第9話 銭湯と代役
急いで言い訳をしようとする前に、奏が声を震わせる。
「ま、まさか、君には他者へ下着を見せたがる変態趣味があったのか? それとも、女性に頬を引っ叩かれたい願望でもあるのか?」
「ど、どちらもないです! こ、これは二階で自分の服を整理してて……と、とにかく姉妹は二階にいますので!」
別に下着を見られたくらいでどうということはないのだが、相手の反応もあっていつになく透も慌てた。
それゆえに居間で飲み物を出して待たせるのではなく、散らかっている二階に上げてしまったのである。
「あれ? お兄ちゃんといっしょにおしごとしてたお姉ちゃんだー」
子供らしい愛くるしさを前面に押し出した笑みを見せる奈流。
しかし、その両手は面白そうに透のボクサーパンツを左右に引っ張って遊んでいた。
「き、君は幼女に何をさせているんだ!」
おもいきり平手打ちをされ、大量の下着ごと透は階下へと追い出された。
転がり落ちるように一階へ移動した透は、ジンジンする頬を撫でさすりながらハンガーラックの隣にある扉付きのカラーボックスに下着を収納していく。
こちらも生前の父親が使っていたもので、中身は葬儀後にすべて捨てたが、こうした道具はたいして邪魔になっていなかったのでなんとなく残しておいた。
それが今になって役立つのだから不思議なものだ。
「やれやれ。別に俺が触らせたわけじゃないのに」
パンツ類が終わればあとは見られて困るものもない。
そう考えて透は二階に戻る。
「君か。姉妹の片づけは大体終わったぞ。まだ荷物も少ないから、さほど大変ではなかったな。あぶれた君の衣類はそこに並べておいた」
驚くべき手際の良さだった。
二十五歳で主任になっている通り仕事はできるのだが、家事も同様に能力を発揮できるとは予想外だった。
「ありがとうございます。主任って家庭的な一面もあったんですね」
「なっ! わ、私が家庭的なのではなく、君がだらしなさすぎるだけだ。衣類の折り畳み方もなってなかったぞ。あれでは姉妹の模範となるなど不可能だ」
売り場同様に怒られる透を見て、何故か里奈がごめんなさいと奏に謝罪した。
「きっと私たちが突然押し掛けたせいで、十分に整理整頓する時間がなかったんです。これからはお兄ちゃんの手伝いをするので大丈夫です」
「……君は確か八歳だと聞いているが、その申告に嘘偽りはないのか?」
言葉遣いが小学生場慣れする里奈と会話すれば、大人なら誰であろうとも同様の印象を持つ。
「その質問はお兄ちゃんにもされましたけど、どういう意味なんですか? やはり私の出自に秘密があるのでしょうか」
「それは私にはわかりかねるが……」
言いながら奏は透を見る。
「君が何か変な薬を飲ませたとかではないんだな?」
頷く透を見て、なるほどと奏は微かに笑った。明らかに子供らしくない里奈に戸惑っている。
「母から長女はしっかり者だと聞いていたが、これほどだとは思わなかった。これなら立花君に頼らなくとも、母方の親戚と十分に上手くやっていけたのではないか? もしくは姉妹一緒に過ごせるであろう施設でもな」
歯に衣着せぬ性格とはいえ、あまりにもストレートすぎる。ただでさえ姉妹は母親を亡くして十日も経っていないのだ。
反射的に姉妹の味方をしようと口を開いた透を、奏は片手で制止する。
「君たち姉妹にとってはより最適な選択肢だったかもしれない。だが彼にとってはどうだ。三人分の生活費を捻出するとなれば、子供の君たちが考え及ばぬほどに苦労をする。立花君が過労で倒れたら責任を取れるのか?」
「そ、それは……」
大人の言葉が理解できるからといって、真っ直ぐに主張をぶつけて論戦をできるほどの知識はない。やはり里奈も子供なのだ。
「君の考えは理解できる。施設の世話になっても、里親が現れて姉妹離れ離れになる可能性もある。だが寝床や食べ物には困らないだろう。成長して大人になってから再会するという選択肢もあったのではないか?」
瞳に涙を浮かべて里奈が押し黙る。
隣では唇を尖らせた奈流が俯いていた。姉の態度を見て、叱られてると判断したのかもしれない。
その奈流が顔を上げて透を見た。言葉にはしなくとも、目がお姉ちゃんを助けてと叫んでいた。
個人的な透の考えとしては正直なところ奏よりで、助けを求めてきた姉妹を追い返せなかったからこそ現在の状況になっている。
言葉は厳しいが奏の指摘通りにした方が三人ともに幸せになれる可能性はある。
むしろ高いのではないかとさえ思うが、それでも透は姉妹の肩を持つ方を選択する。
「俺が責任を持つと決めました。苦労はするでしょうが、彼女らには我慢してもらいます。それも責任の取り方にはなりませんか」
奏の目が透を向く。
