
左頬を、何かが撫でた。撫でるだけでなく
「逆に、見える状態で触れなかったりー」
再び右腕を可視化させた蝶野は俺の肩を叩こうとして、その手は何の感触もなく俺の体内へと吸い込まれた。視線を落とすと、右の手首から先が俺の心臓の辺りから生えている、というなかなか衝撃的な光景がそこにはあった。
「……このまま右手を実体化させたらどうなるんだ?」
「……え、なにそれ。発想がエグすぎ。やりたくない」
俺のちょっとした呟きに蝶野は右手を胸から急いで抜き、非難するような目を向けてきた。正直、
「あ、ちなみに今はユータの前でだけ実体化……というか姿を見せてる状態ね。だから
くすくすと、楽しそうに蝶野は笑みを漏らした。
「それがその蜘蛛の能力だとして、それを使役するのがお前の『異能』か?」
「その蜘蛛じゃなくて
こちらが一を聞けば、それ以上の情報が帰ってくる。情報過多ではあるが、蝶野の使う『隠形』が有用な能力であるのは確かだ。
何よりも、その存在をアイツが感知していないというのが大きい。蝶野の言葉を信じるなら、例え感知しても消えさえすれば攻撃も通じない。攻撃性こそないが、防御性能、回避性能は一級品といえるだろう。
そんなことを考えながら視線を向けると、
「蜘蛛の使役が異能でないなら、蝶野個人の異能はなんなんだ?」
「んー、それは秘密! その方がミステリアスでしょ!」
そう言って、横に傾けたピースマークを目に当てる。自身の能力の開示はしない、隠形については細かく話した故に一切の情報を開示しないことには違和感を覚える。
だが、そこは敢えて追求しなかった。
蝶野の、正しくは蜘蛛の能力は絶対的なアドバンテージになる。
蝶野が本気で俺の事を好きなのかは、まだ分からない。けれど、俺は妹を殺すためならなんだってする。なんだって利用する。
「付き合うのは無理だけど、まずは友達から、ってことでどうだ?」
俺は蝶野に向けて片手を差し出す。
「えっ、いいの! マジ!? やったー!! これから宜しくね、ユータ!!」
蝶野は俺の手と顔に何度も忙しなく視線を移動させてから、キラキラと目を輝かせて両手で俺の手を包んで、その場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。跳ねる度に肩までの長さのポニーテールがまるで犬の尾のように揺れた。
対する俺の笑みは、何処までも歪んでいた。
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