第一章

異質の邂逅 一-①


「おいおい、困るぜお客さん!」


 表の方からそんな店主のだみ声が聞こえ、ネイサンはペンを走らせる手を止めて顔をあげた。廊下を隔てているとはいえ店先からほとんど離れていないこの部屋には、表の声が簡単に届く。しかしお世辞にも穏やかとは言えない店主の声に反応したのはネイサンだけで、同じ空間にいる同僚たちは誰も店先を気にしていなかった。

 俯き気味にじっとして『待機』している彼らを見て、嫌な空間だな、とひとり胸の内で呟く。ここの同僚たちが溌溂はつらつとしているところを、ネイサンはこの一年で一度も見たことが無かった。

 ネイサンと同い年くらいのガラ族の少年、一回りは上に見えるヒューメニアンの女性、逆にかなり年下に見える猫のような顔をした男の子に、目が見えているのか怪しいぼんやりした鹿耳の老人。ネイサンの同僚は多種多様で、しかしその一方で嫌な共通項がある。それは、この店で働いていることと――――この街の最底辺に属する存在であることだ。


「勘弁してくれよ。いくらバロールのお気に入りでも、そんな無茶な要求飲んでたら商売あがったりだ」


 相変わらず、表では店主が不機嫌そうにしている。ネイサンは、厄介そうな客だな、と思ってから、いやそんなの当たり前か、と思い直した。『厄介』な人間なんて、この街にはゴマンといる。ネイサンが今いる場所は、だった。

 今回は誰が苦労することになるのか。押し黙っている集団をちらりと一瞥してから、ネイサンは手元に視線を戻した。交渉は難航しているようだからもしかしたら誰も『借り』られずに済むかもしれないが、確信はできない。そのことはみんなわかっているようで、同僚たちの間の空気は冷たいままだった。

 ネイサンはまだ幸運な方だった。字が書けるし計算もできる。たったそれだけで変わる世界があることを、ネイサンはこの星に来て初めて知った。――――それ以上の『力』があれば、そもそもこんな場所に連れて来られることもなかったのだけれど。

 店先ではまだ、苛立たしげな店主のだみ声が響いている。この調子だと、カウンターは店主のナメクジのような頭部から出たイラ立ち汁まみれになってそうだな、とネイサンは溜め息を吐いた。面倒な客を相手にして店先を汚した店主の尻ぬぐいをさせられるのはいつも自分だ。他の人間にやらせることだってできるのにそうしないので、恐らく自分は嫌われているのだろうな、とネイサンは思っている。


「後払いだぁ? おいおい、この街は初めてかよ。そんなヨソのやり方がウチに通用すると思わないで欲しいね!」


 バン、とカウンターを叩く音と共にそんな台詞が聞こえた。これはいよいよ、決裂しそうだ。少し肩の力が抜けたネイサンは、耳を澄まさなくても聞こえる店主の声に対し、客の返答はこちらには届いてきていないことに気付いた。血の気が多く短気な人間が多いこの街の客にしては珍しい。どちらかが声を荒げれば、もう片方もそれに対抗して声が大きくなるのがこの街・スフィリスの常識だ。客はもしかしたら別の星の人間なのかも知れない、とネイサンは僅かに興味が湧くのを感じた。

 この街に別の星の人間が来ることは珍しくないらしいが、ネイサンはあまり見たことがなかった。いや、正確に言うならば、見たことはあるだろうがネイサンがそう認識できたことがない、の方が正しいか。なにせこの街は元からいろんな人種がおり、そして地元民だろうが訪問者だろうが皆一様に荒っぽいアウトローなものだから、ほとんど一つの種族だけで成り立っていた街出身のネイサンには見分けがつかないのだ。

 だと言うのに何故自分は今こんなところにいるのか。懐かしく恋しい故郷を不意に思い出してしまい、思っても詮無いことを思って溜め息を吐いたネイサンは、次の瞬間己の耳に届いた一声に飛び上がった。


「ネイサン! 来い!」

「はいっ!?」


 イラ立ち混じりの鋭い呼び声に、ネイサンは飛び上がった。交渉は決裂したと思っていたのにそうではなく、しかもよりによって他の誰でもない自分が指名されてしまったらしい。ネイサンは思わず同僚たちを見る。何名かがこちらを見ていて、そしてふい、と目を逸らした。同僚とはいっても、彼らは別に仲間ではない。どちらかと言えば仕事を奪い合う敵だったし、字が書けるが故に店の経理などの特殊な仕事も任されがちなネイサンは特に目障りに思われていた。


「おいクソガキ、聞いてんのか! さっさと来い!」


 飛び上がったまま動いていなかったネイサンを再度呼ばう声がする。その怒鳴り声に反射的に冷や汗が出るのを感じながら、ネイサンは慌てて部屋の外へ向かった。

 スフィリス1の『奴隷派遣屋』――他には無い人間を貸し出すことをウリに競合を退けてきた最大手の長を務める男は、客に貸し出す『商品』であるネイサンたち奴隷に対しても容赦がない。この星に連れて来られてはや一年。この世界になかなか馴染めなかったネイサンは特に、彼の鞭を散々受けてきた。今ネイサンを動かしているのは、その痛みへの本能的恐怖のみだ。

