神の愛した歌声はひんやりスイーツがお好き ~不思議なお屋敷の主は歌えなくなった稀代の歌手でした~

丹空 舞(にくう まい)

第1話 娘、フラン

戦争は、昨日終わった。


王様が領地を増やそうと攻め入った争いは、その王様本人が寝返った自国の家臣に滅ぼされて終わったらしい。


その決め手となった生物兵器の黒竜は、全てを破壊して、先代王の派閥を降伏させたのだ。


どうして同じ国なのに、滅ぼし合うのだろう。


そんな王族や貴族たちの事情なんて、平民のフランたちにはあまり関係がない。重要なことは、両親が亡くなってから一人で育ててきたフランの畑と自宅兼食堂が、戦争の炎で全滅してしまったことだけだった。


ひしゃげたフライパンと、焼け焦げた物の残り滓を見ながらフランは絶望した。隣街に買い出しに行っている間に、こんなことになっていようとは。


(ようやく自力で生きていけるようになったと思ったのに……)


焼き払われてしまった街の一帯を眺めて、フランは呆然とした。

国同士の争いのとばっちりを受けるのはもうこりごりだ。


ここで商売を再開したって、いつ兵隊に店を取り上げられるか分からない。

太陽は西に傾き始めて、街の人間は暗い顔で荷物を持って右往左往していた。

大人も子どもも、みんなどこかへ旅立つのだろう。

こんな瓦礫と炭の塊のような場所では、何もできない。


自分も動き出さなければ。

ゼガルドの憲兵の姿が遠くに見えた。

敵か味方かは分からない。


フランは十九歳だが、やせぎすの体と大きな瞳の童顔が相まって、十五くらいに見える。


捕まったら、孤児院に送られるか。

もしくは運が悪ければ、もっと嫌な目にあうかもしれない。


喉が渇いて仕方が無かった。

フランはくるりときびすを返して、駆けだした。


(捕まってたまるか!)


たどり着いたのは、鬱蒼とした森だった。

越えてきた山とは反対側に獣道がある。


立て札もないが、フランも街の皆も知っていた。

ここから先はラソという中立国に繋がっているらしい。


しかし、誰も歩きたがらないのは、ここが樹海と呼ばれる忌み嫌われた森だからだ。何でも、エルフの呪いがかかっていて、歩き出すといつしか、自分がどこにいるのか分からなくなるのだそうだ。

魔物もたくさん生息していて、中には人間の死体もあるらしい。

フランはぶるりと体を震わせた。


(でも――ここなら、女一人でも見つからない)


町中でフランのような女が泊まるところもなく、ふらふらしていれば、拐かしにあうのが世の常だ。


魔物にさえ気を付ければいい。


ちょうど、護身用の短剣も持っているし、ほんの少しなら魔法だって使える。


山越えをして隣町に行った帰りなので、フランは少しばかりの旅支度と、最低限の貴重品、そして、買い付けた食料を布の鞄にたくさん入れて背負っていた。


不幸中の幸いというやつだろうか。


フランは首から提げているガラス玉のネックレスに魔力を込めた。


まあるく、ぽうっと温かい光がともる。

これで足下も見える。


(真っ直ぐ……真っ直ぐいけばいいや)


フランは昼間でも薄暗い樹海を歩き始めた。


道がないかと思っていたけれど、人が一人通れそうなくらいの細い小道がある。どうにか一夜過ごせば、樹海を抜けられるだろう。


ラソという中立国はエルフの国だ。

長寿で魔力も人間の比ではないエルフは平和主義者で、人間たちの諍いとは距離を置き、独自の文化を持っているという。


中立国なので、自国を防衛する以外の戦争への参加はしないというきっぱりした意志をもっている国だ。


ラソに亡命した人間の話は聞いたことがないが、フランは希望を持っていた。この樹海さえ抜ければ、ラソに着くはずだ。


フランはもう、戦ばかりのこの国を飛び出したかった。


(エルフは人間嫌いだっていうけど……本当かな)


フランは、母親の形見の品である小さなガラスのペンダントを握りしめた。

それはぽうっと光って道を照らす。

高価なものではないけれど、フランをいつも勇気づけてくれる大切なお守りだ。


さくさくと、木の葉を踏みながら、フランは樹海を歩いて行った。

緑と木々の匂いが強くなる。


(こんなに日陰でも……花が咲くんだな)


小さく白い花が、ぽちりと咲いているのをフランは見た。

愛らしい健気な姿に勇気づけられる。


切り株に座って、フランがクッキーを食べていると、ガサリッと茂みから音がした。


慌てて後ろを振り返ると、ネズミだった。


「なあんだ……あなただったのか」


ネズミはチッと言って、素速く逃げていく。

また、茂みがガサリといった。


「もう一匹? ……ん? んんん?」


現れた生き物を見て、フランは驚いた。


「フクロウ……?」

「ホゥ」


白樺の木のような色合いの、ほわほわした毛の塊が愛らしく鳴いた。


可愛いのだが、その猛禽類のクチバシには先ほどのネズミが咥えられていた。


「ああ……さっきの」


貴族のお嬢様なら悲鳴をあげるところだが、フランは生粋の平民だ。


しかも数年間は、小さい店とはいえ、一人で街の食堂を切り盛りしてきたのだ。

ネズミだのコオロギだのを見たことがないわけではない。


仕事に差し障るので駆除しなければならないという種類の厄介さは感じるものの、怖いとか恐ろしいだとは思わなかった。


フランは灰色のフクロウに語りかけた。


「あなたもしっかり生きてるんだねぇ」


フランは、先ほどまで動いていたネズミを捕食するフクロウを眺めながら、もぐもぐとクッキーを食べた。


気持ち悪さは感じない。


それよりも、単純に自分で命を狩って食べている目の前の鳥の生命力に、元気づけられる気分だった。


「あたしも頑張ってエルフの国に行かなきゃ。できることを探して生きていく。もう争いばっかりのゼガルドで暮らすのは……嫌になっちゃった」

「ホー」

「はは、言葉が分かってるみたい。賢いんだね、あなたは。あたしは賢くないけど、料理だけは上手なんだ。探せばどうにか仕事が見つかると思うんだ」


フランはフクロウに話しかけながら思った。


人間はどうして食べないのに人間を殺すのだろう。

フクロウとネズミくらい単純な、これくらいの関係ならば理解もできるのに。


フランはクッキーを食べ終わって、袋をかついだ。


「さ、行こう。じゃあね、元気なフクロウさん」

「ホウッ」


その時、不思議なことが起こった。


獲物を食べ終わったフクロウが、ぴょこんとフランの前に飛び出したのだった。

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