第4話 頼りになる味方

「あの、ママが借りたお金は私が返します」


 私たちではなく私と言い切る。富豪でもない限り三百万円は大金だ。


 どうやって返すというのか、しかし責任感の強そうな里奈であれば、本当に返済するような気がした。


 その場合は満足に高校にも行かず、もっとも稼げる職業を選択する可能性が高い。


 ここで透はまた一つ大きなため息をついた。


 基本的に雰囲気を暗くするのは好きではないのだが、このような状況下で即座に明るく前向きになれるほど器は大きくない。


「借用書みたいなのはあるのか?」


「しゃくようしょ……ですか?」


 里奈が聞き返した。小首を傾げるポーズだけは、年齢相応の愛らしさを感じさせる。


 あまりにも里奈が大人びているので普通に扱ってしまったが、考えてみれば彼女はまだ子供。借用書や利息なんて言われても理解できないはずだ。


 そんな少女に借金を背負わせるのだから、神崎律子という女性の非道さがわかる。


 もっとも向こうは向こうで何か特殊な事情を抱えているのかもしれないが。


 それよりもまずは借用書の話だと、透は借金について書かれた紙とだけ伝えてみた。


 すると覚えがあったのか、里奈はジーンズの後ろポケットから四つに折り畳んだ用紙を取り出した。


 見せてもらって透は唖然とする。書かれていた内容がとんでもなかったからだ。


「返済期限は一カ月後。利息は二割で損害遅延金が三割!? なお支払い遅延が発生した場合、翌年には利息を元本として組み込む!? でたらめもいいところだ。ここまでやるのかよ! 書かれた通りに借金が膨らんでいったら、十年後には総額が一千万円を軽く超えるじゃないか! 未成年にこんな借用書へサインさせるなんてアホか!」


 思わず憤ってしまったが、不安そうな姉妹の視線を受けて透は若干の冷静さを取り戻す。


「そうだよ。未成年だから無効じゃないか。何もバカ正直に返済する必要はない。弁護士に相談すれば解決するだろうが、それにしても神崎律子ってのはどんな女なんだよ」


「なりきんごうよくおにばばあ。ママがよく言ってた」


 吐き捨てるような透の台詞を拾い上げ、神崎律子の人となりを教えてくれたのは奈流だった。


 そんな女から法外な利息を承知で金を借りなければいけなかったのか。そういえば神崎律子は姉妹の母親が自己破産したと言っていた。


 およそ子供らしからぬ洞察力で透が何を考えてるのか察したのか、里奈はますます申し訳なさそうで悲しげな顔をする。


「前に奈流がママが夜いないのは寂しいと言ってから、ママはお昼に働くようになったんです。掛け持ちって言ってました。でも、お金が足りないって。私も働くと言ったけど、ママはそんな心配しなくていいって。だけどママが死んだあとに神崎のおばちゃんが借金を返せって怒鳴ってきて、ママが酷く言われてるのが辛くて、私……返しますって言ったんです。今は無理だけど、大きくなったら何でもして必ず返しますって。そうしたらその紙を見せられて、名前を書きなさいって言われたので書きました……」


「……そうか」


「ママがお金を借りてたのは本当みたいなので、娘の私が返すのは当たり前なんです。借金のことでお兄ちゃんにご迷惑はおかけしません。だから、私たちをここに置いてください。お願いします!」