 ほとんど小走りになりながら廊下を過ぎ、店先へ続く出入り口をくぐる。他にも何人も『待機』がいた中でなぜ自分が呼ばれたかなんてことは、今のネイサンの頭にはなかった。これ以上店主を怒らせまいという一心で表へ出たネイサンは、しかし顔をあげた先にあった光景に思わず足を止めた。

 『客』はとても小柄だった。2メートルを優に超える身長を誇るナメクジ人間の店主と並ぶとほとんど幼児のようだ。店主に合わせて作られたカウンターから、ほとんど顔が出ていない。


 こんな子どもが、あの強情で金に汚い店主を根負けさせたのか?


 呆気に取られたネイサンが思ったのはまずそれだった。薄汚れたマントを纏い、フードを被ったその客の外見はほとんどわからなかったが、一見した印象で言えば自分と同じヒューメニアンの子どものように見えた。

 子どもがひとりで、しかも客としてこんな店に来るなんて。その不自然さに驚きと違和感を抱いたネイサンは、しかしフードの隙間から己を見るその瞳に考えていたことすべてをかき消された。

 顔を隠すフードの影の向こうで酷く印象的に煌めくその金色の瞳は、恐ろしいほどまっすぐネイサンを見ていた。すべてが薄汚いこの街では場違いに思えるほど曇りのない輝きが、ネイサンの脳裏にある光景を描かせる。この世界のどの宝石よりも美しいと言われる『金色の瞳』。すべてを魅せるそれを持つのは、世界で唯一――


「お前」

「――!」


 どっと体中から汗が噴き出すのを感じた。一度荒く呼吸をして、ネイサンは自分が緊張していたことに気付く。そんな彼に構った様子なく、いつの間にか近くに来ていた声の主はネイサンの正面から彼をまっすぐ見上げた。


「船、動かせる?」


 場違いなほど素朴な響きで言われたその問いに、ネイサンは先ほどとは別の意味で呆気に取られた。驚きのあまり返答の遅れた彼に代わり、店主が抗議の声をあげる。


「ちゃんと注文通り、宇宙船スペースシップの操縦士だ! ウチで一番の腕の持ち主なんだから感謝してくれよ」


 その言葉に、一番も何も、ウチで船を動かせるのは僕だけじゃなかったっけ、とネイサンは内心でツッコミを入れた。いかに世界が開かれて久しく宇宙船の星間飛行が当たり前となった今と言えど、操船技術は文字の読み書きよりももっと稀有な能力だ。ネイサンが把握している限り、この店でその術を持っているのは彼だけだった。

 わざわざ自分が呼ばれた理由を察しながら、ネイサンは改めて目の前の――正確には目の前よりちょっと下の客の顔を見た。こうして改めて見ると本当に小さい。ネイサンの胸元に相手の頭頂部が来るくらいの高さで、視線を合わせようとすると互いに首が痛くなりそうだった。


「あの……船に乗りたいの?」

「そう。どんな船でも動かせる?」

「どんなでもって言われると、ちょっと自信ないけど……。まぁ、よっぽど特殊なやつじゃない限りは、大丈夫だとはおも……います」


 しまった、相手は客だった。諸々の衝撃で素が出てしまっていることに気付き、ネイサンは慌てて口調を直した。この街の人間はネイサンの常識で測れない者ばかりで、どこで機嫌を損ねるかもわからない。丁寧に喋っても怒る者は怒るが、それでもへりくだっておく方がトラブルになりにくい、というのがネイサンがこの一年で得た教訓の一つだった。生き延びたければトラブルは起こすべからず。それが、力なき者なりにネイサンが得た処世術のひとつだった。

 どう見ても年下で力も無さそうな相手に怯えている自分を滑稽に感じなくもないが、生き残るためなら仕方ない。そんなネイサンの内心を知る由もない相手は、店主を振り返って「彼、借りてくよ」と声をかけた。どうやら、ネイサンはこの客のお眼鏡に叶ったらしい。


「期間は無期限で、後払いね」


 その言葉に店主は形容しがたいうなり声をあげてから、渋々頷いた。


「毎度あり。くそ、あんたがブラッディビーじゃなきゃ上に抗議してるところだ」

「そう」

「だが踏み倒しは認めねぇからな。きっちり払えなきゃ、あんたもバロールのおもちゃ行きだぜ!」

「そうならないことを願うよ」


 この星で後払いが成立するなんて。彼らの会話を聞きながら、ネイサンは純粋に驚いた。あの店主が後払いなんていう信用前提の取引に頷くとは思わなかった。いったいどんな手段で説得したのか。

 もしかしたら今回の客は、この腐った街の連中とは違うまともな人間なのかも知れない。そんなことをぼんやり思っていたネイサンは、自分の雇い主となった客が何も言わず外に出ていこうとしていることに気付かなかった。

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