第2話
私とクリスティーナが十八になった時、新しい聖女が召喚された。長野美穂と名乗った彼女は女子高生だった。私たちと違って年齢も変わらずこの世界に来たらしい。クリスティーナは聖女としての力をほとんど失っていた。神官がそのことに気付いたのだ。この国は私も同様だろうと結論付けて新たな聖女を召喚したのだ。聖女はいるだけでこの国に豊穣をもたらす存在だ。私の知る限りではこの国の作物の収穫量は私とクリスティーナが召喚されてからずっと横ばいのはずなのだが。それでも新たな聖女を召喚したのは収穫量が落ちるのを恐れてだろう。
私とクリスティーナは聖女だった。新しい聖女が来てもそのことは変わらなかった。しかし周囲の反応は変わった。特に王家だ。新しい聖女を持て囃したのだ。それまで親しくしていた王子までクリスティーナは美穂に取られてしまった。クリスティーナは嘆いた。それはそれは嘆いた。けれど今までだったら彼女を慰めていたであろう人たちは皆美穂のところに行ってしまった。クリスティーナの元に残ったのは私の婚約者のサミュエルだけだった。そしてクリスティーナは私のところに来たのだ。
私は乙女ゲームが始まったことに慄いた。なにもしていなくても悪役令嬢として断罪される小説を元の世界で山ほど読んだからだ。こういう時はだいたいヒロインにもゲームの知識があるというのが相場だ。どこから流れ弾に当たるか分からない。恐ろしい。たしか聖女として召喚されたヒロインを妬んで虐めるのがゲームのクリスティーナとマチルダの役所で、二人とも婚約破棄されて放逐されるんだっけ? ラストシーンはもちろんヒロインと攻略対象の結婚だ。ちなみにマチルダは公爵家嫡男ルートの悪役だがクリスティーナの友人な為王子ルートでも出てくる。とりあえず私もクリスティーナも命の危険がなくてよかった。まあ、放逐されたら蝶よ花よと育てられたクリスティーナとマチルダはそれはもう大変なんでしょうけど。
けれど私には元の世界にいた頃の記憶がある。婚約破棄されても別にいいのでは? だってサミュエルのことなんとも思ってないし。とも思った。婚約破棄はされてもいい。じゃあ流れに身を任せようかとも思ったがやっぱり放逐は避けたい。私とクリスティーナはこの世界に攫われてきた被害者なのだ。王家は責任を持って私達の面倒を見るべきだと思う。あとクリスティーナは王子のことが好きなのだから婚約破棄されたら可哀想だ。どうにか悪役令嬢役は回避したい。
「クリスティーナ、あなたと殿下は婚約しているのよ。大丈夫だって」
「でも最近のオーガスト様はミホに付きっきりだわ」
「そうね、それはおかしいわ。でもあなたは婚約者なのよ。堂々としなくちゃ。ああ、私の婚約者なのだから節度を持って接してほしいと頼んでみたら? 美穂だってそれを理解するくらいの頭はあるでしょうよ」
「そうよね。そのくらい理解してもらえるわよね」
美穂とはほとんど話したことはなかったし、私は私と一緒に召喚されてきたクリスティーナを贔屓していた。それからも何度もクリスティーナの話に付き合った。一度美穂に文句というか正当な婚約者の友人として一言言ってやろうと思ったのだが面会は拒否された。
私という話し相手がいたからだろう。彼女はゲームのクリスティーナと違い美穂を虐めなかった。もちろん、王子の婚約者として正当な主張はしていたが。そんな感じで私とクリスティーナは悪役令嬢役を回避していた。
だというのに、クリスティーナは婚約を破棄されてしまった。パーティーの最中、美穂をエスコートした王子に「お前のような偽りの聖女とは一緒になれない」と言われて。私はその発言を腹に据えかねた。
「いつ、私やクリスティーナが聖女だと名乗ったんですか? この国の人間が勝手にそう呼んだんでしょう? せめて聖女だと勘違いして攫ってきて申し訳なかったと詫びるべきでしょう。土下座してくれたら許すかどうか考えてあげてもいいですよ」
場の空気が凍った。王子はいい反論が思いつかないのか口をパクパクとさせている。
「マチルダ……」
涙声でクリスティーナは私を呼んだ。座り込んだクリスティーナを立たせてハンカチを押し付けた。
「ああ、美穂。あなたもクリスティーナみたいに捨てられないといいわね。同郷の誼でせいぜい祈ってあげるわ。私たち、本当は栗田あまねと町田和美って言うのよ? あなたは知らなかっただろうけど」
にっこり、できるだけ綺麗に微笑めば美穂の顔色が悪くなった。さあ、終わった。クリスティーナを連れて帰ろうと思ったら思わぬところから被弾した。私も婚約破棄されたのである。
「お前のような傲慢な女にはうんざりだ! 婚約を破棄する!」
「その婚約破棄、王太子であるこの僕が認めよう!」
おかしい。王子ルートなのに私まで婚約破棄されてしまった。放逐されたクリスティーナを侍女として雇うつもりだったのに。どうしよう。
「偽りの聖女どもめ。お前たちの罪に似合いの罰を与えてやる。二人とも聖女の称号を剥奪して追放だ! すぐにこの城を出ていくがいい。王家が提供してきた財産はなに一つ持って行かせないぞ」
王子のドヤ顔にイラッとした。
「ああ、でも、そうだな。猶予を与えてやってもいい。もしお前たちにこの場で婚約を申し込む者がいれば嫁入りまでは面倒を見てやる」
ニヤニヤしながら言うのだから彼はなかなかのゲスのようだ。クリスティーナ、捨てられてよかったんじゃない?