「おねがいします!」


 里奈に続き、隣で奈流まで土下座に近い恰好で頼み込む。


 ここまでされて、自分には関係ないと姉妹を家から放り出すような非情さは透になかった。


 本当に父の実子なのか疑問点は残っているが、まずは疲れてるだろう姉妹に寝床を提供しようと思った。


 電話などをしてるうちに、時刻は深夜を過ぎてしまっている。幼い子供たちが起きているような時間帯ではない。


 ため息をつきつつ、透は里奈に顔を上げさせた。


「妹と一緒についてこい」


 階段を上がり、二階へ移動する。続き間の一つはパソコンなどを置いて書斎みたいに使っており、もう一つは寝室部分としていた。


 畳の上に透のと生前に父親が使用していた布団を敷く。パジャマなどを貸せればいいのだが、生憎と彼女たちに合うサイズの服は持っていない。


「疲れてるだろうから、ここで寝ろ。話の続きは明日だ。いいな?」


 拒否して出ていけと言われても困るし、何より眠そうな奈流を思えば断れない。素直に頷く里奈を見て、透は幾つかの注意事項も伝える。


 とはいっても部屋の中にあるノートPCに触るなや、書斎側に二つある洋服箪笥を勝手に開けるな程度の簡単なものである。


 追い出されて神崎律子のもとへ戻されても困るだろうし、姉妹は従うはずだ。


 言うべきことを告げた透は一階へ戻りかけて、思い出したように姉妹を振り返った。


「そういや、お茶しか飲ませてないな。腹は減ってないか?」


「あ、大丈夫です。奈流と一緒に晩御飯はコンビニで買って済ませましたから」


「おかかのおにぎりを食べたんだよー。ふわあ」


 夕食がおにぎりだけでは量も栄養も足りてない。しかし欠伸をしたように、奈流の中では食欲よりも睡眠欲が勝っているみたいだった。


 苦笑した透は二階と階段の間にある薄っぺらい木の引き戸を閉め、一人で階段を下りた。


 一階に戻った透は携帯電話を手に取る。料金の安さからスマホではなくガラケーを愛用している。


 携帯電話は通話とメールができれば十分と割り切っていた。


「もしもし、夜遅くすみません。透ですけど、少しいいですか。実は――」





 遠慮気味に鳴ったノックの音を聞き、透はドアを開ける。


 インターホンなんて洒落たものはないので、昔ながらの方式で客には来訪を示してもらうしかないのである。


 家に来たのは中年の女性。


 理知的さを強調するかのような眼鏡をかけ、髪の毛はアップにまとめている。


 つい先ほど、透が電話をかけた相手だった。


「その姉妹は上にいるの?」


 居間へ上がるなり、小さな声で女性が聞いた。


「はい。それにしてもこんな時間にすみません」


「気にしないで。お父さんとは旧知の仲だし、透君も私の子供みたいなものよ」


 大人の女性という感じの微笑みに、透の頬が微かに赤く染まる。


 確か今年で四十代後半になっているはずだが、年齢を感じさせないほどに若々しい。白のブラウスにジーンズという服装も影響しているかもしれない。


「それにしても武春君に隠し子ね。そういうタイプではなかったから、にわかには信じられないわ」


「そういえば綾乃さんは、親父を子供の頃から知ってるんでしたね」


 瑞沢綾乃。


 それが透の前に座る女性の名前だった。


 女性の平均より身長は少し低い程度で妙な色っぽさがあり、油断するとついつい目を奪われてしまう。


 いまだに言い寄る男性は多いらしいが、当人は興味ないとすべて袖にしているみたいだった。


「幼馴染みたいなものだからね。彼が結婚して以降も、地元に帰ってた時はたまに電話で話したりはしたわね。私が離婚する時も相談に乗ってもらったし。でも変な空気になったことは一度もないの。武春君は穏やかで優しくて紳士的な男性だったもの」


「父親をそこまで褒められると、なんだか恥ずかしいですね。草食系の鑑みたいな感じもしますけど」


 綾乃がそうねと笑う。


「でも、だからこそ武春君は周囲から頼りにされてたわ。奥さんを亡くして以降は辛そうで見ていられなかったけどね。それだけ奥さんを愛していたのに、他に女性を作るなんて考えられないわ。とはいえ、それらはすべて私の個人的な感想でしかない。真実を知るのは当人だけで、私たちには知る由もないからね」


 確証はない。だが本当に武春の実子の可能性もある。


「それでどうするの? 相談するために私に連絡したのでしょうけど、意外ともう決まってるんでしょ。どのような決断にせよ、背中くらいは押してあげるわよ」


「綾乃さんには構いませんね」


 考えを見透かされていた透は笑うしかなかった。


 姉妹の処遇も含めて一人で抱え込むにはあまりにも重すぎる問題で、相談できる人間はいないかと考えた時、真っ先に名前が浮かんだのが綾乃だった。


「伊達に年食ってないわよ。最初の質問に戻るけど、透君はどうするつもりなの?」


「……さっき電話で彼女らの後見人になるだろうと思われる女性と話したんですか――」


 神崎律子との通話内容を細かく教えると、これまで温厚に話していた綾乃の目がつり上がった。


「人道に外れた真似をしてるわね。姉妹の母親とどのようなやりとりがあったのかは知らないけど、幼い少女に借金を背負わせるなんて非常識にも程があるわ。弁護士なら相談するわよ。こう見えてもそれなりに付き合いは広いの」


「綾乃さんは小学校の校長ですもんね。その辺は頼りにしてます。ただ、あの手の女が素直に引き下がるとは思えません」


「まあね。葬儀を率先して行ったのであれば香典とかも入ってるはずなのに、姉妹には与えなかった。その点を責めても、借金と相殺したと言いかねないか。きっと減額して三百万円だと言い張るわね。借用書もあるんだろうし」


 綾乃もため息をつく。


 奈流曰く成金強欲ババアらしいので、金融方面に詳しい連中や悪徳と呼ばれる弁護士にもツテがあるはずだ。


 関係者と打ち合わせを済ませた上で仕掛けてきているなら、簡単には終わってくれそうもない。


 透と同じ点を綾乃も危惧しているのだとわかる。


「いっそ支払ってしまって関係を清算させた方がいいかもしれませんね」


 透の提案に綾乃が目を丸くする。


「払うって、三百万円を?」


「はい。親父が残してくれたお金がそのくらい残ってるはずです。彼女が本当に親父の子供だって言うなら、遺産を受け取る権利もありますからね」


 透が笑うと、背後で音が鳴った。


 まさかと思って廊下へ出れば、階段の突き当たり、トイレのドアへもたれるようにして里奈が立っていた。

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