「確かに他人事なのだから、私がここまで厳しくする必要はない。ただ、君たちが思っているほど片親というのは楽じゃないのを知ってほしいんだ。学校で何か行事があっても、生活をするために立花君は仕事を優先しなければならない。君たちは教室で孤独となり、虐められるかもしれない。里親に貰われても幸せになれないかもしれないが、普通の家庭同様の愛情を貰える可能性だってあるんだ。これから背負う寂しさと苦労を知らずに済むかもしれないんだ」
厳しい表情は変わらなくとも、真剣な口ぶりから姉妹も奏が本気で心配してくれているのを理解したみたいだった。
「私たちの勝手でお兄ちゃんに迷惑をかけてるのはわかってます。それでもお兄ちゃんは受け入れてくれました。だからたくさんお手伝いをして、我儘を言わないで頑張ります! 私たちがお兄ちゃんを一緒に暮らすのを認めてください!」
必死に懇願する里奈を前に、奏は肩をすくめて息を吐く。
「すまない。私としたことが子供相手にムキになりすぎてしまったようだ」
「いいえ。主任が本気で俺たちを心配してくれてるのはわかっています。言葉こそ厳しいけど、優しい女性だというのもね」
「……そんなことはない」
そっぽを向いた奏の顔は赤い。どうやら照れているみたいだった。
気持ちを落ち着けるように深呼吸をしてから、奏は涙を流す里奈の肩に優しく手を置いた。
「キツいことを言ってしまったが、別に私は何がなんでも君たちと彼が暮らすのを阻止しようとしているわけじゃない。覚悟はあるみたいだが、君たちがこれから遭遇する現実はもっと過酷かもしれないんだ。そこを理解してほしい」
「はい。ありがとうございます」
手渡されたポケットティッシュで涙を拭くと同時に、里奈が鼻をかむ。もう泣いてはいないようだった。
「さて。片付けは一段落したし、銭湯へ行くとしようか。そのために私は母からここへ派遣されたんだからな。それとも、一緒に行くのはもう嫌か?」
「そんなことはないです。ママが死んでから、周りの大人たちは私と奈流をほとんど無視していました。だから真っ直ぐに怒ってくれて、心配してくれて、嬉しかったです」
「奈流もー」
「そう言ってもらえるのは嬉しいが、ますます里奈君を八歳とは思えなくなったな」
呟いた奏は、この日何度目になるかわからない苦笑を顔に乗せていた。
■
勤務先の大手スーパーへ行く途中、自宅から三十秒もかからない場所に銭湯はある。
透たちが暮らしているところ以外にも六軒長屋の格安アパートがあり、それらはすべて風呂なしのため地域の銭湯として今も大活躍中だ。
番台に座る老婆が透と、女湯の入口から入った三人を見比べて楽しそうな笑みを浮かべる。
「まあまあ。今夜は奥さんと娘さんが一緒なのね」
番台前はカーテンで仕切られているだけなので、透はお金を置こうとしていた奏の顔が真っ赤に染まるのを間近で目撃した。
「ち、違います! わ、私は……ええい! 立花君が説明してくれ!」
自分が弁解しては泥沼にはまると判断したのか、奏は勝手に透を説明係に指名した。
こんな時に綾乃であれば上手くやり過ごしただろうが、助っ人として勤務終了時に姉妹の入浴の面倒を見てくれるだけでもありがたいので素直に応じる。
「女の子二人は俺の妹です。祖父母の元で暮らしていたのですが、事情があって俺が引き取ることになりました。そちらの女性は俺の上司で、妹たちの初めての銭湯経験が無事に済むように世話をお願いしたんです」
生前の武春と一緒に通ったりもしていたので、番台に座る老婆が世話好きで話好きなのは十分に知っていた。
そのため姉妹のことを聞かれるのは予測済みで、どう説明したら不審がられないかずっと考えていたのである。
努力と呼べるかはわからないが頑張りは功を奏し、大変ねと同情はされども犯罪者へ向けるような目で見られずには済んだ。
「それなら女の子たちは二人で百円でいいわ」
驚きの提案に心が揺らぐも、他人の好意に甘えすぎるわけにもいかない。
「さすがにそれは申し訳ないです」
「いいのよ。この銭湯も老朽化が進んで、いつ閉鎖になるかわからないもの。貴方も住むアパートが建て替わり、お風呂ができるまで頑張ろうとは思っているのだけどね」
老婆は穏やかに、女湯にいる姉妹を眺めているみたいだった。
「それに子供は地域の宝物よ。ここみたいな田舎なら尚更ね。お風呂代くらい甘えなさい。その代わり、節約のためといってあの子たちにお風呂を我慢させては駄目よ」
「わかりました。肝に銘じておきます」
満足そうに頷いた老婆は三百円を手に取って、奏から貰った千円のお釣りだと透に手渡した。
正規料金は大人四百円なのだが、どうやら奏の分も透と同様に百円おまけしてくれたみたいだった。
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