「クリスティーナ、私と婚約してほしい」
そう言って跪いたのはサミュエルだ。見直した。クリスティーナはびっくりして私を見ている。
「いいんじゃない? 彼、ずっとあなたのことが好きだったのよ」
「でも、マチルダの婚約者だわ」
「元婚約者よ。私はあなたたちお似合いだと思うけど」
そう言えばクリスティーナはサミュエルの手を取った。これは本心だった。クリスティーナはどこか世間知らずで頼りないところがあって、やんちゃ坊主だがしっかり者のサミュエルとなら上手くいくだろう。正直短絡的なところのある王子よりサミュエルの方が合うだろうと前から思っていたのだ。
王子は一連のやり取りを呆然と見ていたが正気に戻ったようで私に勝ち誇った笑みを向けてきた。
さて、問題は私だ。まあ、クリスティーナと違って日本にいた頃の記憶もバッチリあるしなんとかなるだろう。というかクリスティーナに雇ってもらえばいいのでは? などと考えていたら声をかけられた。
「マチルダ様。あなたを娶れるだけの立場を手に入れてきました」
「将軍!?」
王子が目を白黒させている。
「オスカー、私はもう聖女じゃないわ。あなたの身分に私が釣り合わなくなっちゃった」
「そんなものを俺が欲するとでも?」
「ううん、思わない。オスカーは私のことを普通の子供として接してくれたから。だから私、あなたと結婚したかった」
「先ほど婚約破棄されたことだし今のマチルダ様はフリーだ。あなたが頷いてさえくれれば俺はあなたと一緒になれる」
「オスカー、私をあなたの奥さんにして」
「喜んで」
そう言って笑うのだから私も笑みを浮かべた。
「では殿下、失礼いたします。行きましょう、クリスティーナ」
ツンとすまし顔を作ってクリスティーナと歩いた。
誰もが私たちに注目していたが、そんなことは気にならなかった。
部屋に戻った私を訪ねてきたのはオスカーだった。ポーラはオスカーを部屋に入れていいものか悩んだようだが私が許可を出した。
「オスカー、さっきは助かったわ。危うく着の身着のまま追い出されるところだった」
「俺としてはこのままあなたを連れ帰りたいんですがね」
「そうね、あの王子のすることだから気が変わったとか言って追い出されるかも」
「そもそもカズミ様とクリスティーナ様の婚約破棄を陛下が認めているのかって問題があるんですよ。新たな聖女が召喚されたとはいえそう簡単に王家が聖女を手放すとは思えません」
「確かに陛下方は留守にしていらっしゃるけど、そんなことあるのかしら?」
今、この国の王と王妃は視察に出かけている。このところ軽んじられているとはいえ仮にも私たちは聖女だ。さすがに王子の一存では婚約破棄も追放もできないだろう。
「あり得るから言ってるんです。俺と結婚する気があるなら一緒に来てくれませんか」
「うん、私オスカーに着いていく。ポーラ、今までありがとう」
その日のうちにオスカーの元へ行こうとしたが思わぬ邪魔が入った。王子だ。王家の提供した財産はなに一つ持ち出させないと言ってきたのだ。彼の言う財産にはドレスも含まれていたらしい。着の身着のままどころか全裸で追い出すつもりだったようだ。ストッキングの一枚も持ち出させないぞと言われて私はちょっと引いた。オスカーはドン引きしていた。
オスカーは翌日私の着る物を用意して城へとやってきた。今度こそ私は城を後にした。
そこからは大急ぎでことを推し進めた。既製品のドレスのサイズ直しを超特急でやってもらって三日後には結婚式を終えていた。王と王妃が城へと戻ってくるのは明日だ。それまでにことを終える必要があった。聞けばサミュエルも同じことをしていたらしい。しっかりしてるわ。あの子にならクリスティーナを任せられると安堵して、現実逃避をしていた私は現実に戻ってきた。今私は夫婦の寝室でオスカーの訪れを待っている。ノックの音が聞こえて一度深呼吸をしてから返事をした。そして私は入ってきた男に問いかける。
「ねえ、オスカー。あなた、私でよかったの?」
「あなたが、結婚するなら俺がいいと言った時、嬉しいとそう思ったんです」
「無理だって、そう言っていたじゃない」
「あの頃は到底無理でした。けれどそれが可能になる立場を手に入れて、あなたが婚約を破棄されたものだから、欲しくなってしまったんです」
「オスカー、あなたロリコンだったの?」
「まさか、カズミ様、あなただけです。俺が不埒な思いを抱く少女は」
「少女だなんて言わないで、もう成人してるのよ。あなたと同じ大人だわ」
「失礼しました」
悪びれる様子もなくオスカーはそう言って私に口付けた。
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